小説
六話
暗惡帝を討伐するための旅。
バリオルに迫害される魔族の希望を消し去る旅。
潔志に問われ、フェートは胸の奥にずしりと沈み込み、そのまま腹の奥底で固まってしまいそうなものをなんとか口から吐き出した。
「……はい」
「なんのために?」
「…………奪ったから奪われるのは仕方ない、とはできないのです」
暗惡帝に、魔族に、バリオルが傷つけられている。
同じことを、それ以上のことをやったじゃないかと言われても、それじゃあ仕方がないとはいえない。
「なによりも」
「なによりも?」
「私には潔志さんを御帰しする義務がございます」
「ああ、そっか……斬るだけじゃだめなんだっけ」
斬るだけでいいと思うんだけどなあ、と首を傾げる潔志に、フェートはほろ苦い笑みをほんの僅か薄い表情へ刷いた。
「やはり、神の御下こそが潔志さんのおられるべき場所なのですね」
「俺にもやることがあるし、家族もいるからねえ」
「家族」
フェートには「家族」がいない。
両親の顔は知らないし、筆頭覡になってからも名乗り出たものもいないという。
神に仕えるものとしての資質を認められ、筆頭覡の候補に目されるのは早く、フェートは人肌から遠ざけられて育った。
筆頭覡の特別は神のみであり、バリオルは平等に接するべきだからだ。
故に、師となるひとも長く同じ相手が続くことはなく、一定周期で変わり続け、フェート自身も一処に居続けるということがない。
誰かと共に寝たことなど、潔志が初めてであった。
他愛もなく触れてくる潔志の手に、ほんとうはとても不思議で形容し難い気持ちが湧き上がるのを、フェートは飲み込んで隠している。
あってはならないことだと理解しているのに、常に前へ出て剣を振るう偉大な背中に頼もしさと憧れを抱いた。
もし、もしも、とても恐れ多いことだけれど、もしも万が一。
己に「父親」という存在がいたのであれば、平素、潔志が何気ない様子で放ってくるものから溢れる不思議なものに満ちているのだろうか。その不思議なもので以って、導く存在が「父親」なのだろうか。
フェートには分からないから、想像するしかできない。
勉学で「家族」のことは学んだけれど、直接肌で知ることのないものは結局想像に頼るしかないのだ。
(いや、私のことなどどうでもいいのだ。潔志さんに、神子に家族……ああ、やはり神の御下には選ばれたものたちの世界があるのだろう)
潔志は己を神子ではないと、この世界の神など知らぬと言う。
嘘ではないのだとフェートは思う。
潔志は嘘を言わない。言う必要がない。どのような目が向けられることになろうとも、潔志は己を偽るということをしなかった。
そして、潔志がバリオルの信仰する姿や、魔族との関係に時折眉を顰めていた姿。魔族とのことならば分かるが、潔志は敬遠なバリオルにさえなにか嫌なものを思い出したような顔をすることがあったのだ。
潔志とバリオルとでは、神への解釈が違うのかもしれない。
だからこそ、潔志はバリオルの示す神を知らぬと言い、己が神子ではないと言うのかもしれない。
全ては、フェートの憶測だけれど。
神の御下へ帰り、潔志はどのような日々を送るのだろうか。
「……潔志さんにも、日常があるのですよね」
「え、なにを急に。当たり前じゃない」
フェートは「そうですよね」と頷いた。
当たり前か。
当たり前だ。
潔志にはやるべきことがあって、家族がいて、それらが組み込まれた日常がある。
その日常へ、帰るのだ。
暗惡帝を斬り、魔族のなかでも屈指の異能の力を持つという彼のものの命の散華をフェートが収束させ、神の御下までの道筋を創る。
筆頭覡に伝えられてきた秘術を、フェートは間違いなく成功させなければならない。
胸にひやりとした風が吹くような心地がしても、その風に心を乱してはならない。大それた望みを託して乗せてはならない。風穴に筆頭覡としての義務を取り落としては、ならないのだ。
「……潔志さん、暗惡帝は魔族を兵としては率いておりませんが、暗惡帝を慕う魔族が自ら兵として動いてきました。暗惡帝に辿り着くまでに魔族が潔志さんの御身を狙うでしょう。潔志さん自身に願い出るのはおかしなこととは承知です。ですが、どうか、貴方をお守りできるように私を鍛えてはいただけないでしょうか?」
斬るのだ、と潔志は言う。
斬撃こそが潔志の真髄、潔志自身をなによりも物語る潔志という存在そのものなのだと、彼の斬撃を脳裏に描いたフェートは恐れを飲み込みながら願い出る。
少しでも、ほんの少しでもいいから、潔志の帰還した世界に潔志の名残が欲しかった。
潔志は、きっと振り返ることすらせずにこの世界を去るだろうから。
フェートの願いに潔志は笑いながら「これまでよりもビシバシってこと? フェートくんは頑張り屋さんだねえ」と言って、やはりなんでもないようにフェートの頭をやさしく撫でた。
滑稽であると。
吐き気がすると。
哀れであると。
誰も、誰もフェートに教えられるひとはいなかった。
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