小説
五話



 話が訊きたい。
 書庫に篭っていた潔志にそう言われて、頷かないフェートではない。
 潔志は常のような無邪気さ覗く笑みとは違う表情をしていたような気がするけれど、やはりいつも通りのようでもあり、彼が真実四十を数える年齢なのだと納得できるだけの複雑な深みを覗かせる。
 潔志は三人介して話をするつもりはないようで、書庫で潔志と向かい合ったのはフェートであった。ツァーレはここ数日の静謐さを保ったままフェートを見送り、その様がフェートにはやや不気味だ。

「きみたちには急いでいるんだろうに、何日も足を止めてごめんね」
「いいえ、潔志さんが判断されたことであれば、それは必要なことなのでしょう」
「……神の采配って?」
「そのように、私は思います」

 そう、と一つ頷いた潔志の伏せられた瞼を、淡い笑みを絶やさぬ口元を、慈愛ともとれるし、温度がないともいえるその表情を、フェートはいつまでも忘れない。
 潔志が残したものと共に。
 潔志に奪われた後も。

「フェートくんは筆頭覡と云ったよね」
「はい、左様にございます」
「……バリオル、この世界の宗教のなかで、きみよりも上の地位にあるものはどれくらいいるのかな? その条件は?」

 フェートは潔志からまさかこういった質問をされるとは思わず、即答できないまま数回まばたきをした。
 バリオルは皆平等である、というのはこの質問の趣旨にそぐわぬ答えだ。
 潔志はフェートという筆頭覡を引き合いにして、地位について訊ねているのだから。地位と権力は似ているようでいて違うものである。

「私、筆頭覡という立場は特殊なものです。私の身はあくまで神に直下するものであり、現在は神子である潔志さんに所有される立場となっております。故に、私の上の地位、というものはバリオルのなかには実質存在しておらず、平時は神の御心に沿うように他の覡共々まとめられたバリオルの総意を以って各地を訪れ、神にお仕えしております。
 恐れながら潔志さんの欲される答えを推測しますが、筆頭覡に影響を出せるものは個人の地位として言えば……存在しないと言いたいところですが、大国の王となれば話は別です。筆頭覡は神託を第一に、バリオルの総意に影響を受けますが、王の指針は民に影響を与えます。
 過去に潔癖な筆頭覡を嫌った謀略家の王が、民意を操り筆頭覡を追い落とそうとしたことがありました」
「その筆頭覡はどうなったの?」
「…………教会が次第を把握し、王の所業を明らかにしたときには手遅れでした」
「……教会の、バリオルの総まとめ役っていうのはいないの?」
「もちろん、おります。ですが、あくまで神に仕える上で物事を滞り無く進めるために設けた指示系統であり、やはり私たち筆頭覡の上の地位というわけではないのです」

 なるほど、なるほど。潔志は数回頷いて、困ったな、と呟いた。
 フェートには潔志が己の答えを聞いて何故困ったのか分からない。なにか、足りない部分があったのか。それとも、不都合なところがあったのか。
 筆頭覡は神のために存在している。
 神に侍るための存在で、フェートは神子である潔志に望まれるがまま傅き何事をも熟してみせるのに、潔志を煩わせるものがフェートには分からない。
 ああ、とフェートは気づいて、理解する。
 こういうときに、潔志は「斬ればいい」と言うのだろう。
 こういうときこそ、斬ればいいのだろう。
 しかし、なにを?
 フェートには分からない。
 フェートには、分からないことだらけだ。
 筆頭覡として積んだ厳しい修行は、いざ神に、神子に現実で仕えれば何一つ役に立たない。
 筆頭覡としてバリオルに望まれ自身が必要だと思ったなにもかもは、実際には神にも神子にも必要のないものであったのか。
 だとすれば、それはなんと滑稽なことだろう。
 だとすれば、それはなんと恐ろしいことだろう。
 筆頭覡はバリオルとして斯くあれかしという姿を体現したものである。
 それが仕える存在に不要とされたのであれば、まさか、もしや、バリオルという存在自体が――

「うん、まあ、そのときは俺には関係ないか」
「……は?」

 フェートが目の前暗くなるような思考に辿りつきかけたとき、潔志は何事かを一人納得していた。
 伸ばされた筋張った手は、剣を振るうことに慣れた固くもしなやかで、力強い。けれど、フェートの頭を撫でる手はとてもやさしいのだ。
 慈しまれている。胸に熱いほどに温かいものが満ちるのを感じてしまう。

「フェートくんは俺が来るより前に、魔族と直接知り合ったことってあるの?」

 けれど、夢心地は長く続かない。
 頭を撫でる手をそのままに、現実を投げかける潔志にフェートは力が抜けそうになっていた表情を張り詰めたものに変える。

「………………我が子が魔族であると判明した両親が、バリオルとして生まれ直しはできないかと……我が子に住み着いた『魔』を取り除くことはできないかと、そう願われ……あまりにも幼い子でした。無垢な目を、していました。神の側近くで過ごさせれば『魔』が弱まることがないかと、当時の筆頭覡が…………」
「よくないことがあったみたいだね」
「魔族が魔族でなくなるのであれば、それは善いことです……試みとして数人、同じような境遇の子たちが集められました。そうして数ヶ月、神の側近くで……一般のバリオルよりも熱心なバリオルたちが住まう教会で、その子たちの面倒を見ることになったのです。
 当時、私は分からなかった…………当然ですね、当然です。あの子たちは次第に目から光を失くし、食が細くなり、心身を弱らせました……それを、周囲は『やはり魔族は魔族。神の側に在るなど不可能なのだ』と結論付けました……今ならば、分かります。むしろ、何故分からなかったのでしょう……!
 己を蔑むものたちに囲まれ、己を否定され続ければ、魔族であろうがなかろうがどれだけ傷つくかなど、分かりきったことであるはずなのに……!!」

 フェートには分からなかった。
 当時、今よりもずっと幼かったという所為もある。
 己の修行に忙しかったというのもある。
 周囲がそれを当然としていたというのも、ある。
 だから仕方ないなんて、フェートはもう言えない。
 そんなフェートへ向かい、常と変わらぬ様子で潔志は容赦のない問いを投げかけた。

「それで、フェートくんはこの旅を続けられるのかな?」

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あきゅろす。
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