小説
十二話



 轟く声は全身全霊の表れ。
 駆ける駆ける、大波のように。
 飲み込め神子を、バリオルを。
 生きる権利を、続く明日を、今日の光を自らの手で勝ち獲らずして、どうして「我」と叫んでいられるかよ。
 虐げられる日々。
 それを当然と巡る季節。
 諾々と従うばかりで尊厳のほどは如何なるや。
 我ら地を這う獣に非ず。
 取り戻せ。
 勝ち獲れ。
 統一意志の大音声に大地が揺れる。

「ははは――姦しき鬼どもが」

 壮絶な寒気。
 それを感じたのは魔族ばかりではなかった。
 潔志に片手を引かれて走るフェートは、嘲笑を多分に含んだ潔志らしからぬ声音を耳にして、弾かれたように潔志を見上げる。
 ひたり、ひたりと前を見据える横顔。
 その横顔に一瞬、ほんの一瞬だけ誰かの面影が重なった。
 開かれた瞳孔際立つ四白眼の、嬌笑というにはあまりにも恐ろしい狂咲浮かべる……


「フェートくん、踏ん張って」

「潔志」の声がフェートを促す。
 耳に痛い音を立て、潔志は振り下ろされた棍棒を受け、弾き、息もつかせずフェートの手を引っ張り再び走る。
 横薙ぎに振るわれた剣、斬気一閃。
 刃が届かずとも斬撃は届く。
 進むに障害となる魔族が咲かせる血華のなかを、潔志はただひたすらに突き進む。
 前を往く潔志が全ての魔族を退けるため、フェートはただ潔志に牽かれるがまま走ればよかった。
 それしかできなかった。
 轟々と唸る音を知っている。
 ツァーレが潔志を、神子を殺さんとしたときにその音色を聴いた。
 いまは魔族の血肉を乗せて、大鉄扇が振るわれている。
 鶴翼は閉じない。
 閉じられない。
 そも、小回りの利く少人数を相手に、有効な陣形ではないだろう。
 指示したものはそれを理解していたのか、していないのか。
 その答えは透明な氷で作った鐘のような音色が応える。

「朱牡丹くん」

 寒気がするほどの美貌に、凍てついた表情。
 青い唇に紅はなく、双剣の鋒に殺傷力はあれど殺意はない。
 恋慕という情動斬り捨てられ、ただ忠誠という一つの形と色で完成した魔族がそこにいる。
 しかし、朱牡丹は潔志に一瞥さえくれなかった。
 走る潔志の横をすり抜け、ツァーレへと向かう。

「ふふん、バリオルどもの相手はおっさんがしちゃうんだよ!」

 流石の潔志も刹那思考を止めかけたが、鼓膜にねじ込まれた女児の声が潔志を現実へ引き戻す。
 直後、潔志はフェートを小脇に抱えてその場を退いた。
 ズガァンッ。
 凄まじい破壊音と共に弾け飛ぶ礫。
 もう、と舞い上がった雪煙を斬り裂けば、大槌に両手を乗せてご機嫌な顔をする愛らしい女児がいた。

「わあ、日曜日の朝って感じ。魔法のステッキにしては大分原始的だけど」

 潔志は女児の容姿や衣服への感想を呟き、片手に抱いたままのフェートをどうしたものかと悩む。
 身の丈に近い大槌を軽々と振り回して見せた女児は、重量武器の使い手は速度性能が低いというお約束を知らないのだろうか。知ったことではないだろう。
 身軽にズドンずどんやられて、フェートは回避できるだろうか。フェートを抱いたまま回避し続けられるだろうか。
 流石に受ければ神剣が無事でも、自らの腕が無事で済まないだろうと潔志は想像する。
 とん、ととん。
 まるでうさぎが跳ねるような動きで女児が迫る。
 遠心力さえ加えられた大槌を、潔志はフェートを腕に抱え込んで前転するように回避した。
 入れ替わる両者の位置。
 女児は更に迫る。
 ひぅん、ひぅん。まるで縄跳びでも跳ねているような音色が大槌を振るう音だとは、なんという恐怖だろう。
 潔志はフェートを正しくこどもにするよう抱き上げて、自身の肩口から後ろを覗かせる。

「フェートくん、全力疾走するからあの子の動き教えてッ」
「は、はい! でも、ツァーレは……っ」

 それは、間髪を入れない即答だった。

「さっきお別れしたでしょ!」

 絶句して、フェートは潔志の肩口からツァーレの姿を探す。
 大鉄扇を振るうツァーレは、朱牡丹と潔志が呼んだ美貌の男と死闘を繰り広げ、その周囲には魔族の死屍累々。
 なんて光景だ。
 そんな光景をフェートの視線から遮るように、大槌振り上げた女児が迫る。

「ッ背後直線上、大上段から!」

 了の声もなく潔志は走りながら大槌を回避する。
 飛び散る礫が衣服を裂こうと止まらない。
 潔志が止まらないから、ツァーレが遠ざかる。
 立ち位置が入れ替わったことで、潔志とフェートは魔族の陣形から抜けて暗惡帝の居城へと真っ直ぐに突き進むことができた。
 ツァーレを置いて。
 まだ生き残る魔族と、一線を画する朱牡丹を相手取るツァーレを置いて。

「ッツァーレ!!!!」

 フェートは物心ついてから初めてというほどに、筆頭覡としての振る舞いもかなぐり捨てて、声を張り上げる。
 朱牡丹と迫り合いを続けるツァーレの背中は振り向かない。
 それでもいいから声を張り上げ、叫ばずにはいられない。
 だって、理解してしまうのだ。
 だって、潔志も言っていた。
 此処でお別れなのだ。
 潔志は神の御下へ帰るけれど、フェートはこの世界に生きる。
 それでも、ツァーレとは此処でお別れなのだ。
 潔志が僅かに首を捻り、フェートの補助なく女児の攻撃を回避する。
 神子の存在を、命を後回しにするなど覡失格どころではない。他者の命預かる場面で物事の順序、優劣を間違えるなど人間として未熟どころではない。
 でも、でもでも、だって。
 潔志は伝えても、フェートはまだツァーレにお別れを言っていないのだ。

「…………さようなら」

 奇しくも、朱牡丹の双剣にツァーレの眼差しと口元が反射するのをフェートは見た。
 細められた目と、歪められた口が「おまえなんぞだいきらいだ、おかんなぎ」と形作るのを、確かに見たのだ。
 振り下ろされた女児の大槌が再び雪煙を舞い上がらせ、それがフェートの見たツァーレの最後の姿になった。

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