小説
十九話
朱牡丹の生まれ育った村は、女系であった。男が生まれないが故に、女系とならざるを得なかった。
稀人とひっそり枕を交わすことで次代へと繋いできたけれど、雪よりも寒々しくなっていこうとする村の未来に女たちが憂いた様子はない。
なくなってしまうなら、村人が絶えてしまうなら、それはそれで構わない。
皆、そう思っていたのだ。
そうでなければ、森を挟んでそばにあるもっと大きな村と盛んに交流したことだろう。
村の女たちは誰しも器量好しで、嫁にほしいという話は再三あったのだ。
どれもこれも、全て断っている。
誰も彼も、全員が断っている。
女たちはこの村のなかでしか暮らせない。生きていけない。
そういう事情を抱えていた。
その事情を濃縮させて凝固したような子どもが生まれたのは、冬牡丹の美しい頃だったか。
全国を渡り歩く薬売りとの間に村をまとめる家の女がもうけた子は、男児であった。
産婆が引き攣った声を上げた。
戸惑いと混乱、男児が生まれた記録など古く遡っても存在しない。
嬉しいことではなかった。
困ることであった。
男児ということは、村の娘と子を成せるということだ。
血が濃くなるということだ。
酷く、困ることであった。
とても、恐ろしいことであった。
他所へやるべきか。
いっそ殺してしまうべきか。
悩みに悩み、神の内ぎりぎりまでは子の処遇を保留としようということになった。
例外として生まれた男児であるならば、もしかすればいい意味でも「例外」であるかもしれない。それならば、問題はなくなる。
朱牡丹と名付けられた男児は、淡い期待を込めて育てられた。
周囲には女しかおらず、また男児であるということに過敏な女たちは朱牡丹を敢えて女児のように育てたが、外の世界を知らない朱牡丹はその歪さに気づくわけもない。
素っ気ない母親と、誰が産んだも関係ない妹たちからの意地悪に堪えることで精一杯だったのだ。
母親によく似た顔はちょっとした失敗で張られたし、母親譲りの黒髪はなにかと引っ張られて頭皮が痛んだし、残酷な歌で囃し立てながら何がなくても遠くから毬をぶつけられる日々。
そんな仕打ちの日々であっても、決定的な出来事は起きなかった。
七つの歳を迎えられる――はずであった。
美しい女たちだけの村。
その噂を聞いた遠方からの旅人が、朱牡丹に一目惚れをしたのだ。
まだまだ幼い朱牡丹を手元において、行くゆくは嫁としたい。
交渉持ちかける旅人に、母親は頑として頷かない。
朱牡丹は男児だ。嫁に出せるはずもない。
だが、女児として育てたことが仇になり、旅人は頑なに信じない。事実、朱牡丹は妹たちと比べても抜きん出て美しかった。歳を重ねればさぞかし、と思うのは仕方がない。
旅人はとうとう強硬手段に出た。
朱牡丹を攫おうとしたのだ。
突然村へやってきた外の人間。周囲に存在しない「男」という人間。
旅人が乱暴に自身を抱え上げて走りだしたとき、朱牡丹のなかで恐怖が溢れた。
喉が破れるほどの悲鳴。
朱牡丹の視界が真っ赤に染まる。
旅人を刺し貫く幾本もの氷柱は、染みだした血液すらも凍りつかせてとうとう旅人そのものを凍らせ砕いた。
「……なんてこと」
追いかけてきた母親が上げる絶望は、朱牡丹を思ってのものではなかったのだと、その瞬間の朱牡丹は知らない。
朱牡丹の生まれ育った村は、魔族の村であった。
魔族が魔族とされる、バリオルから忌まれる異能。
村の女たちは確かに異能を持っていた。
ほんの少し冷気を操ることができる程度。ほんの少し体温をいじることができる程度。ほんの少し、ほんの少し……
バリオルのなかに混じって暮らすことができない程度に、魔族としてバリオルに抵抗できない程度に。
ひっそりとバリオルから距離をとることで、魔族ではないのだと誤魔化し身を守っていた女たちのなか、朱牡丹は異例の男児として、誤魔化しの一切利かない異能を持って生まれてしまった。
もうだめだ。
朱牡丹を殺さなければ自分たちが死ぬ。
バリオルに勘付かれれば、おしまいだ。
異能を使いこなせない内に朱牡丹は縛され、地面へ引き倒された。
伸し掛かるのは母親。我が子とよく似た顔は鬼の形相、双眸から零れ落ちる涙の理由は本人にも分からない。
「か、母様……っ」
「母様などと呼ぶな! お前など、お前など私の子ではないわ!」
攫われそうになった恐怖抜けだす間もなく、本来は庇護してくれるはずの母親から存在を否定される。
母親はただただ後悔していた。
殺すべきだったのだ。
猶予など設ける間もなく殺すべきだったのだ。
細い首へと両手をかけて、血を吐くように叫ぶ。
「お前は産まれて生きていることそのものが罪なのよ……!」
その罪を丸ごと滅してしまいたいのだと、首を締める両手が訴える。
朱牡丹は心が凍りついて砕ける音を聞いた。
どれだけ素っ気なくされようと、意地悪な妹たちから庇われることなかろうと、それでも母親は母親であった。
「あ、ああああああああああああッッ!!!」
母親が絶叫を上げる。
突如現れ砕け散った氷が母親の片目に突き刺さり、痛みから朱牡丹の首にかけていた両手のひらを剥がそうとするも凍りついて無理やり剥がした瞬間に皮膚を持って行かれたのだ。
べたりと朱牡丹の首へ咲いた赤い花は、場違いなまでに美しく、そしておぞましい。
誰も彼もが引き攣った悲鳴を上げるなか、朱牡丹を縛していた縄が凍って砕ける。
跳ね起きた朱牡丹は駆け出した。
出てはならぬと言われた村の外へがむしゃに駆け出した。
もう、二度とこの村へ戻ることはないだろう。
森のなかで朽ちてしまうかもしれないけれど、それはあの場で死ぬよりも辛いことだと思わなかった。
荒れ狂う朱牡丹の心を反映するように、吹雪が視界を染め上げる。
泣いても叫んでもかき消される世界のなか、全身から熱が奪われるのに首だけはいつまでも熱かった。
生まれたことが罪ならば、どうしてこの世に自分は存在してしまったのか。
バリオルのなかにも魔族のなかにも居場所がないのだと、誰よりも知っているであろう女たち。ならば、どうして朱牡丹を理解してくれないのか。
望んで生まれたのではない。
望んで魔族なのではない。
望んで異能があるのではないのに。
望んでくれないのに、どうして罪を、魔族であることを、異能を押し付けるのか。
女たちを憎んで恨んで、世界をバリオルに与えた神を憎んで恨んで、朱牡丹の体はとうとう力を失う。
「呵々々! なんとも美しき童子ではないか!!」
雪へ埋もれるように倒れようとした体は、力強い腕に掬い上げられる。
そのとき、朱牡丹の心も救い上げられたのであった。
氷とともに砕けた心は、新たにつくりなおされたのであった。
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