小説
十六話



「――文崇」

 呆然としている愛宕を、文崇を呼べば、素直なこいつはのろのろとしゃがみこんだ。
 その左手をとって、無断で白詰草の指輪を嵌める。

「枯れたり、散ったりしたら何度でも作るよ。だから……これじゃだめか?」

 恋人にもなれない、結婚もできない、それなら間接的にでも家族の括りになって名前を呼ばれたい。
 後輩じゃ我慢できなかったんだよな。
 でも、妥協したって、ほんとうはそんなものを望んでたわけじゃないんだろう。
 俺は真剣に考えて考え直して悩んだけど、やっぱりお前をレールから押し出すようにしてまで隣に立つことができない。
 だけど、これなら、これくらいなら、許されるんじゃないかって思うんだ。
 お前の薬指にプラチナリングはやれないけど、これくらいなら。

「…………それでも、あなたは俺と同じ感情は返してくださらない。それなのに、どうして……っ」

 指輪を散らさないようにそっと触れながら、文崇がぎゅっと眉を寄せて泣きそうな顔をする。震える睫毛の向こうが潤んで、噛み締めた唇は赤くなった。

「……同じじゃなくても、あいしてる」

 唇を解かせるように頬を包んだ手の親指でなぞれば、指輪を作ったときに染み付いた草の匂いがする。
 文崇の見開かれた目から涙が零れた。

「お前が一等大事だよ。文崇以外にいない、お前だけが特別なんだよ」

 どうしてここまで誰かを想えるんだろうって不思議なくらい。
 それはおかしいことだと指摘されるほどに。
 他の人間だったら必要な理由も切っ掛けも、お前が文崇なら必要ないんだよ。

「俺は何処にも行かない。もうお前を置いて行かないし、手が届かないときはまた指輪を作って渡すよ」
「……真司先輩の薬指は、なにもないままでいてくれるんですか。俺以上の誰も選ばないで、俺だけのあなたでいてくれるんですか」
「お前が望むなら、お前のためだけの指輪をずっと嵌めようか。あとな、文崇」

 ばかだな。
 ばかだなあ、お前は。
 ほんとうに可愛いよ。お前より可愛いやつはいないよ。

「俺は昔からずっと、ずっとずっとお前だけの『真司先輩』だっただろう」

 他の誰が俺を先輩として、ましてや「真司先輩」なんて呼んで慕っただろう。
 委員会も部活にも所属していない、上下の繋がり希薄な生徒なんてそういうもんなんだぜ。なあ、お前は知らないだろう、第云十代目生徒会長さん。

「…………ごめんなさい。こんなに好きになってごめんなさい。ただの後輩でいられなくなるくらい好きになってごめんなさい。なりふり構わないでいられるくらい、全部捨てられるくらい好きになれなくてごめんなさい……!」

 文崇が両目を覆う手は、節の目立つ大人の男の手だ。それなのに震える声が必死に伝えてくる言葉はなんて幼いんだろう。手の間から零れてくる涙はなんて稚いんだろう。

「文崇はなあんにも悪くねえよ。ごめんな……あの頃だって歳上だったのに、大人じゃなくて、大人になってなくて、ごめんな。苦しくさせたな。お前は全然悪くないから、謝らなくていい」

 ただの後輩にするような接し方じゃなかった。
 俺はとても、とても文崇が可愛かったから、加減知らずの好意を押し付けた。
 なりふり構わず、全部を捨てる覚悟で文崇に望まれていたのなら、俺はきっと最初のときに頷いていたんだろう。
 ひとにはできることと、できないことがある。
 必死に望んだことに対してなんでもやらないからといって、どうしてそれが真剣じゃないって、本気じゃないって言えるんだ。
 文崇はその瞬間その瞬間の最大限で、俺からの好意に応えて、膨らんだそれを自ら差し出してきただけだった。
 ごめんなさいなんて言葉を使うべきなのは、自分で水を遣って育てたものから目を背けた俺だ。

「文崇、目赤くなっちまっただろ」

 やんわりと手を引けば、ぐしゃぐしゃの顔が覗いた。
 苦笑する俺の服を握りしめようとして、薬指で揺れた白詰草に文崇の動きが止まる。

「お前、泣き顔も可愛いなあ」
「……ッ悪趣味ですよ」
「我ながらいまの発言はないと思う。でも、ほんとうに可愛いよ。お前が可愛くなかったときが、俺にはねえけど」

 ぐしゃりぐしゃりと文崇の頭を両手でかき回すように撫でてやれば、文崇は眉を下げてはにかんだ。

「俺はもう……小学生あたりにはおじさんなんて呼ばれるようないい歳ですよ」
「……それ、俺にも突き刺さるからやめような。でも、お前が可愛いことには変わりねえよ。お前がそうだから、俺はいっつもなんでもしてやりたいって思ってた。実行できたことなんて、殆どなかったな」
「いいえ。いいえ、あなたは俺に十分なものを下さいました。して、くださいました」

 文崇は白詰草の指輪に口づけて、穏やかな顔で俺を見つめる。

「枯れたら、ほんとうにまた作ってくださるのですか」
「何度でも。時期じゃなかったら、別の花で許してくれ」
「贈ったら、左手薬指に指輪を嵌めてくださいますか」
「毎日でも。訊かれたら大事なやつがいるって答えるよ」

 文崇は頷いた。
 目を閉じ、噛みしめるように頷いた。

「……十分です」

 真司先輩、と音を転がすように文崇が囁くのが歌みたいに聴こえる。

「あなただけが、俺の『先輩』です。俺が、俺だけがあなたの『後輩』なのでしょう。十分です……それで、これが、さいわいです」

 俺はみっともなく震える唇を噛み締めて、ようやく絞り出した。

「ん」
「真司先輩も、泣き顔かわいいですね」
「いや、泣いてねえから。まだセーフ」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ」

 そっかあ、と笑う文崇があんまりにも眩しくて、せっかくセーフだった俺の涙腺はあっという間にアウトになった。
 男ふたりがしゃがみこむなか、吹いた風が白詰草を揺らす。
 同じ気持ちでなくても、繋ぎ合うものが違っても、俺たちは同じ場所に互いがいる。
 ざ、ざ、と揺れる草木の音に混ざる文崇のおかしそうな笑い声に、俺のアウトになった涙腺はいつまでも直ることがなかった。


2016/9/22

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