小説
七話



 前日夕方まで寝て過ごした白は「こんな時間なら起きててもやることねーわ」と軽い食事をとって歯を磨いた後、再び布団に帰っていった。
 そのおかげか、白が再び目を覚ましたとき空は薄暗く、しかし季節柄夜明けというには時間が経っていた。誓いはネギに込められることもなく完全に霧散していたことが、ここに証明される。
 すっかりと目が覚めた白は、流石に何事かの活動を開始するべきだろうと思う。夢の中ではそれはもう忙しくなにかしていたはずなのだが、早々に忘れ始めていた。なにか、中国アクション映画のようなアクティブでアグレッシブな活動をしていた気がする。
 夢は夢だ、現実に反映させなければ意味がない。白は忘我のひとになる気はないのだ。現実逃避は嫌いではないけれど。

「……土手で八極拳する爺にでもなれ、と」

 白は開いたばかりの瞼を深く閉じ、次いでカッと見開く。とても怖い。

「よろしい、上等だ」

 布団の中でうだうだごろごろしていたとは思えない俊敏な動きで布団を蹴り上げると、白はバッと縞々パジャマを脱ぎ捨てた。

「さーて、シャワー浴びるとするか」

 幼い頃に天パであった所為か、白の白髪はストレートだが癖がつきやすいので毎朝のシャワーが欠かせないのだ。もっとも、白は無精者なので面倒くさいときは帽子でごまかすのだが。
 ほぼ一日寝倒した分だけの元気はあって、大変結構なことである。社会的に。


 早朝は指先が痛くなるほど気温が低いため、白はきっちりと指先まで覆うムートン手袋を装備して、相変わらず白いカシミヤのロングトレンチコートでぬっくぬくである。一眼レンズのサングラスとあわせてもれなく職質を狙っているとしか思えない。ついでに八極拳する爺を発端としての外出とも思えない。
 白は下見こそしたが未だに慣れぬ土地に馴染もうと、あてどもなく歩いている。もちろん、迷子になって帰れなくなるのは困るので携帯電話は持っているし、辻は曲がらず道なりに進んでいるという意味が分からない歩き方だ。この男は目的をもって行動したとしても、行動が目的と一致しているかといえばそうでもない。基本的に「わけがわからねえ」仕様なのだ。
 目的を持っても、それを維持するとは限らないのも現在の服装や行動からよく分かる。土手で八極拳という思考に「上等だ」と言ったのは誰であったのか。

「あー、息が白い。南極じゃあ空気がきれいすぎて息が白くならねえんだったか。北極もそうか。つまり白い吐息は穢れた都会でだけ見れるというレア現象。腹は黒いが息は白い。俺は清廉潔白だけど」

 寒さのせいか独り言の数も多く、いつの間にか当初の目的通り土手の上を歩き出した白は霜の降りた斜面に口笛を吹きつつ、日課のランニングに勤しむ寒々しい格好の老若男女に軟弱な格好を嘲られ、すれ違いざまに「なんでお前ここにいるの?」という視線を向けられてびくんびくんと身をちじこまらせてアウェーを楽しんだ。小さなおともだちがいれば保護者が「見ちゃいけません」と両目を隠すこと間違いなしだ。その前に抱き上げられその場から退避されるかもしれないが。
 そんな恐ろしいもの扱いが常の白であっても、ランナーやウォーカーにとって土手は支配圏。いくらヤクザかマフィアという見た目で闊歩していても、寒さに耐えられず高級素材で身を包んだ白など脆弱な小鳥にも劣る存在だった。いや、小鳥ではあるのかもしれない。チキン野郎という意味で。

(やだ、ぞくぞくしてきちゃう)

 弱い虫を見るような目で見られたのなんて久しぶり、と白は背中を震わせた。早朝の空気に運動もせず長居すればコートを着込んでも寒いのだ。

「そうちょー?」

 そこへ、朝早くで頭が起きていないというわけでもなく間延びした声が、一部の皆さんしか使わない呼称で白に呼びかけた。白の口がほんの僅かにひん曲がる。表情にはよく見ないと分からない変化でも、雰囲気は雄弁である。
 お断りしたい類の相手に見つかった。白の気分はこれに尽きる。
 白が振り返ればパーカー姿の千鳥が驚いた顔をして立っていた。そんな顔すらも大層万人受け、特に女性受け甚だしく、白には忌々しいことこの上ない。
 だが、いまは千鳥の顔面を時代先取りした格好良さに改造している場合ではない。
 開けてはいけない扉を開きかけていたとしか思えない姿を見られた可能性がある、重要なのはそこである。

「可及的速やかに今見たことを忘れろ」
「は?」

 ぽかん、とした顔をする千鳥に白は冷酷な尋問官のような目でどんな偽りも許さないと千鳥から「嘘」を探すが、千鳥は「なに言ってんだこいつ」と不審者を見るような目で見つめ返すばかりである。大変、傷つく視線だ。

「……どこから見ていた」
「え、総長がなんか突っ立って震えてるとこだけど……寒いの?」

 どうやら白が妙な世界に片足を突っ込みかけていたとは、思いも寄らないらしい。常識的に考えれば当たり前である。真冬に震えている人間を見て「あのひとマゾっ気疼かせてるのかしら」などと考える方がおかしいのだ。
 被害妄想を患っているのか、そもそも発想が常人のそれではないのか。
 どちらにしろ、医者にかかれば白は額に聴診器を当てられるだろう人間であった。

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