小説
四話



 伊佐郁紀は創作においてはありきたりなことに、ある大物議員の愛人が産んだ子どもである。認知はされていないので庶子だ。
 認知はされずとも、生活に困るようなこともなく、出生が明らかになったときの火の粉が煩わしいからから素行において庇うなど、実父本人からではないにしろ目を向けられはしている。
 郁紀の母は愛人であるが、実父の正妻……ツガイよりも実父との出会いが古い。
 明確に言えば、ツガイと出会ったから実父は当時妊婦であった郁紀の母を愛人のまま捨てたのだ。
 現在では訪いもない。
 大金が定期的に振り込まれ、生活の便を図られ、それだけ。
 ツガイとの出会いは僥倖とされるが、同時に残酷だ。
 それまでの関係が一変する。
 どれだけ想いを交わし合っていた恋人であっても、ツガイの前では天秤にかけられることもない。
 目の前で元恋人がツガイとの出会いを周囲に祝福されるなか、ツガイだから、では片付けられない恋情を持て余すのはツガイと出会わぬ元恋人。
 批難などできない。
 相手はツガイ同士だから。
 どうして、なんで、という問いの答えも、ツガイだから。
 悲しみと理不尽への怒り、悔しさを身の内に溜め込んで、腸焼けるような思いをしながら彼らは言う。

「ツガイと出会えて、よかったね」

 壊れそうな笑顔で。
 この世の誰よりも強く結びつく存在。
 優れた種の保存という点においても、ツガイ以上の存在はない。
 魂も、本能も、ツガイを求めている。

「郁紀は、ツガイと幸せになってね」

 幼い郁紀を抱き締めながら、ぽつりぽつりと呟いた母の言葉を郁紀は覚えている。



 ――満代のお姫様。
 大層なあだ名の持ち主は、滑稽さ増すことに男へ向けられたものらしい。
 実父が実父であるから、直接関わることなくとも漏れ聞く話は多い。
 そのなかの一つである存在は、郁紀にとって大して興味揺さぶるものではなかった。
 愛らしく微笑んで、聡明な振る舞いをする彼に、なんでも上げたくなってしまう。
 傍から聞けば只の悪女、毒婦の条件だ。
 そんなものに「自分がお姫様のツガイであったなら」と会いに行く輩が多いらしい。物好きなことで。
 そう嗤っていた自分を、郁紀はくしゃりくしゃりと丸めて後ろへ放り投げて現在にいる。
 在籍していた高校が統合されることになり、好き勝手していた郁紀はこれでまた妙な正義感で立ち上がる輩が出たり、逆に目新しい相手を摘むこともあるだろうか程度に思っていた。
 母は郁紀の素行に暗く目を伏せたが、不思議に安心しているようでもあった。
 環境に新しい水が入ることで、また騒がしくなるかもしれないと馬鹿でも分かるだろうに、母に不安そうな様子はない。
 郁紀も己の日常に某かの変化が訪れるとは思いもよらない。
 けれど、現実とは常に唐突な変化の及ぶものであり、それらは人間個人の力でどうにかなるものではないのだ。
 満代久逸。
 お姫様と呼ばれる彼の本名が統合される高校の生徒のなかにあって、ひと目くらいは見てみようかと郁紀は思い立った。
 容姿が好みであれば、少し手を伸ばしてみるのもいいかもしれない。
 少なくとも、前評判はいいのだ。
 よほど好みに合わない限り、安定した容姿を持っていることだろう。
 きれいなものを眺めるだけならば、それを楽しむ趣味を郁紀は有している。
 珍しい美術品の展示会に赴くような、興味本位で向かった高校で、郁紀はふと神経をするりするりと撫でる気配を覚えた。
 空気中に混じる季節の香気にも似た匂いと気配に引っ張られそうになるが、闇雲に動くのは躊躇した。
 落ち着かなさに呼吸を整えようと校舎へ入り、人気のない中央階段の踊り場で壁に背を預けてじっと目を瞑っていれば、とん、とん、と階段を降りてくる足音と同時に強くなる気配。
 ああ、と納得した。
 水を落として波紋が広がるように、心の隅々へまで浸透する理解。
 ツガイだ。
 ツガイがいる。
 すぐそこに、自分の、自分だけの、ツガイがいる。
 歓喜とは違った。
 ただ、満たされていく。
 足りないとは思っていた自分のなにもかも、小さな解れ、僅かな亀裂、少々零れたそこかしこを満たして埋めて、十全に、完全に、完成されていく。
 そのツガイが、無言のまま目の前を横切って行こうとした。
 腕を掴んで引き止めて、見遣ったツガイの顔は、笑みを浮かべ慣れたもの特有の無表情でも僅かに微笑んでいるような上がり気味の口角と、薄紅剥いたような目元がはっとするほど艷やかな目鼻立ち整った美しいもので、まるで物語に出てくる姫君を思わせた。

「――私にツガイはいりません」

 なんてことを言ってくれるのだろう。
 頑としてツガイを不要と言う。
 満たされたものがまた失われそうになって、それを埋めるように、見えないなにかに追い立てられるようにツガイと身体を繋げた。
 合意もなにもない。
 ただ、ツガイは拒否や拒絶もしなかった。
 嫌もやめろもなく、陳腐な表現をすれば反応だけはよかった。
 ツガイが徹底したのは「ツガイなどいらない」という、決定的で、根本的なこれだけ。
 それさえなければ、触れることが叶わなくても郁紀はきっとよかった。
 ツガイの生徒手帳を手にとって、今更名前を確認した郁紀は笑いだしたくなる。
 ツガイをいらぬと繰り返した彼は、微笑み一つで多くを与えられてきた満代のお姫様であったのだ。

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