小説
五話



 昼には少し手の込んだ軽食を出すカフェHortensiaは、夜には酒を振る舞うバーになる。
 しかし、オーナーがオーナー故に、バーに目立つのは若者。Hortensiaはbelovedメンバーのたまり場だ。
 未成年でありながら堂々と酒を飲んでも許される空間、客の多くは気心知れた連中だが、カウンター席の隅に座る隼の顔は上機嫌と言うには難しい。
 口に運んだカクテルはソルティードッグだが、普段は美味く感じる塩の結晶が神経をさりさりと引っ掻くような錯覚を覚えて一々気に障る。
 思わず舌を打ちそうになったのを堪える隼の肩が不意に叩かれた。

「じゅーん、ご機嫌斜めみたいだねえ」

 あまり構われたくないという空気を放つ隼を察して遠巻きにしていたメンバーのなか、belovedのNo.2である千鳥が甘く整った顔に笑みを乗せながら隼の席へ座る。
 遠慮や気遣い薄い態度は、幼馴染という関係ならではだろう。
 現実の幼馴染はもっと乾いた関係を築いている場合が多いけれど、隼と千鳥の場合は親密といって差し支えのない距離に互いを許している。

「どうしたの? 俺は今来たところだけど、お前ずっとこんな調子だったらしいじゃん」
「近えよ」
「あはは、ひっどーい。俺の顔はアップにも堪えられるのにー」

 肩に回された腕を鬱陶しげに払えば、千鳥はぱっと近づけた体ごと引いた。
 けらけら軽薄に笑っていた千鳥だったが、すぐに笑い止むと「で、どうしたの?」と訊ねる。
 灰色のカラコンをつけた目に乗る気遣わしさに気づかないふりをしながら、隼はソルティードッグを飲むことで口を噤む。
 どうしたのか。
 説明をするのは簡単なようで難しい。
 出来事だけを述べるのならば時間はかからない。
 昼ごろ、むしゃくしゃして通り魔的犯行に及んだら返り討ちにされた。以上だ。
 しかし、そのあらゆる意味で情けない出来事が隼に及ぼした感情を説明するのは、正確な言葉が見つからない。
 まず、前提として隼は被虐趣味ではない。
 にも関わらず、完膚なきまでに叩き潰された瞬間、隼は確かに歓喜したのだ。
 belovedは周辺広域で頂点にある不良集団であり、自ら範囲を広げないものの外部から他の不良集団がやってくれば容赦なく返り討ちにしており、主な縄張りを離れてもその影響力は強い。
 つまり、その広域一体は隼の管轄下である。
 求めても求めなくても暴力に関わりある情報が入ってくるなか、隼はあの男を知らなかった。
 白い髪をした、やたらと身長の高い男。
 一眼タイプのサングラスをかけていて、その向こうにある目はあまりにも鋭く、物騒過ぎる針水晶の色。
 見た目も雰囲気も目立ち過ぎる男は隼より圧倒的に強く、とてもではないが堅気には見えない。
 買い物袋は、えらく所帯じみていたけれど。
 風貌の恐ろしさに反し、言動に妙な起伏と抑揚があった男へ隼は咄嗟に手を伸ばしていた。
 あの場限りの縁で終わりたくなかったのだ。
 しかし、男の異様に重たい蹴りで暫く動くのも儘ならなかった隼を置いて、男はバトミントンのスマッシュ初速が如き勢いで走り去った。
 サングラスによって分かり難いにしても表情筋が殆ど動かない代わりに雰囲気でよく語る男は「やばいのに絡まれた」と全身で訴えていたような気がするけれど、それは自分の気のせいであると隼は流す。
 隼はもう一度あの男に会いたい。
 今まで噂も聞かなかったので周辺に住んでいるわけではないのかもしれないが、あの風貌であれば相当目立つはずだ。探せば見つかる可能性は高い。

「ねえ、隼――」
「総長、拓馬が!」

 黙する隼に千鳥が再びかけた声をかき消すように、派手な音を立ててドアを開きながらひよこ色をした髪のbelovedメンバーが転がり込んできた。
 尋常ならざる様子の仲間に椅子から立ち上がれば、彼は半ば泣きそうになりながら「拓馬が、拓馬が」と一番仲の良い別のメンバーの名前を繰り返す。
 その様子で何事かがあり、それが自分を、belovedを頼るべきことだと察した隼は険しい顔をする。

「落ち着け、日和。場所はどこ……いや、いい。案内しろ」
「足用意して!」

 千鳥の声に数人が急いで店の外へ向かう。
 隼は店を出て行ったメンバーのテーブルに残った水割り用の水を日和に飲ませながら、カウンターテーブルに肘をついて自分たちを見てくるバーを仕切るオーナーの親友に声をかける。

「沖島さん、会計後で」
「クソガキどもめ」

 口をひん曲げた沖島は犬を払うように手を振り、隼は苦笑を零してすぐにbeloved総長の顔で声を張り上げた。

「行くぞ、お前ら!」

 メンバーが一斉に返事をし、隼に続いて店の外へ出て行く。
 場所はHortensiaから左程離れていないらしく、バイクで向かいながら隼は日和から事情を聞く。
 そして、予想外の情報に一瞬だけ呼吸を止めた。

「白髪のヤクザっつうか、いや、あの髪多分天然だからマフィアなんすかね? とにかくやばいのに喧嘩売っちゃいまして、拓馬が――」

 いち日の間に白髪の暫定裏社会住人が何人も現れるだろうか?
 まさか。
 まさかだ。
 これから向かう先に、駆けつける先にあの男がいるのだとしたら――
 返事のない隼に日和が何度か呼びかけ、千鳥からも声が入る。
 隼はそのどちらにも言葉を返さないまま、無線を切った。
 beloved総長として、あの男の前に立たなくてはならないかもしれない。
 実力差は昼の出来事で十分に思い知っている。今も隼の腹は重い痛みが残っていた。
 隼の胸のなか、怖いのか嬉しいのか、訳の分からない感情が湧いては渦巻く。
 確かなことは、向かう先にいるのがあの男であればいいと、隼が期待していることだけだった。

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あきゅろす。
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