小説
二十二話



 フェートは筆頭覡である。
 フェートは知らなかった。
 筆頭覡である自身の周囲には厳選された人々しか配置されていなかったし、各地を訪っても意図的に隠された光景があったことを。
 それは疚しいことがあってのことではなく、ただただ純粋に、筆頭覡の目が穢れるという配慮からのものであったのだ。
 フェートは知らなかった。
 知らないことがなによりも許されざる罪であることを、フェートは知らない、知らなかったのだ。

「――村です!」

 行きではあれほど迷った森は、雪が止んだおかげであっさりと元の村へフェートとツァーレを導いた。
 先導するフェートが指差せば、ツァーレは無言のまま足を速める。
 息を切らせながら並走して窺った紅梅の顔色は、寒気のせいだけではなく青い。
 早急な治療が必要だと焦るフェートであったが、ふと村の様子がおかしいことに気づく。
 泣き声と怒号、狼狽と混乱。
 明らかな異常事態を察して足を止めたフェートの隣、意外にもツァーレが並んで立ち止まった。

「どうする? 覡。行くか? さもなくば、この女童を捨てていくか?」
「っなにを馬鹿な! 治療をしなければ彼女は死んでしまう……見殺しにするつもりですかっ?」
「では、村へ連れて行くのだな?」
「それしかないでしょうっ」
「そうか。では行こう」

 あっさりと頷き、ツァーレは再び村までの短い距離を走りだす。一瞬呆けたフェートも慌てて続き、村の入口へと立った。

「ああ、あああ……!」
「なんということだ……」
「神子様がいらっしゃったというのに、まさか、どうして……っ」

 人の輪ができている。
 神子という言葉にフェートの背筋を嫌な予感が駆け巡った。
 理由は分からない。
 だが、今すぐにでもこの場を離れるべきだと勘が告げる。
 しかし、そうすれば紅梅はどうなる?
 躊躇した一瞬のうちに、村人の一人がフェートとツァーレを見つけてしまう。

「フェート様!」
「ああ、フェート様、フェート様! 神子様は何処に?」
「魔族です。魔族が村のものを……宿の主人を!!」

 フェートは目を見開いた。
 自分たちを送り出してくれた宿の主人が魔族の手にかかった?
 この村を離れてからどれほどの時間が経ったのだろう。そこまで長い時間ではないはずである。ならば、魔族はまだ近隣にいるはずで、恐らくは潔志が今まさに対峙している雪女のような男がきっとそうなのだ。
 だが、それではおかしい。
 宿の主人を殺害したのであれば、フェートたちよりも後にこの村を発ったはずである。にも関わらず、朱牡丹はフェートたちよりも早く寒村に辿り着いていた。
 闇雲に神子を狙ってやってきた魔族ではまず有り得ない。
 土地勘や、雪の中という環境に慣れていなければ――
 フェートは思い出す。
 朱牡丹は寒村に、紅梅の血族に、強い恨みを吐き出してはいなかったか?

「フェート様? まさか、そちらのこどもも魔族にっ?」

 村人がツァーレの腕のなかでぐったりと意識を失う紅梅に気づいた。
 反射的に止めるべきだとフェートは手を伸ばしかけたけれど、紅梅のいまにも土気色に変わりそうな顔色がフェートを硬直させる。
 二重回しごと紅梅の衣服を染める血に、酷い怪我を負っていると察した村人が治療をとざわめきツァーレから紅梅を与ろうとした。
 そのとき、紅梅の身を包んでいた二重回しが捲れ、襤褸となった衣服の合間から断たれた腕が覗く。

「……え?」

 紅梅を抱き寄せようとした村人の理解できないという声。
 村人の視線を追って、フェートは絶句する。
 ざわざわと周囲が不穏なざわめきに満ちていった。
 その中心、その原因。
 紅梅の落とされた腕は、まるで止血代わりとでもいうように断面が凍りついていた。

「……魔族だ」

 ぽつりと誰かが言う。

「魔族だ」
「魔族よ」
「魔族が」

 魔族が魔族であるなによりの証。
 異能。
 寒村から村まで確かに寒々しい森を駆けてきたけれど、多くの血を失った紅梅が凍えぬよう配慮はしてあった。傷口が凍るなど有り得ない。
 異能でもない限り、有り得ない。
 村人の目が段々と剣呑な光を帯びていく。

「この魔族が下手人ですか、フェート様」

 進み出てきたのは司祭。
 穢らわしいものを見る目で紅梅を見下ろしている。

「ち、ちが……」
「違う? 他にも魔族が近くにいるということですか? いや……この顔立ち、もしやあの村の?」

 司祭が森の向こうを見透かすように視線を上げるのに、フェートはぞっとした。
 いつの間にか村人たちがちらほらとその場を離れ、かと思えば鍬や鎌、武器となるものを持って戻ってきている。

「待って、待ってください。あの村は今まで……」
「魔族の村などと知っていれば、もっと早く手を打っておりました。流石は神子様御一行です。その日のうちに魔族の巣窟を暴き、奴らを誘い出す生き餌も持ち帰られるとは……」

 司祭の浮かべる称賛の笑みが、フェートには酷く残忍なものに見えて仕方がなかった。
 フェートにはそんなつもりはない。潔志にだってないだろう。
 呆然としながらツァーレを覗えば、彼は冷め切った表情で司祭を、村人を見ていた。

「この魔族は磔にしましょう。悲鳴につられて魔族が姿を見せれば矢で射ればいい」
「っこのような幼子になんという仕打ちをするのですか?」
「なにを言っているのですか?」

 司祭が心の底から不思議そうな顔をする。

「『これ』は魔族ですよ?」

 そうだ、魔族だ。
 魔族に今までバリオルがなにをされてきた?
 けれど、バリオルと魔族であろうと、個人と個人が向き合ったのであれば、見つめるべきは出自ではなく個ではないのだろうか。
 だが、だが、だが!
 魔族なのだ。
 そして、フェートは覡なのだ。
 吐き出す言葉を失うフェートに助け舟を出すつもりなど欠片もなく、ツァーレが問いかける。

「魔族をおびき出したとして、怒り狂った複数の魔族が異能を全力でぶつけてきたときに相手取ることができるのか?」
「それは……」
「潔志殿に余計な手間をかけさせることは嫁である俺が許さん」

 ぐ、と唇を噛んだ司祭がそれでも紅梅を放置などできないと剣呑な目をツァーレの腕のなかへ向けて、それから名案を思いついたとばかりに顔を輝かせる。

「魔族をそのまま放置などできません! せめて、身を清めさせなくては!!」

 ――フェートは知らなかった。
 己の正義を疑うこと知らず、行使を躊躇わないものが如何におぞましい存在であるのかを。
 フェートは知らない。
 知らなかったのだ。

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