小説
二十四話



 砕け散ったなにかの残骸が剣閃の後を追う。
 呆気にとられる笑石。
 確かに斬った、斬ったはずであった。
 手応えを感じた。
 潔志が斬られたと信じる覡の悲鳴を聞いた。
 衝撃。
 ドンッと音を立てるように広間が揺れる。それは、それこそ錯覚であった。壁に取り付けられた燭台は全く揺れていない。
 ならば、衝撃の理由はなんだ。源はなんだ。
 笑石は、眼前に剣を見る。
 一切の揺らぎなく笑石の剣を払い、まるで我が身の一部であるかのように自然な構えで剣を携える潔志。
 なにかが違う。
 先程までとは圧倒的に気配が変わっている。
 僅かに俯いていた潔志が顔を上げる。
 その両の眼に鋼。
 丸い黒目がちの目は、鋭い刃のような鋼色に変じて笑石を刺し貫こうとする。
 笑石が剣を構えたのは反射の行動であった。
 音もなく一閃、剣は紙を裂くよりも容易く断ち斬られる。
 驚愕に見開いた目で、笑石は潔志の振るう剣に下げられていた勾玉が失われていることに気づく。
 きらきらと輝いて散っていった残骸。あれは、砕けた勾玉であったのか。

「呵々々、なるほど……真実、神子に代わりなかったか」

 半ばで断たれた剣を限界越えた技巧で振るい、笑石は迫る斬撃を流す。
 たった一太刀だ。一太刀流そうとするだけで凄まじい集中力と精神力を消費し、緊張感に神経が擦り斬れる。
 それほどに冴えた剣閃、最早、尋常ならざる――神の領域という他ない。

「手段のためと其方は咎めるが、斬りたいと求むるを情と言わずなんとする」

 苦笑を浮かべ、笑石は嘆息する。

「礼を失したは事実か……その報いが其方でないものに斬られて迎える終幕とは、ひとの情のなんと尊き――」

 はたと気づき、鬼一口に迫る剣へ笑み一つ。
 風を斬る音もない。
 斬り斬り舞い舞い、命の輝き散華せよ。

「ああ、そうか――見つけた」

 斬。



 斬っていた。
 残された結果に潔志は呆と立ち尽くし、次いで胸を襲う寂寥感に喘いだ。
 斬りたかった。
 心から斬りたかった。
 心を込めて斬りたかった。
 けれども、相手に斬られる結末が斬撃に乗って潔志を襲った。
 身代わりのように、真実身代わりとして砕けた勾玉は古いものだ。古のものだ。いつから神剣とともに在るのか分からない。これもまた神代から続くものかもしれない。
 砕けた勾玉の軌跡に目を見開いた瞬間、溶けた鉄のように熱くなった神剣。
 実際にそんな熱を持てばとてもではないが持っていられないし、絶叫を上げることだろう。潔志はどちらもしなかった。
 燃えるような熱は人肌のように心地よく、自分の意志に反して握り直した瞬間に冷めた熱は凍えるように冷たくも離れがたい。
 溶け込むようにというほどの同化はなく、しかし一切の抵抗を許さぬほどの強固さと穏やかに懐柔するような抱擁にも似た拘束が潔志の意志を縛り上げた。
 自らの体が自らの意志を離れて動き出す感覚。
 自らでは決して辿り着けない斬撃の極地、那由多の果ての更に向こう。
 子守唄にも似た斬響が絶えず耳元で歌うなか、潔志は笑石を斬った。
 ゆうらりと倒れ行く偉丈夫の体。遅れて聞こえる斬撃の音色。ぱつり、と笑石の体が裂けて、ようやく血潮が流れた。
 深い一閃にも関わらず、流れる血潮はあまりにも少ない。いや、勢いがないのだ。それだけ鋭い斬撃だったのだろう、たらたらと止め処なく流れる血潮に沈む笑石を潔志は物悲しく見下ろす。
 そこへ足音。
 振り返れば形容し難い表情のフェートがいた。

「……………………――ありがとうございます」

 跪礼の姿も声も万感に打ち震え、きっとフェート自身にさえ所以の分からぬ涙を頬へと伝わせている。
 そうだ。
 これで終わりだ。
 そして帰るのだ。
 訳も分からぬままやってきた世界で、訳の分からぬ役を押し付けられ、しかし斬ればよいと分かれば話は早く。
 斬るために、ただただ斬るために、斬るためだけに潔志は此処までやってきた。
 斬って、帰るために。
 それなのに、潔志は己が斬ったという感触がないまま結果を迎え、ぽっかりと胸に虚ろができる。
 斬らなくてはいけない。
 胸の虚ろを埋めたいと迫る衝動。
 斬らなくてはいけない。
 ひたひたと胸に満ちていく郷愁、望郷、面影への渇望。
 斬りたい。
 ひたすらに斬りたい。
 斬りに行きたい。

