小説
六話



 私室にいた久逸を呼ばう両親に応えたとき、既に嫌な予感はしていたのだ。

「久逸、そろそろ機関に登録しないか?」

 用意された紅茶をひと口飲んだところで、父が話を切り出した。
 機関。
 久逸は父が指すのがツガイを探すための組織であるとすぐに察し、困った表情をする。

「父さん、ぼくのこと分かっているじゃない」
「だからよ。ねえ、久逸。私たちは心配なの。あなたが『そう』でも、ツガイなら関係ないわ。ええ、きっとそうよ!」
「母さんまで……」

 久逸は俯く。
 視界には自分の身体が映る。
 白いシャツの下はツガイによって既に幾つも所有の主張がされているけれど、両親はそれを知らない。
 だから、集団見合いのようなことをする機関への登録をこうして勧めてくるのだ。

「別にいいよ。ツガイに出会わないひとなんて珍しくないし、結婚だけが全てじゃないでしょう。二人には申し訳ないけど」

 久逸が暗く落とせば両親は「申し訳ないなんて」と慌てたように言うが、久逸はただこの場を切り抜けられればよかった。
 この場をしのいでも終わらないのは分かっている。
 この先、きっと何年も、何回も同じやりとりをすることになる。
 それはもう、随分前から分かりきっていた、決まっていたようなものだ。
 久逸はこの場に相応しく悲しそうな笑みを浮かべて、不自然に高い声音と早口で話す。

「ぼく、まだ高校生だよ。どっちにしても早すぎるよ! 心配してくれてるのは分かってるけど、せっかちだって!」

 片手をひらひら振って、もう片手で無意識であるように我が身を抱いて見せる。

「ツガイに、ぼくは必要ないよ……」

 ぱたん、と両手を膝の上に落として、項垂れれば両親は言葉を失った。
 数秒数え、久逸は立ち上がる。
 眉を下げて笑い、「部屋に戻るね」と言う久逸を、両親は引き止めなかった。
 両親に背を向けて、久逸は表情を消す。
 ひと仕事終えた気分であった。
 けれども、この仕事は始まったばかり。
 いや、ひょっとしたら生まれついてからの義務なのかもしれない。
 私室のドアを閉ざし、するり、するりと久逸は自らの腹を撫でる。

「……私にも、あなたにも、ツガイは必要ない」

 ドアに背を預け、久逸はそのままずるずると座り込んだ。



「おひいさん」

 いつものように、と言ってしまうのは不本意だけれど、郁紀は相も変わらず人の切れ目を狙ったように久逸が一人のときにその腕をすい、と引いて空き教室へと連れ込んだ。
 放課後、もう日も傾き始めた時間に郁紀とふたりになるのはあまり歓迎できることではない。帰りが遅くなる。

「おひいさんは俺の前じゃ、笑わねえな」
「そんな日は一生来ないと言いました」
「ああ、言われたな。気にしねえけど」

 今日の郁紀はいつもと違う。
 常ならば既に久逸へ触れているだろうに、空き教室のドアを施錠するなりさっさと引いた腕さえ放してしまった。
 なんの変化だろうか。
 その変化は既に迎えたのか、それともまだ終わっていないのか。
 ふと、郁紀が薄い鍵の付いたケースバッグを携えていることに気づき、久逸は急激に鼓動が激しくなった。
 嫌な予感がするのだ。
 両親に機関への登録を促されたときの比ではない、とてつもなく嫌な予感が。
 久逸の視線を追うように、郁紀の指がケースバッグの鍵を開けて、ぱちん、とバッグを開いた。
 中にはクリップで留められた書類。
 書類を取り出した郁紀が、久逸を見遣る。

「俺は――気にしねえけど」

 ばさり、と足元へ投げ出された書類を見下ろし、久逸はぎこちない動きで拾う。
 文字を追う前に長く瞼を伏せたのは現実逃避か、それでも目を背け続けることはできない。
 久逸は書類に記載された文面に目を通した。
 ――満代久逸の身体情報、先天性生殖不全についての報告。
 指先から温度が失われていく。
 それ以上に、腹の奥が氷でも飲み込んだように冷たくなった錯覚をする。
 先天性生殖不全。
 久逸は生まれつき、ヒトの男女もツガイの雌雄も関係なく、子を成す能力が欠落している。

「……気にしない、とは豪胆なことを言いますね」
「俺はおひいさんさえいればいい」

 郁紀は断言するが、それならば久逸も断言する。
 それは有り得ないことだ、と。

「あなたはツガイ同士が何故、ツガイ以外の繋がりよりも強い結びつきがあると思っているのですか」

 血族よりも、昨日まで愛を、恋を錯覚していた恋人よりも大切な、この世で唯一無二の自分だけの、相手だけのツガイ。
 世界の軸が変わってしまったかのように、ツガイ同士は強い繋がりで結ばれている。
 何故?
 久逸は書類を片手で握り締め、もう片方の手で強く腹を押さえる。

「ヒトも所詮は動物でしかない。ツガイを求め、執着するのも本能です――優秀な種を残したいという、本能だ」

 本能を満たすことのできないツガイなど、ツガイとして必要ない。
 ツガイに感じる執着など、己の種をより優秀に残す最良の相手であることが根本となっているのだ。
 種を残せないツガイは、一山幾らの花にも劣る野辺の雑草と同じ。
 ふと、きれいなものを見つけたと喜び摘んだとしても、手指を青く汚せば顔をしかめて捨てられるような存在。

「もう、お分かりになったのでしょう。私にツガイは必要ありません。ツガイがいたところで、なにも得るものはない。
 あなたもそうです。私がツガイであったことは不幸としか言いようがありませんが、私を一時の熱狂に任せて手元へ望んだところで、私が満代であることが後々の手間、厄介にしかなりません」

 久逸は書類を郁紀に差し出しながら、落ち着きを取り戻したかのような声で言った。

「私たちは、出会わなかったものとしましょう」

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あきゅろす。
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