小説
五話



「はっはー、なにこれなんの冗談? 英雄サマ並の剣技とか聞いてない。やだ、事前情報不足酷すぎ、帰っていい?」

 ブランはグレンの久しい全力に対して、ひらりひらりとまるで重力など知らないかのような動きで回避をとり、無表情でふざけたことを言い出す。
 ブランはとにかくひとの神経を逆撫で、引っ掻き、弦楽器かなにかと勘違いしているかのように激しくかき鳴らして不協和音を奏でる相手であった。
 それはもう、グレンに不愉快だと思わせることに成功するほどに。
 平素、グレンは他者に不快感を覚えることは多くない。それほど他者に興味を覚えることも、認識することもないからである。
 罵詈雑言の類も同じく、グレンの耳に届くだけの内容は限られており、またその内容を口にしたのであれば今までの無反応はなんだったのかというように、鋭い視線が相手へひたりと据えられるのだ。
 そんなグレンが初対面の相手のたわ言を不愉快に感じる。

「怒ってる? ねえねえ、おじいちゃん、怒ってる?」

 がっくんがっくん首を左右に揺らしながら訊ねてくる無表情をぶん殴れたらどれだけ気分がスッとするだろうかと、グレンは渾身の一撃を見舞うのだが、ブランは「あらやだ、怖い」とあっさり身を引いて避けるのだ。
 ひとを小馬鹿にすることに全力を賭けているとしか思えないブランであるが、同時に現状、つまりはグレンとのやり取りを早く終わらせたいとも思っているようで、つまらぬ回避行動に専念したりはしない。もちろん、グレンの剣筋を乱れさせるつもりであれば「捕まえてごらんなさあい」と言いながら踊るような足取りで逃げ回るのだが。
 琴線に触れるのではなく、神経をざりざりと引っ掻き、怒りではなくむかむかとした苛立ちを覚えさせる相手に、グレンは初めて出会ったかもしれない。

「ほらほら、そんなに怒ったら血管切れちゃうぞ! お歳なんだから気を使わなきゃ。小魚食べてるう?」

 無表情のくせにやたらと高い抑揚の声音がここまで腹立たしいなんて、グレンは知らないなら知らないまま生きていたかった。
 そんなブランとグレンを引き合わせたのは、そのように長く手を回していたのは――相棒だ。
 どんな顔で、どんな態度で、どういう気持ちで、ブランを相手にしていたのか。
 大戦最中の心中を推し量ることはできても、自身にすら初めての感覚を刻みつける相手に相棒がどう接したのか、グレンでも想像に余った。
 いや増す剣戟、いなす相手は指貫手套の拳。
 剣を弾けば、剣と変わらぬ鋭さ持った脚で襲い、それを避けられてもすぐに姿勢は元通り。逆に反撃を食らってグレンは既にあちこちを負傷している。

「さっさと本気出せよ。出し惜しみしてんじゃねえ。俺は早く寝たいって言っただろ? 若くてピッチピチのブランくん起動年数で言えばまだ十代はおじさまに引き止められても嬉しくないです」

 挑発のつもりはないだろう。
 ブランは心底大真面目に言っているとばかりにため息を吐いており、投げやりに指先でグレンを招いている。
 舌打ち一つ。
 こんな相手に、と思うのは苛立ちを覚えたグレンの勝手なこだわりだ。
 これほどの相手には、という言葉こそが現状相応しいことを、グレンはよく理解している。
 躊躇は死に直結するのだ。
 無拍子。
 前触れもなく、それこそ詠唱もスペルを刻んだ様子もなく、グレンの前に展開された魔法陣。
 ブランの飴色の目が見開かれ、縦長の瞳孔がきゅう、と針よりももっと細くなる。

「おい、ちょっと……っ」

 耳鳴りも一瞬、眩い光を放つ魔法陣を、グレンはその裏側から拳で殴りつけた。

「ッ待てってええええええ……!!!!」

 轟と鳴る。
 極大な熱線が魔法陣より射出され、ブラン目掛けて真っ直ぐに飛んでいった。



 メイベルが庭先で花冠を作っていると、その体を覆うような影が差した。
 ぱっとメイベルが顔を上げた先には弓なりになった薄紅色の目。メイベルと同じ目。同じ色。

「お父さん!」
「ただいま。元気にしてたか?」
「元気!」

 ぴん、と片手を上げて満面の笑みを浮かべながら答えたメイベルを、数日振りに帰宅した父もいっぱいの笑顔になってひょい、と軽々抱き上げる。
 高くなった視界にメイベルがはしゃいでいる間に、父はマシェリにも帰宅の挨拶を告げて「おかえりなさい、旦那さん」と応える少女人形に苦笑を浮かべていた。
 父はメイベルを抱き上げたまま家のなかへ向かって歩きだし、メイベルは落ちないように父へしがみつく。

「メイベルが元気そうでよかった。元気なのが一番だ」
「でも、お母さんにはお転婆が過ぎるって言われることもある」
「あはは! 大丈夫、お前のお母さんもお祖父ちゃんやお祖母ちゃんにはよく言われていたから」
「じゃあ、私もお母さんみたいになれるのかな?」

 家の中に入り、椅子の上にメイベルを下ろした父は視線を合わせるように腰を折って、メイベルの頭を慈しみ深く撫でた。
 メイベルは父の荒事を知る傷つき、固くなった手が好きだ。
 誰よりも守ることを知っているひとの手なんだと、母が自慢していたから、メイベルにとっても父の手は自慢の素敵な手なのだ。
 そんな手で頭を撫でられるのを堪能していると、父は惑うように吐息を震わせ、それからようやくひゅ、と短く息を吸った。

「メイベルはメイベルのままでいいんだよ。どれだけ顔が似ていたって……こどもの頃の過ごし方が似ていたって、メイベルはメイベルで、お母さん、イルミナと俺のたった一人の大切な娘なんだから」

 父の愛情を隠さない言葉がいつだって気恥ずかしくて、メイベルは俯いてしまうけど、とてもうれしいのだと父はどれほど理解してくれているだろう。
 メイベルははっきりと言葉や態度で返すことができなくて、ただ父の服の袖を握って引っ張る。

「ん?」
「あのね……お父さんのいない間はお留守番することが多かったから……疲れてなかったら、お出かけしたい……」

 帰ってきたばかりの父に我侭であったか、と恐々申し出るメイベルに、父はとてもうれしそうに「もちろん」と頷いてくれた。
 メイベルは久しぶりの父の存在も、そんな父と出かけるのも、なにもかもが楽しみだった。
 楽しみだったから、この後なにが起きるかなんて、悪い想像はするはずもなかった。

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あきゅろす。
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