小説
十二話



 フェートとツァーレは焦っていた。
 宿の主人は森を行った先に件の村があると言っていたのだが、その村へ一向に辿りつけないのだ。
 というのも、森のなかへ入ってから降り始めた雪の勢いが増したことと、吹く風がただでさえ軽やかな積雪を下からも舞い上げ地吹雪を起こした結果、視界がままならず今いる場所も定かではない。
 同じ場所をぐるぐると回っている可能性もあるし、見当違いな場所を直進している可能性もある。
 いたずらに体力を消耗し、体を冷やし続ければそのまま凍死してしまうこととて冗談にならない。

「くっ、いったいなんなのだ! 俺は潔志殿の嫁だぞ! その足を止めるとは生意気な!!」
「自然を相手になにを言っているんですか。あと、いい加減に嫁を自称するのをやめなさい。不敬ですよ」
「ほんのちょっと潔志殿に構われているからと調子にのるなよ覡! 潔志殿はお前がこどもだから仕方なく相手をしてやっているに過ぎんのだからな!!」

 ツァーレはこどもにはない大人の魅力でうんたらかんたら続けていたが、フェートに耳には届いていない。
 フェートはヘイゼルの目に僅かな影を乗せながら、森へ入ってから一気に青ざめた唇を噛み締める。
 ぷっつりと切れた唇から滲んだ血を、丁度吹きつけた雪が吸い込んで赤く溶けていった。

「……そんなこと、分かっています」

 ツァーレはまだなにかを喚いているが、些細な音など飲み込んでしまう雪のなかではフェートの呟きなどあってなきが如く、彼の耳へ入ることはなかった。
 雪が舞う。視界を染める。
 まるで、行く手を阻むように。
 潔志の存在を隠してしまおうとするように。
 フェートとツァーレは悴む手をぎゅっと握り締めて、ぐ、とまた一歩進みだした。



 潔志は女児、紅梅と手を繋ぎながらひんやりと冷気漂う廊下を歩いていた。
 板張りの廊下は古めかしさを感じさせる。ぎ、ぎ、と紅梅が歩けば軋む音がして、潔志もなにも気を遣わなければ同じように軋む音をたてた。

「……お部屋、ここです」

 紅梅がある引き戸を指差した。
 微かに震える指先と同じく、潔志と繋いだ手からも紅梅の震えは伝わる。
 緋寒桜から、菓子を携える娘たちを選べ選べと迫られたとき、潔志は「じゃあ、紅梅ちゃん」と女児を選んだ。
 そのときの娘たちの呆気にとられた顔と、すぐに紅梅へ気の毒そうに向けられた顔は暫く忘れられそうにない。
 緋寒桜だけは「では、紅梅。お客様をお部屋へご案内なさい。一緒にお菓子を食べておいで」と促して、紅梅は一瞬黙りこんだあとに「あい」と頷いた。
 けれども、紅梅の手は膳を再び持ち上げるにはあまりにもカタカタと震えが過ぎた。
 す、と目を眇めた緋寒桜が青い唇を開いた直後、潔志は紅梅の手から膳を片手で取り上げ、更に紅梅の宙を掻いた手を握って繋いでしまう。
 ぽかんと見上げてくる紅梅ににこにこと笑みを向けながら、潔志は「案内してくれる?」と問いかけたのだが、潔志の認識では神社へやってくる小さな参拝者バカ受けのはずの笑顔も紅梅には通用しない。彼女は俯いて小さく頷くだけであった。
 自分はいったい何をするつもりだと思われているのだろうか。
 自分はいったい何をさせられるのだろうか。
 潔志は紅梅や緋寒桜、娘たちの様子に内心でげんんなりしたものを覚えてしまう。
 緋寒桜や娘たちがついてくるようなことはなく、通された部屋を紅梅と出れば案内は手を繋いで歩く紅梅の口頭と、時折引っ張られる手のみであった。
 そうしてついた部屋には鍵がかかっており、紅梅は片手で懐から鍵札を取り出すとかしょん、と小さく音をたてて鍵を開ける。
 引き戸は存外滑らかに開いた。
 紅梅が手を放したそうにするので解いてやれば、先になかへ入ってから潔志へ「どうぞ」と促す幼い声がする。
 部屋のなかはそこまでは広いわけではなかった。
 だが、必要なものは揃っているような塩梅だ。
 ざっと目につくのは文机、脇息、衝立、その向こうにちらりと見えるのは布団だろう。畳まれてはおらず、むしろしっかりと敷かれている。

「あの、あの、わたし」
「ねえ」

 ちょこん、と部屋の真ん中よりやや奥へ正座した紅梅の言葉を遮り、潔志は彼女の前へと膝を折る。

「あのさ、さっき唄っていた歌を全部唄ってみてよ」

 紅梅はきょとんとした顔をする。
 なんのことだろう、と愛らしく将来が楽しみな顔に書かれた紅梅に、潔志は丁寧に村へやってきたばかりのときの様子を語った。そうすると自然、自分が泣きじゃくって顔面えらいことになっていたことまで思い出してしまったり、あの様子を紅梅に見られていたんだよな、と居た堪れない気持ちになるのだが仕方がない。
 潔志の話をじっと黙って聞いていた紅梅であるが、話し終えた潔志が「だから、唄ってくれないかな」とお願いすれば、あからさまにどうしたものかと動揺しながら目を泳がせている。
 潔志としてはそんなに困らせるようなことを言ったつもりはないのだが、もしや潔志の知らぬ村の掟など関わっているのかと思えば慌てて「無理にとは言わない」と紅梅へ続ける。
 だが、そのように付け加えるには、一足遅かったようだ。
 紅梅は決意した顔で潔志に向かい、口を開いた。

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あきゅろす。
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