小説
十七話
振り下ろす神剣を交差した双剣が受け止め、流す。
女性のように美しいけれど、並の男よりも余程膂力のある手応えに潔志は歓喜に沸き立った。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
交わす斬撃はしゃりしゃりと氷を削るように涼やかな音を立てて流され、其処此処に遺体の臥す室内であまりにも巧みな動きは潔志を高揚させて止まない。
そうだ、これだ。
飢えていた潔志は急速に満ち足りていく心地にうっとりした表情になりながら、ざ、ざ、と音を立てて距離をとろうとする相手に猛追する。
「ねえ!」
潔志は呼びかける。
「ねえ! ねえ! ねえ!」
笑いながら追いかけながら斬りかかりながら呼びかける。
「俺は潔志っていうんだ! きみは? きみをなんて呼べばいいっ?」
潔志の鋭い斬撃を、今度は流すことができずにぎりぎりと至近距離で両者は睨み合う。
いいや、潔志は睨んでなどいない。
潔志は好意を、好奇を、欲望を爛々に双眸へ湛えて凝視しているだけで、むしろ睨まれている。
「ねえねえねえ!」
「っうるさいのよ!」
初めての返事は女性口調による拒絶であったが、潔志はただただ喜んだ。
「は、はは! よかった、口が利けるんだね! ほんとうに大切なことは斬撃で語ることができるけど、名前までは訊かないと分からないから安心した!
俺は飢えていたんだ。ずっと飢えていた。物足りなかった。だって、此処にはあいつがいないんだ……飢えて飢えてどうしようもなくなったときにこの村へやってきて、きみと出会えた……!
導かれた縁をただ斬って終わらせるなんてしたくないんだ。ねえ、だから教えてよ。きみの名前は? これから斬るきみのことをなんて呼べばいい?」
間近で激しく舌を打たれ、直後潔志は弾き飛ばされる。
ざくりと肩に近い腕へ走った熱。
痛みは一定以上を超えると熱として知覚するらしいと潔志は初めて知った。
じわり、などと生易しい勢いではない。じゅわっと果実絞るように衣服へと赤黒い染みが広がっていくのを見つめる暇もなく、潔志は迫る双剣へ相対する。
「ふ、ひひ、ひゃはっ」
楽しい。愉しい。
もっと、もっと、と潔志は求める。
飢えていた分、与えられたものは格別に感じられる。
感じるのだ。分かるのだ。
とても好い匂いがする。
とても美味そうな匂いがする。
これを斬ればどれほどの甘露が滴り落ちるのか!
この世界へやってきてからこんなにも悦びを覚えたのは初めてで、だからこそ潔志は目の前の相手をただ斬ることなんてしたくなかった。
「ねえ、名前を教えてよ」
「うるさいと言っているのよ! 神子風情に誰が名乗るものですか!!」
「名前でなくてもいいよ。通称とか呼び名でも構わない。たとえば……」
艶やかに反射しているわけでもない神剣に、一瞬だけ血溜まりに沈む緋寒桜が映る。
「――きみによく似た緋寒桜さんは、きみのことをなんて呼んでいた?」
雪女のように美しい顔から、表情という表情が根こそぎ抜け落ちた。
振るわれる双剣は更に重たく、更に速く、確実に潔志の命へ迫る。
心地よかった。
斬り斬り斬らる。
繰り返す斬撃に体力は消耗しているはずなのに、心が弾むせいでまったく疲れなど感じない。
もっと、と潔志は際限なく求める。
斬り合いたい。斬り合う果てに斬りたい。
「きみの名前が知りたい。きみが知りたい……名前なら、本当は見当がついてるのだけどね」
下から斬り上げられ、潔志は退けざりながらも決して相手から目を逸らさなかった。
「ねえ……きみの名前は」
――朱牡丹というのではないの。
「……うそ」
眦吊り上げてなにかを叫ぼうと開いた彼の口は、極小さな呟きによって止められる。
ぽつん、と座り込みながらふたりを見つめていた紅梅が大きく目を見開いていた。
「……おにい、ちゃん?」
よろよろと立ち上がりながら、紅梅はふたりが剣戟を交わすほうへと歩き出す。潔志はぎょっとして大きく飛び跳ねながら紅梅が安全であるように距離をとるけれど、魔族である彼にとっては関係のないことなのだろう。潔志がしたように猛追して再び激しい剣戟を繰り返した。
「おにい、ちゃん?」
紅梅が呟いても、振り返る背中はない。
「おにいちゃん? おにいちゃんだよね? 朱牡丹おにいちゃんでしょう? 生きていたの、朱牡丹――」
「お前たちが私を呼ぶなッッ!!!!」
血を吐くような叫びとともにあれほど頑なであった背中が振り返り、彼、朱牡丹の刃が紅梅に迫った。
潔志が神剣を握る。
紅梅は不思議そうな顔をしていた。
朱牡丹は怒り狂った形相で紅梅の命を刈り取ろうとしている。
潔志の剣が銀閃を描く。
ぴし、と罅の入る音。
赤い血飛沫が噴水のように吹き上がり、紅梅の腕が肩から一つ、毬のように飛んでいった。
口を「あ」の形に開けて、しかし小さな体は声もなく血潮に沈む。
「……紅梅ちゃん?」
潔志の目から焦点が一瞬だけ揺れるが、肩で息をする朱牡丹の耳には届かない。
不意に二人分の気配がした。
「潔志さん、ご無事ですかっ?」
「潔志殿恐ろしかったでしょう! ですがご安心召されよ! 潔志殿の嫁がきたからにはどのような奴儕であろうと潔志殿の貞操穢すことは赦しませぬ故!!」
見知った声と顔が障子を開き、酸鼻を極めた室内に唖然とした。
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