小説
一話



 べっこう飴色だと自称する目をほんの僅かに細め、振り返った彼は白い装いに月色を弾きながら言った。

「愛しているよ――たぶんね」



 白は後悔していた。
 後悔だけならば十七年生きていれば数えきれないほどするものであるが、それでも後悔していた。その後悔の深さたるや本能が警戒音を発しているのを無視して購入したコンビニの新商品を口にしたとき並である。
 白の前にずらりと並ぶのは風体よろしくない青少年。その数は百には届かない程度といったところだが、大人数であることには変わりない。
 ニヤニヤと嗤っている連中の手にはそれぞれ得物。
 かろうじて刃物は避けられているが、釘バットやらメリケンサックやら中には砂を仕込んでいるであろう鉄パイプを持っていればなんの慰めにもならなかった。ついでに言うなら先ほどからやかましい数台のバイクには刃物が装着されているので、熱烈なハグでもされたら夢見心地からそのまま現実へ帰ってこれないかもしれない。
 悲しいことに、本当に悲しいことに、彼らが手にする得物が振り下ろされる先は涙なくしては語れないことに、白一人なのだ。
 白は後悔していた。
 こんなことになるのなら通学の利便性しか考えずに高校を選ぶのではなかったと強く後悔していた。
 しかし、その後悔が白の表情に現れることはない。
 表情筋が勤勉という言葉を己の辞書から念入りに塗り潰している白は、生まれつき表情を動かして心情を語ることをしなかった。無表情で泣く赤子の気味悪さを忌避しなかった家族は強者揃いである。産婆の松平さんとて腰を抜かして御年八十歳にして腰痛持ちになったというのに。もっとも、両親は成田離婚済みなのだが。
 とにもかくにも、傍目には余裕綽々にしか見えなかったとしても白は後悔しているのだ。
 毎年まいとし退学者が絶えず逮捕者が出たり傷害致死までは誤差の内とでもいうかのような気の狂った底辺高校を通学の利便性だけで選ぶのではなかったと本当に心底後悔しているのだ。普通科だからまだマシとかいう奴は目の前にずらりと並んだ犯罪予備軍、細かくいうなら殺害事件被疑者候補数十名を見てからものを言うべきである。
 白は薄暗くなってきた周辺に丁度いいと一眼タイプのサングラスを外し、多くの日本人とは異なる色の目を晒す。
 その目は猛禽類によく似た薄い虹彩と鋭さを持っていて、白を数十人から袋叩きにされる悲惨な被害者には決して見せなかった。
 刃物よりもよほど物騒に光る白の目に気圧された己を鼓舞するよう、木刀を持った一人が雄叫びを上げて駆けてくる。
 大上段に振りかぶられた木刀と、それを持つ青年の血走った目。どちらも狂気の沙汰だ。

