小説
四話



 重たいブーツが床を踏み締める度、BGMのジャズしか音のない店内に重たい響きがする。
 人混みのなかでは間違いなく頭一つ飛び出るであろう高身長の男は、背後に昨夜までは自分達を率いていた隼を従えて、beloved一同の前に姿を現した。
 昨夜よりも簡素なものの、白い服装は変わらずイメージも違わず、いや、実物を前にすることで益々畏怖と畏敬を募らせた。
 なによりも、白い頭髪という特徴が、間違いなく男を男として店内にいた全員に認識させる。
 誰の脳裏にも男の鮮やかな立ち回りが色濃く刻まれているし、当事者である千鳥と拓馬は尚更のこと。
 緊張した面持ちの一同のなか、千鳥と拓馬だけは笑みを浮かべている。その種類は、決して同一のものではなかったのだけれど。
 ドアから五歩ほど進んだところで男は立ち止まり、隼はその斜め後ろで止まる。それに合わせ、その場にいた全員がざっと音をたてて立ち上がった。
 カウンターに肘をついている初代beloved総長であるHortensiaのオーナー、浅木は面白そうな顔で男を見て、次いで隼に視線をやる。
 視線に気付いた隼は目礼を返し、一度、深呼吸をした。

「昨日居合わせた連中は分かってると思うが、belovedは代変わりする。いなかった奴には急な話かもしれないが、俺はこのひとに負けた」

 総長であった隼がはっきりと告げる敗北宣言に、若干空気が揺れるもざわめきとならないのは教育が行き届いているからだろう。
 その教育は不良という上下関係以外のものも感じさせたが、明確に何であるかを判別させるほどではない。
 揺らいだ空気を一瞥することで治めると、隼は再び口を開く。

「俺の時もそうだった。勝って、belovedの総長になった」

 隼の言葉に「顔面ばっかり狙ってきたの忘れないわよー」と浅木は内心で思うも、話の腰を折るだけなので声にはしない。
 声にしたところで、隼は自分は男の急所を重点的に狙われたと苦い顔をして返すだろう。

「――新しい総長は、このひとだ」

 隼が一歩男から離れ、一礼する。
 一種厳かな空気のなか、男は隼を一瞥し、それから息を飲んで自分を見つめてくる三十人近い青年達の方を向き、す、とサングラス越しに目を細める。それだけで店内に威圧感が満ちた。
 ひく、と誰かの喉が鳴ったのが合図かのように、男は薄い唇をそっと開いた。

「名前は『つくも』性別男。趣味は畳の目を数えること。得意なスポーツはエクストリームアイロニング。嫌いなものは関西の葛きり。ところてんに黒蜜かけたものを葛きりとか絶対に認めない。以上、よろしくネ」

 男、つくもはヤクザのような顔で挨拶をした。
 つくもの言動を初めて見聞きするbelovedメンバーは思う。
 とんでもねえ変人が総長になっちまった、と。



 Hortensiaは賑やかだった。
 一通り自己紹介を終えて、むしゃむしゃとキッシュを食べているつくもを中心に、若者達は箸が転がっても笑えそうなテンションで騒いでいる。
 ものすごく対応に困る挨拶をしたつくもだったが、直後に腹の虫が鳴き、ごく自然に浅木へ「プリーズギブミーランチ」と注文しに行き、そのままカウンター席へ腰掛けるという奔放さを発揮。
 浅木の横にちょこん、と佇んでいた彼の恋人である美園が思わず、といったように笑った辺りで微妙な空気は弛緩した、が、つくもは美園を見つめたあと油を差していないブリキのような動きで浅木のほうを向き、彼をとんでもない外道を見るような目で凝視した。無表情ではあったが、目は口程に物を言うのだ。サングラス越しであっても。
 それなのに、キッシュを出されれば大人しく食べ始め「浅木さん、これ美味しいね」と言うのだから訳が分からない。
 威圧感を擬人化させたようなつくもだが、喧嘩を売らなければ対応は変人であるという以外、普通だ。
 そっと隣に隼が腰掛けても何も言わないし、話しかけられたり、質問されたりすれば、応えている。