(源柳斎、お前が斬りたい)

 潔志の片目から涙がぼろりと溢れる。
 ぼろり、ぼろぼろとすぐに両目から湧き出た涙は喉を詰まらせ、潔志は口元を押さえて嗚咽の声を上げた。
 会いたかった。
 今すぐに会いに行って、心のままに、全身全霊で求めるままに、源柳斎が斬りたかった。
 潔志がどれだけ求めても刀という頂を見上げ、そして月柳流という己が流派しか振り返らぬ源柳斎。
 相対した瞬間でさえ、斬らんとする潔志を退けてひたすらに斬って拓いて前へ進むことしか考えていない源柳斎。
 斬るのだと、斬れば斬れるのだと謳う斬撃が聴きたい。
 欲するもののために斬るのだと、手段の斬撃は口寂しい。
 斬りたいから斬って、斬れるから斬って、斬ることは当たり前だから斬って、斬るために斬る。

「フェートくん……早く、早く俺を帰して……早く帰りたい……帰りたいよ……っ」

 泣き崩れる潔志にフェートは呼気を震わせ、渾身の力で立ち上がると未だに血潮を流す笑石の前に立った。
 詠い上げるはこの世界の祝詞か。
 さらさらと笑石の体が灰へと変わっていく。
 血潮とともに渦を巻き、次第に加速していく中央に浮かび上がる光。
 あ、とおもった瞬間には霧散した光と渦。
 一拍より短い間、落雷にも似た音と激しい衝撃が起き、潔志が腕を翳して眇めた目で見た先にぽかりと空いた穴があった。
 この穴を通れば帰れるのだという確信に似た直感。
 ふらりとよろめく体をなんとか最敬礼で保ち、フェートはなにか述べようとして声を詰まらせる。
 その姿を見て、無言のまま穴へと飛び込みかけた潔志は思い出した。

「フェートくん」
「……はい」
「今までありがとう」
「滅相もございません。私が、我らこそが潔志さんに……っ」
「ねえ、フェートくん。覚えているかな。俺、言ったよね」

 潔志は礼をしたままのフェートの頭を慈しみ深く撫でる。
 さらり、さらりと星色の髪を櫛っていく手は我が子にする親のようだ。

「『きちんと良い方向へ導けるように、俺の知っているありったけを教える』ってさ。フェートくんも応えるって、言ってくれたね」

 己の思う最良の道を子に歩かせようとする、親のようだ。

「約束のお礼を、するね」

 するり、と頭から手が退けられ、体温が遠ざかったからだけではない寒気がフェートを襲う。
 フェートが顔を上げてしまったのは悲劇だろうか。
 ぎょろりと目を剥き、じゅるじゅると唾液を滴らせて呼気を荒らげる、まるで鬼のようにおぞましい様で潔志は構えていた神剣を振り下ろす。

「――フェートくんが心置きなく斬れますように」

 斬った。
 斬れた。
 大切な、大切にしていた、大切にするよう教えられた、生き方。
 見開かれたヘイゼルの目が暗闇に沈み、瞼の向こうへ閉ざされる。
 倒れるフェートへ上着をかけて、潔志は荷物を回収するとさっと広間を見渡して一つ微笑む。

「じゃあ、さようなら」

 飛び込んだ穴のなかは、温かい泥に似ていた。



 気づけば見知った風景のなかにいた。
 いや、見知ったというと語弊がある。
 何故ならば周囲は木々に囲まれており、よっぽど特徴的な樹木があるわけでもないのだ。
 しかし、それでも潔志には分かる。
 気配、香り、せせらぎ。

「ああ、帰ってきたんだ」

 此処は鎮劔神社の鎮守の森だ。
 潔志はふと足元を見る。風呂敷に包まれた荷物があって、なかには神楽衣装。異世界へ持ち込まれた潔志の持ち物がしっかりと入っていた。
 特別な神事のときにのみ用いられる本衣装のため、冗談にならないくらい高価な神楽衣装がきちんとあることに潔志はほっとする。
 ほんとうならば、この神楽衣装を、片手にきっちり携える神剣を、なによりも神事の最中にいなくなった我が身をしっかりと実家へ戻すべきなのだと潔志は分かっている。
 分かっているが、無理であった。
 だって、斬りたくて。
 気が狂いそうなほどに、斬りたくて。

「いま行くね、源柳斎!」

 駆け出す足は軽やかに、まっすぐな背中に惑いは一切なし。
 斬撃に狂い、斬撃で狂わせる、保証付きの斬撃狂いは胸を焦がす衝動に突き動かされるまま、妙なる斬撃を求めた。

「ああ、そうか。そうだね、笑石。確かにこれは――」

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あきゅろす。
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