小説
三話



 ツガイに出会ったことは慶事だ。
 周囲は祝福し、正式な書類を提出すれば所属する組織や国からの待遇も変わってくる。
 けれど、久逸はツガイと出会ったことを誰にも話さない。
 家族にも、一言だって話さない。
 ツガイ、伊佐郁紀のほうから話がいってしまえばすぐに露見することであっても、久逸から決して口外するつもりはない。
 両親は責めないだろう。
 報告すれば、喜びはするだろうけれど。その顔に、不安と期待を混ぜながら。
 久逸は求められる相応しさで常に振る舞う。
 だから、ツガイはいらない。
 いらないのだ。



「よう、おひいさん」

 郁紀は意外にも久逸のことを周囲に話しはしなかった。
 ツガイと出会える可能性が高くない以上、ツガイを持たないもの同士で交際するものもいる。
 久逸は恋によく似た感情を向けられるが少なくない。
 ツガイの周囲にそんな存在がいて冷静でいられるツガイなど、一体どれだけいることか。
 これは自分のものだと主張して、喧伝して回らねば気が済まないだろう。
 故にツガイという絶対不可侵であるという札を久逸に付け、周囲に見せびらかさない郁紀の態度はいっそ不審であった。

「おはようございます」

 ひとの通らぬ中央階段、手すりにもたれるようにしながら声をかけてきた郁紀に、久逸は一般的な礼儀を果たしてその横を通り過ぎようとする。
 ツガイである、という点を抜きにすれば、伊佐郁紀という男に対するものとしては一般的な礼儀にしても過分なものだ。
 郁紀の名は彼から名乗られ知ったわけではない。
 この男は悪い意味で有名人であったのだ。

「悲惨な噂が早速回ってるな」
「あなたの所為でしょう」
「おひいさんが可愛い所為じゃねえかな」

 久逸よりも二つ学年が上の郁紀は、高校が統合される以前から肉体関係を結ぶ相手が引っ切り無しにいたらしい。
 来るもの拒まずかと思えば、容姿が好みであれば自分から誘いをかけることも珍しくないという奔放さ。
 貞操観念の緩い若者で終わるならまだしも、郁紀は所謂痴情が縺れに縺れ、刃傷沙汰に発展したことがあるという。
 肉体関係を結んだ相手が恋人持ちで、その恋人持ちが怒りを覚えて徒党を組み郁紀を叩きのめしに向かうも、彼はそれを笑って返り討ちにしたのだと。
 それはもう、容赦など微塵もなく。
 目鼻口の在り処も分からぬほど顔を腫らすもの、手足をおかしなほうへ曲げるもの、吐瀉物なんだか血塊なんだか分からぬものを吐き出すもの、転がる死屍累々に恐慌を起こして刃物を取り出した輩は――現在も病院で現実の世界へ帰ってきていないらしい。
 過剰防衛にならなかったのは何故なのかと思えば、あくまで噂の範囲ではどこそこの御曹司だの親が警察官僚の誰々というものが囁かれている。
 尤も、事実も議員先生の御落胤という、噂と大して変わらないものだが。
 久逸が郁紀の出生を知ったのは、郁紀が伊佐郁紀と知るより以前、高校が統合されるときに父から伊佐郁紀という大物議員の落胤がいると聞かされていたからだ。
 自らのツガイと伊佐郁紀という名前を一致させたときは、視線をぐるり、と天井へ向かって一周させた。
 郁紀と久逸がツガイであることは、郁紀の周囲にとってこの上なく喜ばしいだろう。
 状況は久逸に不利だ。
 それでも久逸は認めない。

「俺が今度は満代のおひいさんに手ぇ出そうとしてるって……随分だよなあ? 俺は俺のおひいさんにしか興味ねえのに」
「私への興味も不要です。私にツガイが不要であるように」

 郁紀は俯き、視線だけを上げて久逸を見つめる。
 窺う表情は愉快の色が濃い。

「それだけは変わらねえな」
「最初にそう申し上げたはずでしょう」
「そうだな。でも、最初は必死に堪えてたおひいさんが、今じゃ自分から腰振るようになってんだ。変わらねえもんなんざねえんだよ」
「品のない物言いをする」

 まるで幼く口角を引き上げ、郁紀は両手を伸ばして久逸を抱き寄せる。
 抵抗が意味を成さぬことは一度で覚えた。よって、久逸はただ腕を身体の横でだらりと垂らし、棒立ちになるばかりだ。

「おひいさんが嫌ならしねえよ」
「私が嫌だというだけで言動を改めるなら、私との接触も控えていただけるのですか」
「いや? それはない。ツガイの好みを尊重するのは『普通』だろ?」

 久逸の人差し指が一瞬小さく跳ねた。

「ツガイへの義務など、あなたが感じる必要も重んじる必要もない」

 ツガイなどいらない。
 いらないものを大切になどしなくていい。
 久逸はある意味、一方的でありながら公平だ。

「おいおい、義務感なんぞ俺が持つかよ。俺は素直なんだ。おひいさんにはしかめっ面より評判の笑顔見せてほしいんだよ」

 にっこりと嬉しそうに笑うのが、とっても愛らしい。
 満代の秘蔵のお姫様。
 お姫様が笑顔でお願いすれば、なんでも叶えてあげたくなる。
 久逸をツガイと知る前、家名背負うような華やかな場に出ることなど一切ない郁紀は「満代のお姫様」の話をどう思っていただろう。
 鼻で笑うか、呆れて興味もないか。
 いざ、本人と出会えばツガイで、しかし向けるのは笑顔どころか無表情も同然。
 ツガイの笑顔が見たい。
 確かに「普通」のことだ。
 けれど――

「……私があなたに笑いかけることなど、一生ないでしょうね」

 普通が当然など、傲慢だ。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!