小説
八話




 全力という言葉に嘘はなく、昼間に身を持って知り、今さっきもまた目の前で起きたことを見て油断もなく向かってくる青年は、拓馬が可愛らしく感じてしまうほどに暴力慣れしていた。
 速度や力はもちろん、技術がある。体の使い方を知っている。
 全力で放ったように見せかけた蹴りは途中で軌道を変えた陽動で、それを白が見切ったと悟るや弾かれたように距離をとって優位を与えない。
 ぎらつく眼差しは飢えた痩せ犬を彷彿とさせる。一度食らいついたら食い千切って飲み込むまで離れない。
 白が向けた掌底を掴んでみてさえしたときには「わあ」と思わず声が出たものの、拳ではなく掌故に完全な拘束は難しく白はするりと青年の手から己の手を取り戻した。その勢いのまま回転する足運びの妙なることに、息を潜めて見ている何人が気付いたことだろう。
 青年は回りこむ白が背後を取る前にバックブローを放つが白はさらなる回転で避けるし、青年自身牽制程度の気持ちであり、立ち位置を維持できればそれでよかった。
 死角に周るばかりでは卑怯者とか負け犬の遠吠え聞く羽目になるかもしれないと思い、白は隼が取った間合いを拳で突くことで跳び縮める。
 目で捉えたよりも明らかに速く、下手をすると歩数すらも少なく迫った拳に対し青年が防御をとれたのは、頭が考えるよりも先に培った経験から体に染み付いた反射によるものだったのだろう。
 だからこそ、経験したことのない威力によって防御はその上から崩されることになる。
 白の拳を腕で受けた青年はそのまま後ろへと吹っ飛ばされる。
 腕が折れたのではないかと心配になる痛みにしかし、青年は堪えて立ち上がった。
 白は考える。
 わけの分からない目的があるにしても、自分を数時間前に一発KOした相手に仲間が目の前で伸されたからと低い勝算厭わず立ち向かう青年。
 吹っ飛ばされた体はアスファルトによって服が擦り切れている部分があるし、土埃とてあちこちについている。腕の痛みは相当だろうことが表情や苛立ち混じりの唸り声からも想像できる。
 それでも立ち上がる青年。
 白の顔がひく、とほんのり引き攣ったのと同時、勝敗の行方を見守っていた青年の仲間たちが少しずつ声を上げ始める。

「総長、頑張ってください!」
「あんたマジで最高っすよ!」
「白髪野郎マジパねえけど、総長だって負けてねえんだからな!」
「いまシラガっつった奴、顔覚えたからな」

 白の頭髪は生まれつきによるものなので、本来は銀髪と称するのが正しい。しかし、銀といえば「無理すんな」としか言いようがないほど真っ白なので白は「ハクハツ」を自称している。断じて「シラガ」ではない。
 ドスの利いた白の声に再び周囲が静まり返るが、白の内心は荒れ狂う大海も吃驚なほど攻撃的になっている。
 嫌いだ。
 大嫌いなのだ。
 白は自身を被害者だと思っている。
 自身に殆ど非のない出来事によって絡まれたので正当防衛を発動させたら何故か悪役になっているという、被害者と加害者の立場逆転がほんとうに大嫌いなのだ。
 おまけに相手はイケメンである。
 堅気に見えない風貌の白とイケメンの間になんらかの諍いがあったとき、白が加害者として見られる率ときたらブラック企業に勤務する奉仕型社畜の有給消化率より低いかもしれない。
 そんな白の前で加害者関係者が加害者側を応援、加害者はまるで仲間のために立ち上がるヒーロー状態。
 加害者とはつまりヒーローであり、ヒーローとはつまり加害者。
 結論、なにもかも青年のせい。
 白は急に心が晴れ晴れするのを感じる。
 向かってきた青年が放つ重たい蹴りを掌で流し、肘打からの裏拳を絡げるように流し、背面回し蹴りを流したところで鳩尾に両手掌底を叩き込む。
 息を詰めて僅かに前屈みとなった青年へ踏み込み、気付いた青年が繰り出した拳を絡げて引き寄せ空いた脇に肘を当てれば今度こそ青年は地面へと崩れた。
 がら空きとなった体へ容赦なく鋭い突きを入れようとする白に誰かが声を荒げたが、そんな声を聞くまでもなく白の拳は紙一重で静止する。

「チェック」
「……チェックメイトの間違いだろ」

 荒い呼吸を繰り返し、苦痛の滲む顔を隠すように目元を腕で隠す青年だが、剥き出しの口元は満足そうな笑みを浮かべていた。

「俺の、負けです」

 しん、と静まり返り、誰かが呟いた「そんな」という言葉が動揺と困惑の引き金となる。
 青年の仲間である彼らはきっと青年の喧嘩強さというものを間近で見てきたのだろう。
 井の中の蛙、と言い切ってしまうには、青年は井戸の外周辺で通じるほどだった。
 そんな青年の敗北。
 一発KOなどという言葉に実感を持っていなかった彼らには信じ難く、夢にも思わなかった出来事だが、現実として目の前で起きて、彼らは見ていたのだ。
 けれど、次第に落ち着いていく動揺は失望の興奮に変わることもない。
 それだけ白は圧倒的だったのだ。
 青年よりも十センチほど高い身長から見下ろしてくる眼光は猛禽類のように鋭く、真っ当な神経をしていれば決して関わりあいになりたくない部類の人間にしか見えない白。自分が彼の前に立てと言われたら全力で逃げたくなる己を彼らは自覚していた。
 その白と相対し、風貌に相応しく、あるいはそれ以上に有した暴力から逃げなかった。
 青年に失望など抱くわけがない。
 それは最後の引き金になった千鳥とて同じこと。
 白は周囲が抱く感情を機敏に感じ取り、表情筋が仕事をしていればニジッと口をひん曲げ目を眇めているだろう様子で舌を打つ。

