小説
十六話



 施設は転移が禁じられている。
 緊急時には転移拒否の術式も解かれるのだが、それにも手間取るほどの状態であったことが駆けつけた国軍にはよく分かった。
 瓦礫の山。
 蹂躙された防衛術式が抗反応をそこかしこで発生させており、魔力感度の高い魔術師は頭痛を覚えて顔を顰める。
 襲撃者は既に立ち去ったのか、周囲は静かであった。
 出遅れたことに歯を食いしばりながら、ジルベルはさっと手を振る。

「班を組んで生存者を探し、救助にあたれ。異常は即緊急通信を」

 部下たちは声を揃え、敬礼を以って応えると即座に動き出す。
 階級、立場上、ジルベルがこうして陣頭指揮を執ることは多くなくなったが、今回は場所が場所、事が事であったため、英雄の「名声」ではなく「実力」が欲されたのだ。
 実力だけであれば「英雄」を温存させて代わりを務められるグレンがいるも、彼はあくまでフェリシテの私的な護衛であり政治に深く関わることは歓迎できない。
 ジルベルの勘では無関係ではいられないだろうが、現段階では帝国カスタニエに属するジルベルが動くべきであり、求められている。
 グレンは今頃、語弊があるものの本業に従いフェリシテの影にいるだろう。
 ジルベルは鋭い視線を少しも和らげず、自らも施設内を探る。
 立場上、盾になるような位置に部下がつくことも珍しくないが、今回は背後へ回している。邪魔だからだ。
 いざというときに動くことを求められている場では、ジルベルを守ろうとする動きはジルベルを妨げるものにしかならない。
 いつ天井が崩落するとも分からない内部を進み、時折入る負傷者、死亡者の発見連絡にジルベルの神経は研ぎ澄まされていく。
 施設には当然、警備のものがいた。
 特殊な施設故に、実力確かなものたちであった。
 彼らはドッグタグを残し、あとは「残骸」となっていた。
 事前に回されていた報告。
 前ガルディアン公爵夫妻、リム、マシェリの首飾り、翡翠の目をした男。
 バスタードソードへかかる片手で、ジルベルはとん、とんと韻律を刻む。

「閣下、ジケル・トゥラチェを救助……意識不明です」

 顔を見たばかりだ。ジケルの顔はすぐにジルベルの脳裏に浮かぶ。それでもジケルの表情、眼差し一つ揺らがない。
 更に奥へ進み、ふとジルベルは足を止める。
 落ちて砕ける部屋番号を記した金属板。
 〇〇二。
 手信号を背後へ送り、ジルベルはバスタードソードを構えながら、元は強固に施錠されていただろう部屋の崩れた壁から内部へ入った。

 瓦礫の山の下から既に乾き始めた血潮が広がり、駆けつけた部下が瓦礫をどかして一拍後に首を左右へ振るのにジルベルは頷き、これだけ破壊された周囲のなか、障壁が張られて無傷の水槽へ視線を向ける。

「……テオドラ・セレーネ、か?」

 水槽の前で乱れた呼吸を繰り返しながらも、戦闘態勢を維持していたのは円熟し肉感的な容貌誇る女。

「ええ」

 ジルベルを認めて柳葉刀を下ろした女、テオドラは微笑みながら肯定し障壁の解けた水槽へ寄りかかる。
 水槽にはテオドラの息子であるカミラが揺蕩っており、ジルベルが目配せすれば部下が急ぎ専門家への連絡を回し、部屋の外へ出て待機した。
 ジルベルは小さく詠唱して消音術式を展開する。

「状況の詳細は話せるか?」
「私とカミラはいつも通りの用事です。そこへ襲撃……彼は此処にも来ましたが、目的はカミラではなかったようですね」
「他と違って明らかに押し入ったように見えるが」
「間違えたのでしょう。カミラを見るなり、さっさと出ていきましたよ」

 安堵と危惧が表裏一体となっている事実だ。

「……オリヴィエに用はない、か」
「そのようでした……うふふ」
「なんだ」

 おかしそうに、けれど温度低く笑うテオドラはさらりと黒髪を揺らしながら首を傾げ、ジルベルの自分とはまた違った色合いの目を見つめる。
 そこにあるものを根こそぎ掻き出そうとするように。

「『オリヴィエに用はない』。もう此処にカミラの伯父はいないのだな、と。おかしなことです」
「相変わらず平然と死線に踏み込む女だよ。それで」

 ジルベルは金色の目を一瞬だけ閉ざして、それから真っ直ぐにテオドラを見つめた。

「襲撃者に見覚え、心当たり、特徴は」

 澄み切った眼差しはどんな虚偽も虚飾も取り合わず、真実、事実のみをすくい取るだろう。
 たとえば、すくい取ったものが汚泥であったとしても。
 テオドラは常の微笑を浮かべたまま、口を開く。
 ああ、彼女の微笑のなんと冷たいこと。
 伏せがちな目元は柔らかな造りをしているだけで、表情による変化など殆どないのだ。淡々と温度の低い目をして、唇ばかりが笑んでいる。

「生前、カミラが世話になりました。いえ、今も、と言うべきですね。カミラの身体調整は……ダブルペンタグラムの考案した薬剤と術式が大きく影響しているのですから」

 前線を駆け抜けているときと殆ど変わらないほどの自制心が働き、ジルベルは一切の感情を表に出さなかった。
 テオドラは続ける。

「黒い髪、濃い紫の目、カフスピアスは同じ。ですが、年齢は若返っていましたよ。最後に見たときから二十ほど」
「そうか。協力感謝する」
「いいえ」

 カミラを診ることのできるものが到着したと連絡が入り、ジルベルは短く応じるとテオドラにも同じ内容を告げ、崩れた壁のほうへと向かいだす。

「テオドラ」

 途中、歩を止めたジルベルの声音はこの施設を訪れて最も、あるいは初めてというほどに鋭い。

「なんです?」
「――ダブルペンタグラムは逝った。生き抜いて、死んだ。死者は蘇らない。間違えるな」

 歩を再開させたジルベルの背後で温度のない笑い声がする。

「『英雄』、お前はいつから人間になったつもりでいるのです?」

 ジルベルは答えない。
 答える必要もない。
 国軍に属し、皇帝の剣にして盾であり、英雄にまで成り果てようと、彼がジルベル・ダルクハイドであることをやめたことなど、ただの一度もないのだから。

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