小説
二十二話



 潔志は理解したわけではない。
 潔志が多くを知るにはあまりにも情報が不足しており、一方の面でしか物事を見ることができていない。
 しかし、しかしである。
 確信してしまうのだ。
 経咲比古とバリオルに呼び崇められる神。
 目の前の男が呼べば音を変える神、存在。
 異世界で神話の存在となり、世界を統一する要となったもの。
 間違いない。間違いないのだ。

(ご先祖様、なにやってんの)

 相葉は辿れば神話にも登場する血筋であった。
 始祖の名は相刃。
 神話においては剣の神、産志穂神とともに登場し、鎮劔神社を創建した人物である。
 相葉は相刃の名が転じたものなのだ。
 潔志は己の系譜の始祖こそが、この世界で経咲比古と呼ばれる存在であると確信してしまった。
 異世界である。
 そんなものが存在していることも通常はありえなければ、そんなところに始祖が渡ったことがあるというのもありえない。
 けれども、潔志自身が現に異世界へと召喚されて其処にいる。
 始祖がどういった理由でこの世界へとやってきたのかは分からないが、潔志が召喚されたのは始祖の存在あってこそなのかもしれない可能性が浮上した。
 経咲比古はこの世界を平定したというが、経咲比古が相刃であるならばなんと皮肉なことかと潔志は全身から力が抜ける心地になる。
 神話の再現に潔志自身戸惑ったが、そも始祖が祭神と同じことをして異世界で神になっているとはどういうことだ。笑い話か。流石の潔志でも笑えない。
 相刃の名は、この世界で「経咲比古」に変わっている。
 相葉の名は、この世界で「産志穂」に変わった。
 神話において相刃とともに産志穂神が登場したのは、土地に蔓延る気枯れから救いを求めた祈りに応じた経咲比売が産志穂神を遣わしたのが始まりである。
 つまり、産志穂神のほうから相刃に目を向けたのではない。
 経咲比売こそが、相刃に目を留めたのだ。
 対して相刃の末裔である潔志は、ずっと、ずっとずっと生まれたときからずっと、産志穂神と共に在った。
 社に祀られているはずの神剣が、ぐずる赤子のそばに現れていたなどという話を何度周囲に聞いたことか。それが一度や二度ではないという強調は、潔志の耳にこびりついている。
 物心ついて、潔志自身も自覚して経験していることでもあるのだ。
 経咲比売以上に、産志穂神こそが、潔志にとっては近しい存在であった。
 斬るために産み落とされた剣の神。
 斬りたいと欲する潔志に寄り添ってくださる、神。
 故に、潔志が名乗る名字は、系譜を表す名は、この世界において「産志穂」となったのだ。
 するり、するりと蜘蛛の糸が引っかかっていたような違和感が解け、同時に途方もない疲労に似た感覚から目眩を覚え、潔志は最後に安堵する。
 心底安堵する。

(……斬らなくてよかったああああああ!!!)

 この世界へ召喚された当初、神事の最中に訳の分からない事態に見舞われ、役目を押し付けられ、むしゃくしゃしていた潔志はバリオルから神の名を斬ってやろうとした。
 経咲比古の名を、斬ろうとしたのだ。
 潔志は斬りたいと思ったときが斬り時で斬れないと落ち着かない斬撃狂いであるが、斬らなくてよかったと安堵する瞬間があるのだとこのとき初めて知った。
 不惑の歳にして、初体験である。
 潔志はゆるゆると首を振り、改めて現実へと向き直った。
 恐らく自分が十年歳を重ねても同じ貫禄は出せないであろう、立派な偉丈夫。

「俺が何者であるかは、多分どうでもいいんじゃないかな。俺は相葉の潔志であなたは隠仁の頭領でいいんだよね?」

 偉丈夫が目を細めた。
 心底喜悦を湛えた敵意の笑みであった。

「『隠仁』か……呵々々! そうだ、そうであった! 嗚呼……」

 一転、寂しげに目を伏せるも、すぐさま金色の目は力強い光を灯して潔志を見据える。

「是! 余こそが隠仁の長――笑石也!」

 潔志は丸い目をさらに大きく見開き丸くして、くしゃりと苦笑を浮かべて何度も頷いた。

「笑石……えみし、か。うん、うん、そうか、それがあなたの名前か」
「是。余は他に名を持たぬ。系譜名を持たぬ。摂理を外れたときより、余は余で始まり、終わった。
 潔志よ、まだだ、まだまだ足りぬのだ! 余は余を取り戻さねばならぬ。我に返らねばならぬ。そのために経咲比古と今一度、と思うたが、現れたのは其方であった。だが、構わぬ。経咲比古に縁持つものよ、分かるのだ」

 潔志はとん、と軽やかに後ろへ跳び、神剣を構えた。
 笑みを浮かべながら見つめる先で、笑石の両手に浮遊する剣がす、と収まる。
 ゆうるりと構えられる双剣。

「其方が現れてより響くのだ。いつまでも消えることなき斬響が、大きく大きく響き続けたのだ! 余は其方が斬りたい。あの斬撃のなかで見失ったものが、其方を斬る感触のなか、骨肉を断つ音色のなかにあるのだ! 斬り裂かれた其方の魂が輝く最後の一瞬に在るのだ!
 ――余に斬らせよ、潔志」

 きらきらと、まるで冒険に出かける少年のような輝きを宿した目で、笑石は鋒を潔志へと突きつける。
 じゅ。
 ずる。
 ぐちゅ。
 じゅる。
 突きつけられ、自らも構える刃よりも尚鋭い光を宿し、潔志は湧き出る唾液を啜り上げる。

「っひ、ひ」

 不惑の歳を迎えるまで、数多の人間と相対してきた、斬ってきた。
 そのなかで、こうまで斬りたいと、斬るのだとはっきり求めてきたものがどれだけいただろう。
 いいや、いやしない。
 求めるために斬りたいなどと欲されたことは、源柳斎にすらなかった!
 年甲斐もなく照れてしまいそうだ。
 頬は染まっていないだろうか。
 目は潤んでいないだろうか。
 心配する潔志だが、頬は紅潮しているし、目は爛々と光っている。
 荒い呼気はどれだけ興奮しているのかがよおく分かるというものだ。

「ふ、ふふ、うん、うん、これは求愛かな……求愛だよね。初めての求愛がこんな……く、ぅくく、目的のための手段としてなんて酷いよ……でも、求愛されたことには変わらないよね、ふふ、あはっ、ひっヒヒ! それなら返事をしなくては、いけないよね!
 ――心を込めてお前を斬るよ、笑石」

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