(どうせ俺は悪役ですよ、そうですよ、くそが)

 寸止めした拳を解いて立ち上がった白に続き、青年も立ち上がろうとしたがその動きは苦痛のうめき声とともに止まる。

「……どーぞ」

 白は先程まで攻撃手段だった手を青年へ差し出し、ひらひらと揺らしてみせた。
 ぽかん、と一瞬顔に間抜けな隙を作った青年は次いで苦笑しながら白の手をとり、ゆっくりと立ち上がる。

「すみません、手をかけました」
「本当にね! ったく、いま何時だよ。今度こそ俺は帰りますからね、ンもう!」
「八時過ぎですよ、総長」
「ああ、こりゃどうも。そんな時間か早く帰ろうって待て待ていまなんつった聞き捨てならねえ言葉が聞こえたぞ、おい」

 ばっと自身の顔を見た白の手を、まるで逃さないとでも言うかのように青年が強く握りしめた。
 にこにこ晴れやかな青年の笑顔は、今さっき開き直った白の内心のようだ。

「どうしたんですか、総長」
「いやいや、どうしたんですかじゃないよ。総長ってそんなん俺は知らん」
「何いってるんですか、総長はちゃんと了解してくれましたよ」
「は?」

 青年はなんの話をしているのだろうか。頭への攻撃はしていないはずだが、吹っ飛ばしたときに打ち付けたのだろうか。
 自身に都合のいい、青年自身になんらかの問題があるが故の妄言だと己に言い聞かせる白だが、どうにもこうにも嫌な予感がして周囲を見やった。
 幾人かは不思議そうな顔をしているが、ぽしょぽしょと内緒話を交わしていた拓馬と日和は納得顔で白と隼を指さし頷き、千鳥に至ってはニヤニヤしている。
 まずい。
 なにか、己にとってとてつもなくまずい事態になっている。
 察っする白は恐ろしい気持ちになりながらも青年へ視線を戻した。

「『俺が負けたら一生あなたの言うこと聞いてついていきます。ただし、あなたが勝ったらうちの総長になってもらいます』。これが条件でした」
「……あ゛」
「はい、『俺』は負けて『あなた』は勝ちました」

 言葉にならない奇声を上げて、白はその場にのたうち回った。拓馬とやりあっても、青年とやりあっても穢れを知らなかった純白が小汚くなっていく。クリーニング確定、それもカスタム仕様決定である。

「馬鹿か俺は! なんだその『その石はもぐったり沈んだりしました。果たしてその石は軽石でしたか?』みたいな引っ掛け!!」

 叫ぶ白にとうとう誰かが笑い出し、感染した笑いは爆笑となる。指差して引き笑いまでしだした奴はシラガ発言した奴と同じく顔を覚えた。

「これからよろしくお願いします、総長」
「俺は不良なんてのはな……」
「条件了承してくれて本当に嬉しかったですよ」
「……カチンとくる奴だね、お前さんは」
「あはは、ありがとうございます。あ、ところで総長のお名前はなんですか? サインもくれるんですよね?」
「誰がサインなんざ書くかっ。花押しかねえっつっただろうが! 白だよ、つくも!」

 自棄っぱちのように言えば青年はとても嬉しそうに微笑み、携帯電話を取り出す。

「連絡先もお願いします」

 清々しいまでに図々しい青年にとうとう白は「うるせえ!」と怒鳴り、青年が差し出す落ちたマフラーを引っ手繰った。

「090‐XXXXXXXXだよ、ばか野郎! ばかは俺だって? 知ってるよ、どうぞばかの食物連鎖の頂点とお呼びください!!」
「いや、ばかの食物連鎖じゃなくてbelovedの頂点ですから」
「チエィッ! belovedの頂点とか寒い言い回しをやめろ!!」

 完全に逆上した体だが、問われた内容にきちんと答える辺りに白の律儀さと約束を守る誠実さが覗える。
 されど、悔しいものは悔しい。
 腹立たしさは自分に向かうが、試合に勝って勝負に負けたなどと言葉にできない悔しさだ。絹のハンカチを口で引き裂いてやりたい。
 頭から蒸気を出しそうな白を宥めながら、青年は携帯電話を操作する。
 白はショートメールを受信した自身の携帯電話を取り出し、嫌々メールを開いてから睫毛を一瞬揺らす。

「真辺隼っていいます。よければ、アドレスも教えてください」
「……ほんっとうに図々しい野郎だね」

 立ち上がった白は落ちてきた髪をかき上げる。
 一瞬の動作に隠れた眼差しに乗ったものは、露になれば先程までの高ぶった感情とともに消えていた。
 白は隼を見て、周囲をぐるりと見渡す。
 口々に歓迎の言葉を告げられ、白はため息を吐くしかできない。
 引っ越し初日から目指していた絵図がしっちゃかめっちゃかになってしまった。

「参ったね」

 呟く白の声は表情通り大して参っているような響きもないまま、新総長に賑わうbelovedメンバーの声で掻き消される。
 不良に追われて逃亡した白の、結局不良に巻き込まれる賑やかな日常の始まりであった。

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あきゅろす。
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