小説
十五話



 こぷ、と男はこみ上げた血を口から溢れさせ、その場に崩れ落ちた。
 酷い頭痛がする。
 体の中は無茶な術式干渉の反動でぐちゃぐちゃだ。
 元々、耐用年数など度外視で設計されている体である。事が済めば、用を成せばさっさと自壊を始めるだろう。
 そして、それはもう目前のこと。
 男は退屈そうに血混じりのため息を吐く。
 これから酷い騒動が起きるだろう。
 もしかすると、再び世界を巻き込む戦乱の時代が来るかもしれない。
 でも、ならないかもしれない。
 どうなるのか、これからのことに男は興味がなかった。
 男の目的は、男の魂核の元となった研究者の拾い損ねた種が芽吹くか否かの確認だ。
 そのためだけに、研究者は男を遺した。
 この世界にとっては負の遺産。
 研究者にとってはなんてことのない、昔の忘れ物の回収。
 自らが死んだあとであっても構わない。
 始まるか、始まらないか。
 石が坂を転がり始めるときが、その瞬間だけが、研究者の興味を満たすのだから。
 転がり落ちていく石の行く末など、どうでもいい。
 砕けようが、停止しようが、水底へ沈もうが、それは研究者の関知するところではない。
 銃であれば引き金を引くまで。
 標的に命中するもしないもどうでもいい。
 性交であれば射精するまで。
 孕むも孕まないもどうでもいい。
 結末も結果も、どうでもいいのだ。
 けれど、停滞と停止はだめだ。
 石を用意したのなら、転がさなくてはいけない。
 研究者は自身の足で石を転がさなくても、自身の目で石がどう転がるか確認しなくても、まったく構わなかった。
 石を転がす代わりの存在を用意した研究者は、とうの昔にこの世にいない。
 歴史に名を残す大罪人。
 ドールを創りだし、世界中にばら撒いて世界地図を戦火で燃やした研究者。
 研究者の魂核を持つ最後の複製体である識別記号もない男は、刻一刻と消え行く命の灯火によって暗む目で自らが研究者に変わって蹴った石を見つめる。
 彼の存在そのものは魔力に解けて肉体を一切残さなかったため、その肉体を育んだ存在を用いて素体を用意した。
 動かすための魔力もまた、彼の存在のものを注いである。
 石は置かれ、準備は完了した。
 あとは「あの魂核」を受け入れることができるかどうかを、見届けるだけである。
 転がるのか、その場で砕けるのか。

「ああ……――転がった」

 疲れきった声で呟いた男の全身に、まるで葉脈のような血管が浮かぶ。
 血液よりも余程男の体を生かすのに必要な魔力が循環不良を起こし、暴走を始めたのだ。
 もう、男にこの暴走を抑える術はなく、その気もまた存在しない。
 自壊に身を任せる視線の先、眩いまでの魔力が迸っているのに男は瞼を下ろす。
 ぶつ。
 ぶつん。
 ぶつん、ぶつん、ぶつん。
 ぶちブちブチびヂッばつばヅばヅンッ。
 ――パんッ。
 肉の引き千切れる音の後、破裂音。
 広がる血潮は魔力だけが解けていき、やがて僅かな赤と肉だけが残った。



 テオドラは微笑を浮かべたまま簡素な椅子に腰掛けていた。
 椅子の後ろには大きな水槽に似た設備があり、薄っすらと青い液体で満たされた水槽の中にはカミラが揺蕩っている。
 カミラの手足には幾本もの管が繋がっていて、時折走る影がカミラになんらかの液体、薬物を投与していることが窺えた。
 事前知識のない一般感性を持ったものが見れば、まず間違いなくカミラが実験動物かなにかの扱いを受けているものと判断するだろう。
 それは誤りだ。
 検査こそされているが、カミラには実験対象ではない。
 投与されている薬物はむしろ、カミラを生かす、その身体を保つために必要なものであり、カミラの特殊な生まれから彼の肉体は複雑な造りをしているため、薬物による調整は殆ど肉体を内部から組み替えているにも等しい。よって、投与中は一時的に眠らせているのだ。
 どうして意識ある状態で、体の中身をぐちゃぐちゃにこねくり回されるような思いをしたいだろうか。
 そばには唯一無二の肉親であるテオドラもおり、この施設内においてカミラが眠ることに危険はない、はずであった。

「まさか、大戦も終えて二十年を超えているというのに、この施設が襲撃されることもあるのですね」
「いま、転移の準備を進めています」
「カミラはまだ出られないのでしょう。途中で投薬を止めれば酷い後遺症が起きる可能性があると聞いています」
「……此処は死守される、するはずです」

 テオドラは椅子の上で足を組み、忙しなく動く職員を眺める。
 ほんとうは、自ら襲撃者のもとへ行きたい。
 襲撃された場所がこの施設でなければ、そうしていた。
 だが、帝国カスタニエにおいて機密に近い場所で下手な真似はできない。

「カミラ、その体を早く強靭なものに安定させなさい。あなたが弱ければ母は出かけることもできません」
「……セレーネ、おとなしくしていてください」
「老骨はなにか言っていましたか?」

 職員の必死な言葉を受け流し、問い返すテオドラに諦めさえ滲ませた職員であったが、激しく揺れた施設に舌を打つ。

「所長がなにを言っていたところで、あなたには何も関係ないのでしょう」
「ええ、私は戦いが好きです。私が戦うことを誰かに制限されるのも、管理されるのも、我慢がなりません。そうしたいのなら、私をねじ伏せてみせればいいのです」

 テオドラの目が懐かしそうに伏せられる。

「片目の機能さえ失った手負いのあのひとでも、できたことです」
「……彼は……ッぐ!」

 先程の比ではない揺れ。
 聞こえる破壊音。
 どこかで爆発が起きた気配。

「くそ、時間が……セレーネ、濃度を上げます。目覚めたときに恐らく暫くは不調に見舞われるでしょうが中断するよりましです。投薬完了次第転移を……」

 破壊音。
 椅子へ掛けるテオドラの視線の先、廊下側の壁が吹き飛ぶ。
 まるで、テオドラと境界線を作るように吹き飛んだ部屋は、あっという間に瓦礫の残骸に埋もれる。
 テオドラが少し廊下とは反対に視線を向ければ、瓦礫の山から赤い血水がとろとろと滲んできていた。
 テオドラは視線をすっかりと開放感溢れるようになった廊下へ視線を向ける。
 こつ、こつ、と足音。
 微笑みながら立ち上がるテオドラ。
 瓦礫の道を越え、足音の主が姿を現す。

「ふふふ……随分と懐かしい姿ですね」

 紫黒の魔術師は表情を浮かべぬまま、濃い紫の目でテオドラを、彼女の後ろの水槽を見つめた。

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あきゅろす。
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