小説
一話



 もう一度、その眼差しを向けられることがあるのなら。



 酷い雨が降っていた。
 雨除けのためか深く被ったフードの奥で、退屈そうな目がしかし直向きに前を向いている。
 病でもしたのか、痩せこけてはいるけれど、歩みを止めない足取りは力強い。
 無作法極まりないことに。
 ガルディアン公爵領、ニュイブランシュ=エタンセル家墓所。此処は男がいて良い場所ではない。
 にも関わらず、男は無遠慮に進み続けて、とうとう一つの墓石の前に立つ。
 ちらりと視線を向けた墓碑銘は、後世でも決して色褪せることなく語り続けられるであろう偉人の名が、彼の二つ名とともに刻まれていた。
 男の目が細まり、歩みが再開される。
 再び男が立ち止まったのは現ガルディアン公爵の両親である、先代公爵夫妻の墓石の前であった。
 風が吹き、男の顔が露わになる。
 大粒の雨に晒されながらも、男の表情は退屈そうであった。



 鉄の愛国者と畏敬の念を向けられるのは、帝国カスタニエが重鎮ヴェルメイユ・ド・ニュブランシュ=エタンセル・ガルディアン公爵。
 老齢と云える公爵はしかし、老いによって背を曲げることも国家安泰を第一に考える頭を鈍くも固くもさせず、常に颯爽とした足取りと手腕で祖国を支えている。
 その厳しく、穏やかさとは縁遠い面はもたらされた報告によって冷えた熱を宿した。

「……我が公爵家の墓を荒らす輩がいるとはな」
「警備のものが数名遺体で発見され、敷かれた術式も突破されておりました」

 ヴェルムは書面に目を通し、己が父母に関する記載に長く細い吐息を落とす。
 激怒して然るべき事態だ。
 犯行に及んだものは大罪人……否、皇族の墓所を荒らした時点で最悪の大逆者である。
 しかし、ヴェルムは表情に浮かべる感情すら最低限に、事態へ向き合う。
 王侯貴族として容易に感情を表すなどあってはならず、まして激して冷静さを欠くなど愚の極みとしてヴェルムの忌むものであったのだ。

「……それなりの実力者であるらしいな。故に、不穏だ」

 状況に穏やかさなど一片もないが、ヴェルムが危惧するのは「何故墓を暴いたのか」という点。
 警備兵も墓所に敷かれた術式も突破できる実力があるのならば、職に困ることはないだろう。どの程度、名が上げられるかは不明であるが、少なくとも貴族の、皇族の墓を暴くほどに切羽詰った生活はありえない。
 そも、先帝第二皇子、大公息女である先代公爵夫妻の墓のみが荒らされている点がヴェルムに強く訴えるものがある。

「金品目当てであれば、先代公爵夫妻、我が両親を『採取』する必要などあるまい」

 ヴェルムは組んだ両手で顔を伏せるようにして、見えないなにかを強く睨む。

「――なにが目的だ?」



 グレンは護衛対象である皇后フェリシテの言葉に、片眉を上げた。

「墓荒らし?」
「左様。暴かれたのは先代公爵と夫人のもののみだ」
「それなりの警備とかあるんなら態々金品狙う必要あるやつじゃねえだろ……おかしくねえか?」
「ああ、不可解だ」

 フェリシテは濃い紫の眼差しを珈琲カップへ落とす。カップの底はちらりとも見えない。

「先々代も、その前も……他の公爵家、皇族のものは無事であり――我が騎士の墓もまた然り」
「言っちゃ悪いが、暴いても特殊なもんはねえんだろ」

 フェリシテは肯定を無言に代える。
 金品が目当てであるのなら、他の墓も暴いていくだろう。
 金品以外の「特別ななにか」を求めるのなら、真っ先に狙われて然るべきは亡き魔法使いのもの。実態はどうであれ、だ。
 先代公爵夫妻でなければならない理由が、分からない。
 先代公爵夫妻に対する冒涜の理由も、嫌な予感がするばかりだ。

