小説
六話
「流石はヴァーミリオン。流石は……ダブルペンタグラム、だな」
「これは、閣下」
グレンとブランが戦闘中の特別実戦試験場、その管理室に設置された大きな投影鏡を見つめていたジケルは、背後からかけられた声に驚いた様子もなく振り向いて椅子から立ち上がった。
聞こえた声が別のものであれば驚くなり、警戒するなり、瞬時に警報を発動させるなりしただろうが、聞こえてきたのはよく知るもの。英雄、ジルベル・ダルクハイドそのひとの声なのだから、なにも問題はない。
ジルベルは投影鏡を見上げ、愉快そうに唇を吊り上げている。
「でも、それじゃあ『オリヴィエ』を無力化できない」
投影鏡からも漏れる眩い光。展開された魔法陣から放たれる熱線。
もしも、場所が技術の粋を尽くされた特別実戦試験場でなければ容易く周囲を焼き尽くすであろう熱線はしかし、届かない。
――魔法には、届かない。
ブランに向かって炸裂した光。
須臾、光すらも飲み込むような形容できない衝撃音……否、衝撃そのものが投影鏡の向こうで発生する。
管理室内の計器が狂ったように反応し、幾つかは警鐘を鳴らすも、ジケルはなんでもないようにそれらを黙らせた。
「どうですか?」
「変わらねえなあ。ほんとうに寝起きかよ」
ジルベルが見つめる先で、塵も残さず人体を焼き尽くすことが容易すぎる熱線は、消失している。かき消されている。
より上回る、理不尽な、圧倒的暴力によって。
対ドール殲滅用ドール、オリヴィエ。
帝国カスタニエにて造られた特殊なドールは、これから先、歴史から名が消えることのないであろう研究者が製作に携わっている。
オリヴィエの銘を冠したドールは三体。
試作型、ブラン。
完成型、ユーグ。
試験型、カミーユ。
ユーグとカミーユはカスタニエの軍人として戦地を駆けたが、ブランは全世界において統一開戦宣言がされる三年前に研究施設より逃亡。ついに自律機能停止するまで捕縛は叶わなかった。
これは、ブランの製作に携わったものたちにとって、意外ともいえることであり、納得の事態でもある。
ブランは試作型ということもあり、主に身体強化、身体能力向上限界を調べるためのドールでもあったので、術式行使に必要なものは最低限に留められていた。魔力の保有量を補えるよう、呪歌を搭載されるも焼け石に水だ。
ブランは術式が殆ど役に立たぬ状態で、超大国から逃げおおせていた。
そう、その身一つで。
――放たれた熱線に対して、ブランがとった行動は単純である。
腰に構えた拳が、体を横に向けるのと同時に突きを放ったのだ。
たった、それだけのこと。
拳による突き技。
それだけのことが、あってはならないほどの暴力を持ち、空間を揺らし、次元を震わせて風景にずれを作り、熱線をただただ屈服させる。
ブランは、術式を実戦で役に立てられない。
だが、そんなものはなんの弱みにもならない。
暴力。
純粋な暴力。
世界が定める形にほんの僅かであろうと、傷をつけることを可能にする、理へと達した暴力。
ブランの暴力は、魔法の域にある。
「……はは!」
抗反応で爆ぜる空間、歪む景色の向こうで無表情に笑うブランを見て、グレンはぎり、と奥歯を軋ませる。
一見、冷めたような表情をしても、浮かび上がった咬筋が、据わりきった目が、グレンの煮えくり返った腸のくつくつという音を伝えてくるようだ。
「目が覚めた。流石に四十年近く? まあ、そんなくらい寝てると色々呆けてるもんだ」
ひらひらと熱線をかき消した拳を振って、振って、ひらひらと、ブランは姿を消した。
衝撃。
側頭部へ凄まじい勢いで叩き込まれた蹴りを間一髪防いだグレンの片腕は、装備をまとっているにも関わらず、小枝のように骨が砕ける。
表面の皮膚、肉も破れ、びっ、と音を立てて周囲に撒かれる血飛沫は、遠目に赤い小花でも描いたようだ。
風を切る音も置き去りに、どんな体幹をしているのか、グレンへと叩きつけられたブランの脚がそのまま真上へ持ち上げられて振り下ろされる。
頭蓋骨を貫いて脳漿ぶち撒けながら、ブランの脚が己の頭を首を超えて肩へ減り込ませてそのまま圧し潰す様が容易く想像できたグレンは、しかし現実にして堪るかと腕の痛みも無視して神業とも云える回避を見せる。
破壊を防ぐための術式が異常なまでに敷かれていることなど関係ないように、ブランの脚は降り積もる枯れ葉を散らすように床を砕いた。
砕き、砕いた脚を軸に一瞬でグレンの眼前へと跳ぶ。
「Peek-a-boo」
顔の左右でぱっと広げられたブランの両手が、いつのまにかグレンの顔を鷲掴みにして勢い良く引き寄せる。
「ッッ――!!!」
揺れる脳。
頭突きの衝撃は叫んだ「呪歌」による強化の三乗掛けでも殺しきれない。
否が応でも崩れた体勢、殺気はないが、グレンはブランが呆気なく、ただそうなるから、必殺となるだけの暴力を振るおうとしているのを察する。
腹立たしいことだ。
心底、腹立たしいことだ。
でも、楽しい。
とても、楽しい。
とてもとても、胸が弾む。
血湧き肉躍る高揚感。
こんなに楽しいのは、こんなにも手応えを感じるのは、これほどの強者と見えたのは、どれほど振りだろうか?
