小説
十一話
男は絶望している。
「急ごしらえの素体としては上々かな」
内容の割に興味薄く、男は培養液の中身に冷めた視線を向けている。
ふと男の視線が考えるように斜め下を向き、化け物じみた演算能力で一切の外部入力された数値もなく素体の成長における要素の過不足を弾き出すと、培養液の濃度を調整して培養槽のすぐ下に座り込んだ。
ぼんやりと退屈そうに足を投げ出す男は、それでも頭を目まぐるしく動かしている。
「『核』を取り入れて、どうなるかな。『肉』はいまのところいらないけど、まあ、そのときには私には関係ないか」
男はかふり、と欠伸を一つする。
休みもなく動き続けて体は限界だ。
男自身にはどうでもいいことだったけれど、そうするようにと指示を刻まれているのだから仕方がない。
「お前だって興味があったわけじゃないだろうに」
母国も祖国も存在しない男は、純粋なカスタニエ語で謳う。
――生まれるは苦痛、生きるのは困難、死ぬのは面倒である。
人間は唯一、己が必ず死ぬことを知識に備える生き物だ。理解しているのとは別だけれど、死が必ず訪れることを知っている。
本来であれば成長とともに実感する死の概念を、男を生まれたときから、あるいは生まれる前から知っていたし、きっと理解も実感もしていた。
それなのに生まれる苦痛は筆舌するにも億劫なほどで、かといって能動的な死も、死に備えて行動することも男にとっては面倒であった。
唯一、男が気楽でいられるのは、己の生命活動が近く処理されることを確信しているからである。
それまでの間は、刻まれた指示に流されるように行動するまでのこと。
男は絶望している。
生を受ける前から現在に至るまで、小さな隙間もほころびもなく一切の希望を抱いたことがない。
望みを持たぬ男は、ひたすらに絶望している。
「――翡翠色の目をしていた、と」
筆頭宮廷魔術師の夫と子どもが襲撃された事件は、個人の出来事として処理されることなく発展していた。
襲撃された際に奪われたものが亡きダブルペンタグラムという魔法使いにして皇后の騎士、本人も皇族であったものの形見であることだけでも話が広がるには十分だが、イルミナが判じた犯人の目的が「魔法使いの魔力」であることが驚くほどあっさりと理解を得られたのだ。
秘され、イルミナは知らなかったことであるが、魔法使いの生家、両親の墓が荒らされた事件があったことも理由に大きい。
加えて、回復を見せたリムの証言した犯人の特徴が、カスタニエの中枢、軍部に激震を走らせた。
「彼の男の絵姿を見せたところ……ほぼ間違いないようです」
「馬鹿な、有り得ない。確かに死んだはずだ」
「確かに有り得ない、そのはずだ。だが、我々は都合の悪い可能性を切り捨てる愚かしさを学んだはずではないのか」
「彼の兇漢だとして、何故いまになって現れたのか」
「…………再び、戦火を燃え上がらせようとしているというのか……っ」
静まり返る室内。
集まるのは机上を戦場とする文官に、武力を以って護国を為す武官。
そして、カスタニエが誇る賢帝に、麗しの皇后。英雄は黙し、護衛として主君のそばにある。
「大戦の再現は不可能でしょう。ドールは一部例外管理されているものを除き、殲滅されております。技術もまた大戦の世代の脳以外にない。我々はあのときよりももっと上手くやります。もっと早く、もっと上手に、我らが愛しき家族に、恋しきひとに、親しき友に爪牙届くより早く、素っ首揃って落としてくれましょう」
大戦の最中、前線を駆ける姿を処刑人と呼ばれた皇帝は朗らかに笑みながら、両手の指先を合わせる。
老いても尚、嫋やかな仕草の似合う夫の隣、皇后フェリシテもまた口を開いた。
「先代ガルディアン公爵夫妻が『採取』された件と、バゼーヌ宮廷魔術師の夫、及び娘が所持していた発話人形の首飾りに宿る魔力、これらは我が騎士に由来している。
――大戦時、人工的に『魔術師』を創りだそうという研究があったことを覚えているものはいるか」
視線を交わしあった文官、武官は「まさか」という表情で冷や汗を浮かべる。
「我が騎士は目指すべき見本として多くの記録をとられ、とうとう『魂核』の試作ができるまでに研究は進んだ」
「ですが、その『魂核』が適合する『素体』は完成に至りませんでした。ならば、彼の『義体』を用いる案も出ましたが、ご存知のように『義体』は上書きも初期化もできません。無理やり『魂核』を押し込めばあっという間に欠陥まみれです」
まっさらな容れものである「素体」と、個人に合わせた入れ替え容器である「義体」では、造りも用途も全く違う。応用するにも無理があった。
「魂核」はあるのに「素体」がない。
惜しむ研究者は「魂核」の試作となった彼に、肉体の複製実験、あるいは実験用に子どもの提供を求めたが、前者は彼のあまりにも純粋な魔力濃度に肉体は生成する前から魔力として拡散されて失敗に終わり、後者は――激怒した彼によって研究の永久凍結をするまでに到った。
だが、と皇帝は碧色の目を細める。
「もしも、あの研究が進められていたら? 別の視点から、別の形で結果を出していたら……『彼』が生まれる、創られる『元』から『素体』を創りだしたとしたなら」
誰かが唾を飲み込む音がやけに響く。
きっと、全員の気持ちは同じであっただろう。
あまりにも、死者を冒涜している、と。
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