小説
十四話



 なんと滑稽なことであろう。
 神子は神子に非ずと宣った。
 バリオルの所業に否定の言葉から続き、己は神子に非ずと。

「ならば、なんだと云うのかな」

 まさか、まさかまさかまさか。
 脳裏を過るのはあの方の言葉。
 再来? 再臨?
 神子などという遣わされる側ではなく、遣わす側そのものだとでも言うつもりなのか。

「潔志だよ」

 神子が、潔志が呑気な様子で名乗る。

「ああ、そういえば系譜名なんて便利なものがあったんだっけ。これを名乗れば一発で俺が神子じゃない……うーん、この世界の神様に繋がるものじゃないって信じてもらえるよね」

 物狂いか。
 系譜名を名乗れば、己がどういったものであるのかを全て知られてしまうというのに、よりにもよって神子としてバリオルに喚ばれたものが魔族に名乗ろうというのか。
 無知も過ぎれば狂気に至る。
 ひくり、ひくりとベルは己の喉が急速に乾いていくのを感じた。
 こんなものに朱牡丹は捻じ曲げられたのか。
 朱牡丹が望んだものであればベルはよかった。
 けれど、ベルは知っているのだ。
 あの方に触れられることをどれだけ朱牡丹が喜びとしていたか、あの方に捧げる眼差しにどれだけ甘やかに溶けた熱が込められていたか、あの方を恋い慕う朱牡丹が、どれだけうつくしかったか。
 いまの朱牡丹をベルは変わらず慕うけれど、朱牡丹が大切に育てていた胸中の花を無残に散らした存在を許すのとは話が別だ。
 朱牡丹はベルにとって大切なひとだ。
 唯一人、あいするひとだ。
 大切なひとの大切なものをベルは大切にしたかったし、それを壊したものには私憤がある。
 朱牡丹自身が望む形があるのならそれに従ったけれど、いまの朱牡丹はまるで大切なものなどなかったようだ。
 存在しないものに対して望みなど持つひとはいない。
 だから、ベルは私憤を晴らすのだ。
 私憤と割り切っているものに、唯一正当性を以って制止をかけられるひとはその発想に至るもの自体を失っている。
 ベルを止めるひとはいない。
 朱牡丹以外の声を、ベルは聞く気がない。
 物狂いの狂行などで朱牡丹が傷つけられた。
 ベルは、決して許さない。
 視線の温度を変えたベルに気づいているのか、いないのか。変わらぬ表情のまま、潔志が剣を構えて踏み込んだ。



 自身が神子でなければ都合の悪い世界でも、一発で神子ではないことが伝わる便利なものの存在を思い出して潔志は早速名乗ろうと思った。
 けれども、この場で名乗ればフェートにも聞こえてしまうだろう。
 上位の存在と認識しており、バリオルと思考の異なる潔志と干渉受けることなく昼夜共に過ごしていたからか、フェートの思考はバリオルとして危ういまでに変化してきている。
 それでも完全ではないし、潔志が神子であるという前提のもとに成り立っている部分も多いだろう。
 故に、帰還の術を持つフェートがその役目を放棄しかねない状況になるのは好ましくなく、潔志はフェートには聞こえないよう女児にのみ系譜名と喚ばれる名字を名乗ることにした。
 なんということはない。
 斬り合いながら名乗ればいいのだ。
 斬り合うほどの距離で斬り合いながら名乗ればいいのだ。
 それで万事解決であると潔志は浮足立ちそうになる足で踏み込み、女児へ向かって神剣を振るう。
 女児の拳は先程よりも冷たく冴えていた。
 フェートへ向けられていた意識は全て、潔志へ注がれている。
 殺意というものだろうか。

「ああ、やっぱり」
「名乗るんじゃ、なかったのかな?」
「ごめんね、ちゃんと名乗るよ。でも、なんだか嬉しくて。だって、お嬢さんは『神子』なんてどうでもよかったんだって確信できたから」

 女児が魔族としてバリオルへの恨みを語ったとき、潔志にはどうしても違和感が拭えなかったのだ。
 だって、あまりにも熱がない。
 燃えるような熱も、凍えるような熱も。
 それに比べて、いまの女児はどうだろう。
 この世界で初めて、潔志は自分自身を見てくれる相手と出会ったような気持ちだ。
 この女児は「神子」ではなく、「潔志」を恨んでいるのだ。
 初対面であるし、潔志に神子としてではない理由で恨まれる理由はさっぱり思い浮かばないのだけれど、女児には女児なりの理由があるのだろう。
 女児にとっては潔志と相対することが当然なのだ。
 潔志は年甲斐もなくはしゃいでしまいそうだった。自覚していなかっただけで、郷愁に駆られていたのかもしれない。
 誰一人知り合いもなく、自分を通して自分ではない存在しか周囲にいなかったのだ。
 潔志は女児の存在がとても嬉しかった。
 だからこそ、振るわれる神剣には感謝が詰まっている。
 女児はその気持ちが通じていないのか、汚物でも見るような目をしているが、女児は「女児」なのだ。斬撃を読み解けないのも仕方ない。
 もう数年すれば女児自身で歌うように斬るだろうから、そのときにでも思い出して伝わってくれれば潔志には十分だ。
 ほっこりとした気持ちを胸に、潔志は改めて女児へと迫る。
 己の身を武とする女児と長く同じ距離を保つのは難しいので、潔志は女児にだけぎりぎり聞こえるようにこの世界で初めて己の名字を名乗った。

「俺はね、相葉の潔志と云うんだよ」

 怪訝な表情を一瞬、見開かれた目。
 直後、女児は堪えきれぬという様子で激しく嘔吐して膝を突いた。

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あきゅろす。
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