「はいはい、ご苦労様です」

 青年を横切る白い軌跡。
 振り上げられた木刀が落ちた。
 白は青年の腹に掌底をめり込ませたままぐっと腕に力を入れ、片腕で青年の腹を持ち上げて地面へ放り捨てる。

「……次はだれ?」

 自身の名前の由来となった白い髪をかき上げて、白は梟がするように首をぐるん、と傾げ、雰囲気だけでにちゃりと嗤った。



 立てば極道、座ればヤクザ。歩く姿はマフィオーソ。
 生まれつき白い髪と琥珀よりも薄い鼈甲のような色の目を持つ白は、それらで集めた視線を瞬時に散らすような物騒な目つき顔つき雰囲気を持っている。
 色の薄さに比例して光量に敏感な目を保護するためサングラスをよく身につけるのだが、完全にその筋のひとにしか見えなかった。かと言って遮光コンタクトにしたらしたで鋭すぎる目つきが顕になり、道行く人びとが泣いてしまうのだから仕方ない。白とて意味なく職質されたくないのだ。苦情を入れるのにも手間がかかることをお巡りさんにはよくよく理解していただきたいところである。
 ほんの数年前まではもう少し増しであった。成長期が全てを狂わせたのだ。
 織部白という思春期の高校二年生男子は現在、身長百九十二センチ。
 物騒な無表情に高身長という要素を与えられた白は端的に言って、思春期という甘酸っぱさや爽やかさ、気恥ずかしさというものがぶっ飛んで爆散するような威圧感の塊である。
 さて、そんな尖った雰囲気の同級生は、やんちゃ盛りの青年たちにどう映るだろうか。
 最初は白が普通科ということもあって少なかった接触は段々と相手のほうから積極性を増し、内容も濃いものになり、気付けば白は一部で大変な人気者になっていた。
 白は面倒くさいことが大嫌いである。
 通勤ラッシュにぶち当たる電車に乗りたくないがために学力度外視で高校を選ぶほどに大嫌いである。現在では急がばまわれという言葉の重みを噛み締めているが、当時はその場でビッタンビッタン陸に上げられた魚のように跳ね回るほど嫌だったのだ。
 白は最初、にやにや笑いながら絡んできた同級生から逃げた。素晴らしく躊躇のない逃走だった。
 次も逃げた。
 その次も逃げた。
 段々と人数を増やす相手に逃走経路を研究し逃げ続けた。
 けれど、節度を大切にする社会性に富んだ白と、傷害致死までは誤差とでも認識していそうな恐ろしい怪物ども、手段の幅や自由さは明らかに後者のほうが上なのだ。
 今までの手段では難しいと例年とは違う長期休暇の使い方を決め、山に住まう野生動物の姿に学んだ記憶は懐かしい。自然を感じ、自然のなかに己を感じることは自分のなかのなにかが目覚めそうだった。主に思春期に発症しやすい熱病とか。
 気付けば野うさぎの背後をとって抱き上げることにも成功した。あのもふもふさは忘れられない思い出である。なんといっても直後に先ほどまで誰もいなかった背後から「ほう、その歳でなかなかのものだ」と老人の声がしたのだから。この老人には山を下りるまで大変お世話になった。白は現在でも彼を人間ではないなにかだと思っている。
 長期休暇を明けて、今まで以上に磨きのかかった逃走技術。
 無表情の極道がくっそむかつく抑揚つけながら「うふふ、捕まえてごらんなさあい」とスキップスキップらんらんらんと小躍りしていれば相手さんとて腹が立つのは当然である。
 クラス、学年の垣根を超え、高校の不良と呼ばれる生徒全員が白一人を袋叩きにすること目指して一致団結した。その麗しい友情を知った白は「馬鹿かお前ら!!!」と叫んだが、友情には罅一つ入らないままとうとう白の逃走生活が終了する。
 人海戦術で絶たれた退路。
 しかし、白は進路を作ることが可能だった。
 逃げてばかりの臆病者と白に興味を持っていなかった連中まで釣れるようになって暫く、とうとう個人に対して数十人が集まってしまったとは悲劇通り越して喜劇かもしれない。

「あー、だるい……」

 流石に数十人を相手にするのはしんどいものだとため息を吐き、白は乱れた服装を直す。周囲は突っ伏す青年たちで地面が埋まっており、異様な光景が広がっていた。
 ぐるり、と見渡しながら白はこれで終わらないだろうことを考えてほんの僅か眉間に皺を寄せる。ささやかにしか動いていないはずの表情だが、白を戦争決めた極道に見せるには十分だった。
 多勢に無勢を覆した白に諦め、懲りるようであれば彼らはそもそもこの場にいないだろう。
 白が視界に入る度にそうするように仕込まれた動物よろしく向かってくる彼らを想像し、白はげんなりとしたため息を吐く。

「――そうだ、転校しよう」

 ふっと浮かんだ思いつき、心を定めてしまえば気持ちも晴れやか。
 芝居がかった仕草で両手を打った白はまるで踊るように歩きだす。
 その足が人生の岐路に向かっているとは露知らず、白の足取りはどこまでも軽かった。

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