小説
八話



 トゥールビヨンに入った通信、応じたジケルは苦笑いを浮かべて立ち上がる。赤い目元をしているが、揺らいだ感情の波は既にない。

「客……患者が来ていたようです。まったく、事前連絡もなしに……」
「此処に患者っつうと……」
「テオドラとカミラですよ。もう少し待たせます。こちらのほうを放置などできない」
「同席するか?」
「テオドラに絡まれますよ」
「いい女だがね」
「英雄色を好むとは謂いますが、お歳を考えてください」

 ジケルは魔道具を起動させて投影鏡の向こうへと語りかける。

「ヴァーミリオンさん、お疲れ様です。出られる際は先程と同じところからどうぞ。手当てしますが、術式と回復薬、外科治療、お望みのものはありますか?」
「選ばせる親切見せんなら、飲みもんだののほうに気を回してやれよ」
「ああ、そうですね。すみません、飲み物なんて眠気覚ましか惰性かくらいかでろくなものを揃えていなくて」
「予算回ってんだろ……」

 幾ら派手に活動させるわけにはいかない施設とはいえ、予算をもぎ取ることに心血注いで獣になる必要性とは無縁なほどにこの施設は予算が降りている。にも関わらず、何故職員は、とグレンはしょっぱい顔をした。

「すみませんねえ、軍人殿。我々は研究者なもので。ヴァーミリオンさん、治療は術式にしますね。飲み物は……あ」

 魔道具を停止させていなかったので、ジルベルとジケルの会話は筒抜けである。
 グレンは付き合っていられないという様子で試験場を出ていった。
 入れ替わるように駆け込む職員が、泣き笑いを浮かべているのを見て、ジケルは投影鏡を停止させる。

「ヴァーミリオンには回復薬だけ届けとけ。あとは放置で気にするやつじゃねえ。むしろ、構われたがらねえよ」
「分かりました。閣下、こちら回復薬です」

 ジルベルは大げさに額へ手を当てて、天井を仰いだ。

「お前らって堂々と俺をパシリにするよなあ……」
「技本のバルテレミーより増しですよ。当時は何度あいつから閣下への恨み言を聞いたことか」
「俺だって折りたくて剣折ってたわけじゃねえよッッ!!」
「はいはい、よろしくお願いしますね」

 ジケルはぽいっと回復薬をジルベルへ投げ渡し、廊下へと出ていく。
 直前、足を止めたジケルは肩越しに振り返って穏やかに老いた笑みを覗かせる。

「ヴァーミリオンさんは、ダブルペンタグラムともう一度会いたいとは思わないそうです」
「死人は蘇らないからな」
「ええ。ですから……今回の件がこちらに回ってきたとき、私も申請していたのですよ」

 ジルベルは目を眇め「なにを?」と促した。

「ヴィオレッタの破棄を」
「……残しておいたのが、俺には不思議だよ」
「ほんとうに。当時ですら耐え切れる素体を用意できなかったのに、このご時世では尚更ですよ。ブランと違って残していても、どうにもならないし、どうするつもりもない。それなのに、いつまでもいつまでも……あんまりでしょう」

 肩を上下させ、ジルベルはジケルを押しのけるようにして廊下へ出る。
 片手に持った回復薬を渡す相手は、グレンは死者にもう一度会いたいとは思わないと言う。

「ヴィオレッタの存在を知っても、顔色一つ変えないんだろうな」

「だからなんだ」とでも言えば上々、恐らくは興味一つ持たずに聞き流して終わるに違いない。
 ジルベルは苦笑いして、試験場近くの廊下で座り込むグレンに「よう」と声をかける。
 だらりと投げ出された腕というにはお粗末すぎる残骸。額も割れているし、他にもところどころ折れたり避けたり破裂したりと忙しい。

「お前さん、よく生きてるなあ」
「あ? 誰が死ぬか」
「人間、死ぬ時は死ぬよ。人間に限らねえけど」

 ジルベルは己がされたように回復薬をグレンへと投げる。
 重傷を負っている相手には、あまりにも配慮の欠けた行動だが、グレンは動くほうの腕で容易く掴み取った。
 口を付けて、傾けられる回復薬。
 完成形は振りかけるだけでも同じ効果をもたらすものとのことだが、技術、材料、資金の均衡から実現が難しい。
 開発者が没したというのも、歩みを遅くさせる要因だろう。
 死とは、故人とは、直接感じられなくとも、見渡せばそこかしこに色濃く存在を主張して、また消えていく。
 奇しくも、その存在感の消失に気づいたときこそが、故人の死がもっとも強く感じられるのだ。

「ああ、そうだ。ヴァーミリオン、そろそろマシェリちゃんの魔力補充しにいってやれよ。お前さん、バゼーヌのところが引っ越してから一度も行ってねえんだって?」

 何故知っているのかと、面倒くさそうな態度で視線をよこすグレンに、ジルベルは呆れる。
 グレンは同郷のふたりにすらこの態度なのか、と。
 もちろん、自分よりもよほど気にかけていることは知っているが、それはグレンの個人的感情とは少し違う。個人的感情でいうのなら、己に、己の剣に対するもののほうが強いだろうとジルベルは事実として理解している。

「お前はさっぱり忘れてんだか記憶にとどめてねえんだか知らねえが、俺、国軍の元帥の一人」
「あのガキは……」
「お前さんがガキって言ってるほう、子持ち既婚者だからな。ったく、バゼーヌは……『コンダクター』は――」

 トゥールビヨンに入った通信。
 それはジルベルとグレン、ふたりのものからであった。
 予感。
 それは、戦場を知るものの勘。
 冷静に応じたジルベル。
 怪訝に応じたグレン。
 部下の報告を聞きながら眉間に皺を寄せるジルベルは、グレンのトゥールビヨンから漏れ聞こえる悲痛な叫びに嵐を予想する。

「っグレン、リムが……! マシェリの、お師匠のカフスピアスが奪われて……! お願い助けて……『お師匠の魔力』でなければ、どうにもできぬのじゃ……ッッ!!」

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