小説
七話



 談話室には数冊の雑誌が備えられている。
 寮が定期購入しているものもあれば、生徒が他の生徒も読んでいいと自身で購入したものを寄贈したものもある。
 その日、九重は誰かが出しっぱなしにした雑誌の見出しに目を留め、ふらりと雑誌へ手を伸ばしてソファへ座ることもなく立ったまま雑誌を読み始めた。
 雑誌はスポーツを取り扱ったもので、なかでも学生スポーツに焦点を当てたものだ。
 ページを捲っていけば自身と同じ年頃の少年少女が輝く姿が写真で、文章でこれでもかと強調されている。
 しかし、当然であるが輝かしいものばかりではない。
 いや、最終的には眩い輝きへ持っていく締め方がされているのだが、光を強調させるためには影も必要というわけか、挫折経験や苦難の話も添えられている。
 九重は無意識に雑誌を持つ手に力が篭もる。
 ふと、文字を追っていた九重の目が一部で止まり、前の文章へ戻って一から読み直し始める。
 決して大々的ではない。むしろ、一ページの一部という小さな部分でしか扱われていない、ある柔道少年の経験談。
 ライバルがいたのだと語る少年。
 あまり目立つ存在ではなかったライバルは、しかし将来は一角の人物になるだろうと信じていたし、ライバル自身も自負していたはずだ、と。
 諸事情でライバルは自分の前からいなくなってしまったが、叶うならもう一度――

「九重」
「うおっ」

 耳元で名前を呼ばれ、九重は飛び上がって驚いた。
 拍子に雑誌が手元から零れて、足元でページを開いた形で落ちる。

「あらやだ、そんなに驚くことないじゃない」

 雑誌を拾う間もなく振り返れば、あまりにも高く跳んだ九重に村雨が目を丸くしていた。

「誰だって驚くっ。なんでお前はいつも後ろから声をかけるんだ……」
「九重が気配に鈍いだけでしょ」
「いや、絶対にお前が意図的に気配を潜めてる」

 ころころ笑う村雨が屈んで雑誌を拾おうとしたので、九重は足が悪いのになにをやっているのかと慌てて制してから自分で拾った。
 僅かにページがたわんでしまったが、きちんと閉じて他の雑誌と重ねておけば問題ない範囲である。
 ほっと安堵の溜息を吐く九重を、杖に両手をかけた村雨が「油断大敵ねえ」と揶揄した。

「油断ってな……」
「うふふ、隙を見せたらがばーっと襲われちゃうわよ?」
「誰にだよ」
「私とか」

 杖に視線を送ってしまったのは完全に反射だったので、自覚した九重は気まずさに村雨からさっと目を逸らした。

「ふふ、私じゃ無理だと思う?」

 九重が目を逸らしても、村雨は直視しろとばかりに自ら突きつける。
 非常に認め難いが、その認め難さは本人を前にしての罪悪感以外のなにものでもなく、自分が酷いことを言う人間になることへの忌避感からくるものだ。
 九重はたっぷり五秒間黙りこみ、それから頷く。

「ああ」

 村雨はは「正直ね」と笑う。
 気分を害したような声音ではなかったけれど、その胸中までは九重に分からない。

「じゃあ、無理だって思うのに、考えなくても分かりそうなのに、それでも私が九重を襲ったら?」
「……は?」
「ねえ、九重はどうする? 抵抗する? それとも……」

 村雨はゆっくりと杖から両手を放す。
 装飾品染みた杖が音を立てて倒れたのと同時、九重の項で両手を組むように村雨は両腕を伸ばしていた。

「私に『お情け』でもくれちゃう?」

 ゆっくりと近づいてくる村雨の顔に九重は呼吸を止める。
 引き攣った喉。
 唇が触れ合う直前、声は無意識に零れた。

「口紅を落とさないでキスをしてくる相手は気をつけろと聞いた」

 ぴたり、と動きを止めた村雨は、そのままひょいと顔を放して首を傾げる。

「誰に?」
「父だ」
「あら……どうしてかしら」
「独占欲が強いらしい」

 へえ、と感心したように頷いて、村雨は両腕を九重から解く。
 九重から離れようとした村雨だが、距離感や杖が手元にないことから体をふらつかせ、九重は慌てて彼を支えた。

「やさしいのね」
「普通、だろう」
「……そうね、きっと普通だった。普通じゃなくなったのは私だったんだわ」

 早口に呟いた村雨はとても晴れやかな顔をしている。
 さっぱりと、なんの憂いもないような顔だ。
 九重は、今の彼が化粧をしていることを酷く惜しんだ。
 もし、もしも素顔の彼であったのなら、その表情はどれだけ魅力的に見えたことだろう。
 けれど、化粧をしていない村雨であれば、この表情が浮かべられることはなかったのだと、その機会が失われていたのだと、今の九重は気づかない。

「ねえ、九重。どうしてこの学園を転入先に選んだの?」

 村雨の唐突な質問に九重は咄嗟についていけなかった。

「不便なところよ。交通の便は悪いし……九重の成績とか漏れ聞く限り、理系コースに引かれたわけじゃなかったんでしょう? いえ、惹かれたのかしらね。言い換えれば、必要だった……?」

 問いかける村雨の声は穏やかで、しかし無邪気とはまた違う響きをしている。
 ぐずるこどもから話を促すのにも似て、大人びたものだ。
 ぐるり、ぐるり。
 九重のなかで村雨の質問が渦を巻く。
 はく、と開いた九重の口が意味も用も成せないまま閉じる。
 村雨が未だ彼を支える九重の手に自身の手を重ねた。

「九重――私、あなたのことを知っているの」

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