「口に合いますか?」

 味に太鼓判を押した身としては気になるのか、隼が訊ねれば、添え物のサラダをしゃくしゃく食べていたつくもは軽く頷いた。

「飲み物いりません?」
「……アイスティー」
「ミルクかレモンは?」
「いらね」
「浅木さん、アイスティー一つ」
「はいはい」

 むしゃむしゃもぐもぐとキッシュを貪る姿だけ見れば、とてもではないが望まれて不良の総長へ納まったようには見えないが、昨夜のことを知るメンバーはつくもの膂力を思い返して乾いた笑いを浮かべる。

「因幡さん、あのひと……総長に隼さんが負けたってマジですか?」

 だが、立ち会わなかったメンバーのなかには、隼や千鳥、幹部たちが歓迎していても納得には至らない者もいる。
 拓馬にこっそり訊ねてきたのは、隼に憧れて最近belovedに入った少年だ。
 隼さん、隼さん、と慕う様を苦笑いされながらも微笑ましく見られていた少年の問いに、拓馬はそっと口に人差し指をたてる。声は小さく、の合図に少年は頷いた。

「本当だ。俺も喧嘩売って負けた……っつうか、俺がそもそも喧嘩売って返り討ちに遭った……」
「因幡さんも?」

 驚き目を丸くする少年に首肯し、拓馬はテーブルに頬杖つきながらつくもの背中を見つめる。

「かなり手ぇ抜いてたんだろうな。口調はふざけてたし、焦った様子なんて欠片もない。俺から千鳥さん、隼さんて続いたのに、最後まで息切れなんてしてなかったし。準備体操にもなってねえんじゃねえの?」
「いやいやいや……マジっすか?」
「マジ。ってか、動きが変態すぎ、た……っ」

 拓馬がテーブルから身を引く。
 かんっ、と音を立てて、伝票入れに突き立ったのはボールペン。
 ボールペンの投擲元であろう場所を振り返れば、丁度背を向けていたつくもが振り返るところであった。

「本人いるところで悪口言うんじゃないよ」
「……悪口じゃないっすよ」
「ひとをドスケベ扱いしておいて!」

 ぷんすかと無表情に怒るつくもに「いや、ドスケベとは言ってないです」と拓馬が弁明するも、ではなんと言ったのかと訊き返され「変態」と返したことで周囲から「ちょ、おま」という呟きが落ちる。少年さえも憐れむような視線を拓馬に向けている。

「あー、傷ついたー。つくもくんの小鳥のように繊細な心が傷ついたー」
「いや、総長は小鳥のように繊細どころか心臓に毛が生えててもおかしくないと思うっすよ!」
「黙れ。おっぱいまんじゅう買って喜んでる野郎に、ドスケベ変態野郎呼ばわりされた気持ちが分かるのか」

 拓馬はべっぴんじ◯んを共に喜んだ日和のほうを向く。
 全力で目を逸らされた。とんだ裏切りである。

「いや、俺は総長の身体スペックが変態すぎるってっ」
「俺の肉体が魅惑のお色気ボディとか……お前、会って間もないてめえよりでかい野郎相手をどんな目で見てんだよ……」
「因幡、お前もう喋るのやめたら?」

 違うと言いたかったが、千鳥が呆れたように言うのに拓馬は泣きたくなった。
 そんな拓馬の肩を、いつの間にかつくもの隣から立ち上がった隼がそっと叩く。

「そ……隼さん!」
「因幡」

 隼が微笑む。

「お前、あとで店舗裏な」

 理不尽というものをよく知る拓馬だが、やっぱり理不尽は理不尽だなあ、と遠い目をした。

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