見えるだけならば、思い浮かぶ顔はある。
けれど、相対したのはもう随分と遠い記憶ではないだろうか。
悪趣味なのか、性根が曲がっているのか、ブランは蝶を捕らえるようにグレンのひしゃげた腕を掴み、ぐしゃりと握り潰す。
ご丁寧に皮膚の内側で肉と骨をすり混ぜるようにぐりぐりと握り締めて、揉み解して、丁寧にていねいに腕を破壊する作業を瞬きの間に行ったブラン。
剣士の腕をこれでもかと壊して、もう使い物にならないのだと痛みで、視覚で、音で教え込むブラン。
「どんな気持ち?」
がくん、と骨が折れたような動きで首を傾げて、物狂いだってもう少し増しなことを言うだろう質問をしてくるブラン。
ブランの暴力は行動でも、言葉でも酷い有様だ。
なんて、忌々しいこと。
ブランの振りかざす暴力に、大海へ浮かぶ木っ葉のように流されそうになるのをグレンは己に許さない。
強者と相対するのは楽しい、望ましい、心が躍る。
けれど、強者を求めるのは強者を打ち倒し、踏破するまでを含めてのことだ。
グレンは己の力が万物に通用するとも及ぶとも思っていないが、目の前に立ち塞がるものがあったとき、及ばなかったとき、それを良しとできるかは話が別だ。
「おい、糞野郎。さっきから手癖足癖悪いんだよ」
そもそも、グレンはブランという存在に苛立ちを覚えていたのだ。
その珍しい感情を持て余して放置するなど、グレン・ヴァーミリオンには有り得ない。
膨大な魔力があるからこそできる技。
勢いに任せて叩きつけるように放出された魔力は、魔法に達さぬ威力で放たれるブランの暴力では叩き潰すことができない。
二歩分吹き飛び、靴と床が凄まじく擦れる音を立ててブランの体が後退していく。その姿を、強化術式をかけた身でグレンは追いかけていた。
片腕が使えない。
大したことではない。
そういえば、この腕はいつか我が身から離別した側の腕だとグレンは嗤う。
あのとき、グレンは隻腕の己を当然に受け入れた。
その後の苦労も、ままならぬ日々への鬱屈も、なにもかもをその瞬間で咀嚼し、飲み込み終えた。
いま、両腕が揃っているのは本来であれば夢物語に等しく、ならばこそ、片腕が使えない程度のことは――
「大したことじゃあねえよ」
自分がどんな表情をしているのか、グレンは初めて変わったブランの表情で知る。
僅かにでも引き攣った口元。
何処に回避しようと、どれだけ防御しようと、必ず追いつき、必ず崩す。
確定された事象だ。
理解するからこそブランもまた動かない。
構えた剣がブランへと吸い込まれた瞬間、深い緑色の目と、飴色の目はかちり、と合わさった。
「あー……やだやだ、マスターと…………うちの子と……同じ色……」
特別実戦試験場に抑揚も感情もない、平坦で少し割れた音声が響く。
――ブラン・オリヴィエの沈黙を確認。
――繰り返します。
――ブラン・オリヴィエの沈黙を……
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