小説
八話



 逃げ出した女児の背中に向かって伸ばしかけた手を、潔志は力なく下ろした。
 つい、と視線を向けるのはもう片方の手。その手が握るのは神剣だ。

「泣きじゃくってたおっさんが刃物持って近づいてきたら逃げないわけないよねえ……」

 潔志は斬撃に狂ってはいるが、常識がないわけではない。
 こうして自分を客観視できることもあるというのに、森のなかでの自分の有様にはしかし潔志のなかで異常と判断する余地はない。
 斬撃狂い故に斬撃が不足すれば誰でもああなると、潔志は「常識的」に考えた結果、そう判断しているのだ。
 やってしまった、と思いながら潔志は刀袋へと神剣をしまい、そっと村の様子を窺う。
 女児が逃げ出してからまだ少しも経っていないが、潔志には既に自身が村中から監視染みた注目をされているのを感じていた。

(うーん……しかし、いよいよ怪談……いや、むしろ横溝小説かな……)

 岩壁を抜けた先には寒村が、などとは半ば冗談であった潔志だが、潔志は真実寒村へと辿り着いてしまっている。
 しかも、村へ辿り着いてすぐに女児による童歌での歓迎を受けるというフラグの乱立振りだ。女児が毬で遊んでいたのも加算点である。
 毬で遊びながら童歌を歌う女児……よそ者には理解できない迷信を怒鳴り散らしてくる呆けかけた老婆くらい寒村へ辿り着い直後に出くわしたくない存在だ。村の伝承に基づいた見立て殺人に巻き込まれる可能性がぐっと上がったとしか思えない。

「童歌も童歌だよねえ……えっと、なんだっけ……?」

 潔志は視線をふいっと宙へ飛ばしながら女児が口ずさんでいた内容を思い出す。
 ――おーのはーなーのしゅぼたーんのーこぉーれるしーずくーは……

「おのはな……尾の花? 斧花? しゅぼたんは朱牡丹だよねえ……? こーれる……やめよう、下手に謎解きを始めるといよいよ見立て殺人の被害者か探偵役になりそう……」

 潔志はふるふると首を振って童歌から意識を逸らす。
 それからいよいよどうしようかと村を見つめ、ふっと息を吐いて一歩踏み入ることにした。
 さく、と踏みしめた雪の感触は森のなかの雪とは若干違うもののように感じられたのだが、それは気のせいなのだろうか。潔志には分からない。
 さく、さく、と音を立てて歩くごとに村から注がれる視線も移動する。
 不自然なほどにひとの姿はない。
 気配を感じる辺り、皆家屋の中に身を隠してしまったようだ。
 大きな刃物を持った見知らぬ人間がやってきたとなれば、そうなるのも仕方がない。

(これで出ないと目玉を斬り裂くぞなんて歌い出したら、それこそ目も当てられないことになるな)

 苦笑して、ふと潔志は首を傾げる。
 いつの間にやら辿り着いてしまった寒村に、潔志は当然用などあるわけがない。遭難して辿り着いたのであれば一晩の宿を求める交渉を始めなくもないだろうが、潔志は道に迷うということが殆どない。
 望み、必要であれば、潔志は目的地へ辿り着くことができる。潔志はもちろん、相葉の人間は主祭神の加護として日々神恩感謝を欠かさない。
 いつまでも、この寒村へ留まる必要はないのだ。
 しかし、どういうわけか潔志はこの寒村に惹かれるものがある。
 たとえば、虫が甘い匂いを察知してふわふわと周囲を飛び回って離れないように、自覚しない用を果たすまで潔志はこの寒村から離れ難いのだ。

「どうしようかな……どうすればいい? 源柳斎、お前ならどうする? え? ノック代わりに斬気を飛ばして元気よく訪問の挨拶? それは流石にやんちゃ過ぎるよ、源柳斎。俺も不惑だし、少しは落ち着きをさ!」

 空へ向かい脳内の源柳斎に相談を持ちかけてみた潔志であるが、現実の源柳斎であればまず間違いなく寄越さない返答が成された辺り潔志の脳内が斬撃により狂っていることが証明される。この潔志と脳内源柳斎のやり取りを現実の源柳斎とその幼馴染である蝶丸が見聞きすれば、彼らは不快感を隠さないだろう。名誉毀損も甚だしかった。
 結局、潔志は「源柳斎に聞いてもだめかあ」と現実の源柳斎と蝶丸が聞けばいよいよ抜刀間違いなしの呟きを落とし、村の更に奥へと進み始める。
 なんとなく、そのほうがいいような気がしたのだ。
 そうして、辿り着いたのは寒村のなかにあってさえ立派だと分かる屋敷。
 大きな門は閉ざされていて、訪うものを冷たく突き放す気配がした。
 だが、どれだけ冷たく突き放されようが、嫌悪を露わに罵られようが、構わず司馬本家を訪い続けた潔志が怯むわけもない。
 潔志は門の前に立つと、大きく拳を振り上げてごんごんと門の向こうへまでしっかり聞こえるように叩いた。
 応えはない。

「あれ……もしもーし! ごめんくださーい!」

 声も張り上げ、潔志は再び門を叩く。
 気づかれていないなどという可能性はない。潔志は自身へ向けられる視線が強まっていることも、困惑と警戒が増していることも察している。
 それでも、門は開かない。

「参ったな……この奥に、なにかいいものが、いいことがあると思うんだけど」

 潔志は門から続く塀をざっと眺めて、ひとまず屋敷の周囲を歩いてみることにした。

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