小説
二話



「おはよう、九重。今日もイイ男ね」

 華麗なる食堂事件から数日、村雨はすっかり気安く九重へ話しかけるようになっていた。
 朝食の時間では態々九重のもとへやってきて、挨拶がてら並んで食事を始めて気が利いたことも言えない九重に構わず好き勝手話し始める。それは、九重がくさやの焼き魚定食を食べているときであろうと変わらない。芳しいくさやの香り放つ定食の隣には鮮やかな彩りが目に楽しいミモザサラダと上質なバターが味わい深い焼き立てパン、やさしく自然な甘みで腹を温めてくれるポタージュスープ、厚切りの香ばしく焼いたベーコンにその日の気分でフルーツソースの変わるヨーグルトとカフェオレが並ぶ。

「……くさやはシャネルの五番とも花の香りとも程遠いんだが」
「なにを当然なことを言っているの?」

 では、何故隣に座るのか、という疑問を九重は声に出せない。似たような質問は過去にしており、返ってきた答えは「どこに存在するも私の自由よ」というものであったからだ。
 村雨は基本的にやりたいように好きなことをする人種であるらしいと、九重は既に察している。
 体格が良くて容姿振る舞いに気を配らなければいい意味で目立つことが少々難しい自分を「きらきらと素敵」と言い切る村雨のことを、九重はどう接したものかと考えあぐねている。
 何気なく視線を周囲へ向ければ、九重には羨望の視線がちらちらと送られており、今も村雨にせっせと世話を焼く顔面偏差値の高い男たちは村雨に対するのとは違う意味で九重を焼きたいという視線をくださっていた。
 村雨への対応を間違えれば、九重の学園における生活は地獄に変わりかねない。
 面倒な相手に目をつけられたな、と思うが深刻な悩みにまで到っていないのは、村雨自身があからさまに九重へ負担をかけるような真似をしないからだ。
 村雨は九重が確保したい場所をかき乱してまで自分を押し込もうとはしない。あくまで、隙間や空いた隣へするりと自然に当然のように入り込み、座り込むだけである。
 あまりにも堂々と行われるものだから、戸惑っているうちに抗議の機会はなくなって慣れてしまう。

「あら、九重ったらちょっと肌が疲れているんじゃない? 食事はきちんとしているようだから睡眠に問題があるのかしら?」
「いや、きちんと十時過ぎには眠るようにしている」
「まっ、お利口さん! でも、睡眠時間の長さがそのまま良質な睡眠とは別なのよ? あなたの場合、運動不足っていうのとは違うでしょうしねえ……」

 シャツにも触れぬ距離で体をなぞられ、九重はぞわぞわとした心地になって若干村雨から身を引いた。かんらかんらと笑う村雨にため息が漏れる。

「うふふ、それだけ鍛えるのには相応の時間が必要だったはずよ。日々の筋トレだけでつくようなものでもなし……ねえ、案外ストレスを抱えていたりするのかしら?」

 妙に見透かすような目で見てくる村雨から逃れるように、九重はぴしゃりとした声音で「知るか」と言い捨てる。
 気を悪くした様子もない村雨はカフェオレをひと口飲んで、湿った吐息を落としてから九重へ流し目を送った。
 村雨の薔薇の花弁のようなメイクは今朝もばっちりとキメられていて、そういう化粧をしながらの視線がひどく婀娜めいて見えることを九重は初めて知る。

「いけないわ。ストレスを無自覚に溜め込むことほど危険なことはないもの。爆発しちゃう前に発散しなきゃ」
「現代社会ではある程度のストレスは仕方のないものだろう」

 誰も彼もが村雨のように好き勝手生きていけるわけではない。
 村雨とて、この学園を出ればその化粧を落とさなくてはならない日がくるだろう、と九重は目を眇める。
 だが、村雨はそんな九重の考えすらも見抜いているかのように笑うのだ。

「大したことじゃないわ」

 何故、と九重は訊けないまま、お椀に残るお麩の味噌汁を啜った。



 放課後、携帯電話に届いたメールを確認した九重は一瞬というには長い間目を瞑る。
 母親からよこされたメールに並ぶ文面は、前回送られたメールの内容とさして変わりがない。
 返信をするのも億劫で、後回しにすることを決めた九重は携帯電話をしまうとさっさと寮へ向かおうと歩き出す。
 その背後から近づく勢い付いた不自然な足音。
 不自由そうに駆ける足取りの勢いは殺されず、あろうことか踏み込む気配まで感じた九重は慌てて振り返る。
 その視界に飛び込んでくる満面の笑みの村雨。
 九重は咄嗟に村雨を受け止めて、その勢いのまま回転、負荷をかけぬまま着地させた。村雨の手から落ちた杖がからん、と音を立てる。

「そんな杖を突いているくらいなら危ないだろう!」
「だって、遠くから呼んで立ち止まってくれるとも限らないじゃない。ねえ、もう帰るところかしら?」

 叱咤にも悪びれず村雨はなんでもないように問いかけてきて、九重は脱力しつつ村雨の自信に満ちた顔を見た。
 放課後であっても化粧崩れの気配が一切ないのは、流石カレー毒霧にも耐性を持つだけのことはある。
 妙な感心を覚えながら九重は首肯した。

「俺は部活にも入っていないからな」
「入る予定はないの?」
「ない」
「そう! じゃあ、放課後は私に付き合う時間があるっていうことね」

 上機嫌そうな顔で村雨は杖を拾い、自然な仕草で九重の手を取り歩き出す。瞬間的に引こうとした手はしかし、器用に絡められてしまった。

「あー、やっぱりイイ男と並んで歩くのは気分が良いわあ!」
「……テレビでキャバクラの良さを語っていたおっさんと丸切り同じ声音だったぞ」
「お黙り!!」

 くわっと形相を変えた村雨に九重は顎を引く。
 鼻を鳴らして杖でかつかつ荒い音を刻みながら歩く村雨に気圧されてしまい、九重は引きずられるように彼へとついて歩いた。

「な、なあ」
「……なによ」
「どこへ行くんだ? 寮には向かっていないようなんだが」
「いいところよ」

 それが何処かと訊いているのだが、という九重の問いは「いいからついていらっしゃい!」と村雨に鋭く切り捨てられる。

「市場へ売られる子牛の気分だ……」
「お黙り!!!」

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あきゅろす。
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