小説
これあらた



 自身が一週間の行方不明になっていたと知ったのは、源柳斎と散々斬り合ったあとのこと。
 蝶丸の作った食事に久しぶりのしっかりした和食だとむせび泣きそうになった潔志は、しかし異世界で己がどのような食事をとっていたのか覚えていない。
 ろくに興味がなかったので覚えていないのだ。
 そういえば、風景も、習慣も、人々の顔も、覚えているものはあまりにも少ない。
 そのことが帰宅してから思い切り落ちた雷を若干逸らす要因になったのだが、病院へ連れて行かれて頭の検査を受けさせられたのには辟易した。
 だが、それ以上に潔志を辟易させたものがある。
 いや、正しくはいる、というべきであろう。

「ししょー! おかえりー!」

 まるで第二の実家と言わんばかりに相葉家で寛ぐ源太。
 幼いころに潔志が手違いで親との縁を斬ってしまったことから始まる師弟関係は、潔志がどんなに嫌がっても否定しても源太が成人しても構わず続いている。
 すっかりと逞しい大人の男になった源太であるが、大人の男という言葉から感じられる責任感や頼りがいといったものとは無縁である。というか、幼い頃から内面に成長が見られない。
 へへーと笑う顔は変わらないし、ししょーししょーと潔志を呼び慕いながらも時に「お前、師匠のことなめてんだろ」と言いたくなる態度を極々自然にとるのも変わらないし、潔志が斬ろうと思ったものを横取りしていく性格も身体能力も健在だ。
 落ち着きというものが全く備わらないまま成長した源太は、相変わらず潔志の天敵である。
 そんな源太に実家の居間で迎えられ、病院帰りの潔志は口をひん曲げた。

「なんなの、なんでお前がいるの」
「へへー、ししょー照れちゃってー! ししょーが神隠しに遭ったって聞いてねー、心配してたんだよ?」
「あー……そりゃごめんね。この通りなんともないよ」
「よかった! じゃー、結婚式出れるよねー」

 潔志は「あ?」と思わず柄の悪い声を上げた。
 この押しかけ自称弟子はまた訳の分からないことを言い出した、と胡乱な目で見れば、源太は畳の上をぺたぺたと四つん這いで這っていって、そろそろぼろく煤けだした鞄から角の折れ曲がった二つ折りの招待状を取り出した。

「俺ねー、花ちゃんと結婚すんのー」
「花ちゃん、人生の墓場に全力疾走しすぎじゃない?」

 潔志は源太の幼馴染である花ちゃんを本気で心配した。
 師匠に失礼なことをいわれても源太は「なになに、ししょーってば独身男のひがみ?」とにやにやしだして大変腹立たしく、潔志は手加減なく源太の頭へ拳骨を落とした。大人になっても変わらぬ性格にイラッとすることは多々あれど、拳骨に手加減がいらなくなったのだけは素晴らしい。
 大げさに喚く源太をてきとうにあしらっていたら、行方不明先から真っ直ぐに帰宅せず他所様へ盛大に迷惑をかけた兄に対して思うところありまくりの清子がやってきて、潔志は思い切り怒られた。
 源太は潔志が妹に怒られて平身低頭の体でいるにも関わらず、一人呑気に茶を喫してから帰っていくという自由っぷり。あれに拳骨を落として放置して怒られているのが潔志には心底納得いかない。
 程なく説教からも解放されて、長く怒っていたせいか喉が乾いた様子の清子のために茶を淹れ直してやった潔志は、雰囲気を変えようとテレビをつける。
 飲もうと思った茶を吹き出した。

「ちょ、兄さんっ?」

 清子が背中を擦ってくれるのに礼も言えず、潔志は咳き込みながらテレビ画面を凝視する。

「××党の鬼頭笑石――」

 アナウンサーの耳障りが良い声がするなか、画面の向こうで黒塗りの車から貫禄に満ちたスーツ姿の偉丈夫が姿を見せ、報道陣のフラッシュやマイクを鷹揚に受け流しながら悠然と歩いて行く。
 見覚えがあるどころではない。
 どう見ても笑石の姿が映っていた。むしろ、笑石は被写体として中央に据えられていた。

「へ、え……? な、なにが……え?」

 呆然とする潔志に清子が「ああ」と頷く。

「兄さんがいなくなっている間に内閣総辞職があったのよ。すごいわよね。元秘書で右腕と呼ばれていたひとがトランスジェンダーだったらしいけど、性転換してからは正式に籍入れて結婚式まで盛大に挙げて。ああ、子どもは養護施設の子を引き取ったんだったかしら……おかげでマイノリティのひとたちから圧倒的支持を受けて、時代に相応しいって若者からの支持も篤いし、参院選では何十万票っていったかしら? 彼のおかげで選挙の投票率上がったなんて言っている専門家もいるのよね。
 もちろん、パフォーマンスだって思い切り嫌う層もいるけど、やらない善よりやる偽善。やっていることがことだから批難したほうが白い目で見られているわ」

 潔志は愕然としながら妹の横顔を見つめる。

「今回でも最有力候補でしょう。日本も新しい時代になったわねえ」

 潔志は政治に明るく通じているわけではないが、それでもここまで名を馳せるような存在がいるのなら聞こえているはずだ。
 それなのに、潔志には鬼頭笑石という政治家に覚えがない。
 潔志が異世界に行っている間に起きたという内閣総辞職。
 もちろん、同一人物などと思うほうがおかしいが、あまりにもそのままの姿、そのままの魂を――

「たま、しい……」

 笑石は、摂理を外れたと言っていなかっただろうか。
 そも、神、相刃は神代の存在だ。その時代から生きていたと考えるのは、如何に異能を持つ魔族であっても無理がある。
 それならば、もっと早く神子の存在は求められていたはずだ。
 バリオルは暗惡帝の悪行に耐えかねたと言っていたのだから、笑石の活動は近代のもののはずである。

(繰り返していた……? 相刃に斬られた魂で記憶ごと何度も、生まれ変わり続けていた……?)

 その魂は、今度こそ斬られた。
 斬って、潔志がこの世界へ戻るための力へと利用された。
 そもそも、潔志が異世界へ渡っていた時間は一週間などでは済まない。時間の歪みを伴って笑石の、潔志が斬ってきた魔族の魂がこの世界へ流れ込んできているのだとすれば。
 潔志は視線を画面へと戻す。
 笑石。
 異世界で隠仁の長であったもの。
 神によって覇権与えられしバリオルから疎まれ、蔑まれし魔族の頭領。
 この世界で、朝廷とまつろわぬものの関係をなぞるかのような存在。
 それが、この国を、日ノ本を率いようとしている。
 この国のこれからを担う若者たちに支えられ、この国を導こうとしている。

「は、はは……」

 笑うしかない。
 潔志は笑う以外にできない。
 ぱたりと座卓へ懐き、潔志は思考することを放棄して現実から逃げようと瞼を閉じる。

(……そういえば、あちらでは新しい隠仁の長が生まれるのかな……)

 テレビからはインタビューを受ける笑石の張りのある声が響いていた。

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