「昨今は平和そのものであったが、故に恐ろしい」

 フェリシテが憂うのは記憶の風化。
 大戦を記録でしか知らないものが増え、秘されたドールに関する技術に興味を、好奇心を持つ層もいる。
 グレンもまた大戦を知らぬものであるが、彼の場合は特殊だ。
 大戦そのものが存在しない世界に、グレンは生きていた。
 ドールについては賞金稼ぎの時代でよく知っているが、大戦そのものの記憶は持ち得ようがない。
 ドールの恐ろしさは、魅力を持っているところである。
 ただ、凶悪なだけの、人類に殺意を持つだけの、人工生命兵器ではない。

「ヴァーミリオン、愚問を一つ」
「愚問って分かりきってんのにか」
「ああ」
「……どーぞ」

 肩を上下させ、腕を組んで壁に寄りかかるという大凡皇后を前にしているとは思えぬ無礼な姿勢でグレンは促し、フェリシテもまたグレンの態度を気にすることはないまま紅を引いた唇を小さく開いた。

「もう一度、我が騎士に会うことが叶うとしたら、そなたはどうする?」

 亡き魔法使い、皇后フェリシテ唯一の騎士、グレンの相棒。
 もう、いないひと。
 この世の何処にも、紫黒の姿はない。
 玲瓏に紡がれる声を聴くことは、ないのだ。
 けれど、もし。
 もしも、もう一度、あの濃い紫の眼差しを、謳う声を、誇り高き姿を取り戻すことができたとしたら?

「想像を遥かに超える愚問だな」

 グレンは心底くだらないと嘲り笑う。

「――死人は蘇らない」

 グレンは覚えている。
 一つも損なうことなく、鮮明に覚えている。
 黎明の朝日より尚も眩く逝ったヴィオレの命の輝きを。
 交わした言葉も視線も、表情も、全て消えることなく刻みついている。

「あいつが全身全霊、魂の一片までをなにに尽くして託したと思ってんだ」

 もう一度は有り得ない。
 もう一度を望ませるような真似を、己に許さない。
 グレンの傲慢ささえ覗く笑みを前に、フェリシテは珈琲カップを傾けた。

「そう、死人は蘇らない。姿形、仕草までもが同じだとしても、決して……生きて死んだ、そのひとではないのだ」

 音もなく置かれた珈琲カップ。
 フェリシテはテーブルに置かれたベルを鳴らす。
 すぐさま現れた侍女にフェリシテは命じた。

「――私、カスタニエ皇后フェリシテ・リュネット・カユザクは、故ニュイブランシュ=エタンセル中将より申請されていたグレン・ヴァーミリオンの特別管理試験施設における『オリヴィエ』の使用を本日この瞬間に承認する。各所へ通達を」

 侍女ははく、と口を開いてなにかを言いかけたが、すぐに「畏まりました」と一礼して、部屋を出て行く。

「……どういうことだ」
「我が騎士は生前……そなたが『こちら』へ来てより数年後から、ずっと申請を、手回しをしていた」
「それが、試験施設の使用だって?」
「試験施設内に留めねば、私であろうが陛下であろうが許可など出せぬ。そも、申請された時点で逆賊の疑いをかけられようものを……我が騎士はそなたへ報いるに相応と思えば骨を折るのも厭わなかったらしい」

 グレンの眉間に一瞬で皺が寄る。
 不愉快に思ったのではない。
 既視感。

「骨を折る……?」

 ゆるりと細められた濃い紫の目。
 唇へあてられた指。

 ――楽しみにしておいで。

 まるで、耳元で囁くそのひとがいるような鮮やかさで蘇る声。

「…………確かに、遅くなったな」

 なにを用意されたのだとしても、感想も、礼も、伝える相手はいない。
 グレンは深くため息を吐いて、前髪をかきあげる仕草で左目を覆った。

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あきゅろす。
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