小説
七話



 斬って、斬って、斬り進んで。
 潔志の斬撃は目の前の獲物にしか向けられない。
 そこにあるものを斬って、捨てていくいくのが潔志の斬撃だ。
 斬り捨てること。斬って捨てること。
 どれだけ相手にとって大切なものであろうが、潔志の円い黒目が捉えてしまえば関係ない。
 欲望のまま、飢餓のまま、潔志の刃は斬り削いで、それを相手から奪い、しかし自分のものにするでもなく捨て去る。
 斬り去られて捨てられたものはもう、どれだけかき集めたってもとには戻らない。捨てられてしまったそれは芥へと堕ちた。
 嘆いても、悲しんでも、怒り狂っても、その感情さえも感情沸き立つ根源足るものが斬り捨てられてしまった以上は意味がなくなり、やがてはふつりと途切れて消える。
 飢えた潔志は手当たり次第に斬る。斬りながら進む。斬るものがある方向へ足を進めているだけであり、それは前進ではなく、まして進歩でもない。
 司馬源柳斎。
 刀へ到るという最終理念を掲げる月柳流が最強の剣士。潔志が最も斬りたいと望む相手。
 源柳斎の斬撃は前進を前提にしていた。
 斬り拓くこと。斬って拓くこと。
 前へ進むために障害となるものを斬って、源柳斎は頂へ到る道を拓く。
 潔志は斬りたいから斬る。
 源柳斎は斬るから斬れる。
 差異の意味を潔志は重要視もしなければ、意味自体も考えないけれど、互いの斬撃が違うことを知らぬ呆でもなかった。
 けれども、斬れればいい。斬りさえすれば同じこと思う部分とて声高く主張しているのだ。
 それが、いま、この瞬間に沈黙している。
 代わりに泣き喚くのは己とは違う斬撃を求める声。
 斬りたいがままに斬っている己へ呆れを隠さず向けられる刃、その鋼から放たれる斬撃への恋しさに斬りながら潔志は嗚咽を漏らす。
 斬りたい。
 この世は、この「世界」はあまりにも斬響の音色が淑やかに過ぎる。
 源柳斎を望めないのだとしても、斬撃の担い手をと喉から手が出るほどに、その手が神剣掴んで振り回すほどに飢えて飢えて仕方がない。
 源柳斎以外で思い出すのは、もう十年も前に没したひとのこと。
 月柳流宗家司馬八雲。
 源柳斎に及ばずとも、彼のひともまた妙なる剣筋誇る剣士であったと潔志は記憶している。
 終ぞ潔志が八雲と直接刃を交わすことはなかったけれど、彼の立場上、その斬撃を見る機会はあった。
 正しく、彼のひとは宗家であった。
 潔志にだって理解できる。
 潔志という斬撃狂いだから理解できる。
 八雲の斬撃は後進がためのものであった。
 斬り結ぶこと。斬って結ぶこと。
 月柳流が受け継いできた斬撃を、斬響を、余計なものを斬り捨てながら後進へと結び繋いで伝える。
 そうして八雲が一番強く、太く結んでついには前へと押し出した背中こそが源柳斎であった。
 八雲は嫌がるかもしれない。
 潔志は自分では理由が分からないけれど、月柳流の人間には、いいや関わってきた剣士たちからは総じてひょっとしたらそれ以外からも嫌われ、疎ましがられてきた。しょんぼりとしてしまう寂しさは斬ればいい。
 それでも、潔志は八雲に感謝をしたい。
 よくぞ、よく源柳斎をここまで、と。
 心からの感謝をありったけ斬撃に乗せて八雲を斬ることができなかった、それが亡くなった八雲へ潔志が抱く申し訳なさだ。死者への不義理は詫びようがない。
 もし、もしもいまこの瞬間、目の前に八雲が現れてくれたなら、潔志は感謝と詫びと大喜悦を以って彼を斬り捨てるだろう。

「あー、あー、あー!」

 潔志の泣き声に応じる声はない。
 斬撃狂いはどうしようもなく孤独で、飢えていた。
 張りの失せてきた頬を涙で濡らして、鼻を何度も鳴らして、食い縛った歯から時折唇を伝って唾液が落ちる。
 顔面をぐしゃぐしゃにしながら潔志は森を彷徨い、目につくものを、あるいは目に入らぬものを斬り続けた。
 やがて、森が過ごしずつ呼吸を浅くし始めても、潔志は止まらない。

「ふっぅい、ぃー……斬り、だぃぃいい……ううぅあああ……っ」

 斬りたいんだ。
 斬りたいんだ。
 ただ、斬りたいんだ。
 泣いて斬撃を乞う潔志の手の中、僅かに神剣が熱を持つ。
 ふうわりと吹いた風は潔志の足を無意識に導き、手当たり次第に斬り捨てることをやめないまま潔志は歩を進め続ける。
 やがて、森のなかにひとが通っているような道が見えて、潔志がその道へ促され歩き出した先、雪の真白に閉ざされた小さな小さな村が姿を現した。
 微かに聞こえるのは童歌。
 潔志はひく、と喉を鳴らしながら俯いていた顔を上げて、村を前にただでさえ円い目を見開いてまん丸にする。

「あれ……俺、いつの間にこんな場所……」

 潔志が後ろを振り返っても目印など望みようがない森が広がるばかりで、彼は困惑しながらも村へ向かい出す。
 近づく童歌は村の外にほど近い場所で毬をぽーんと投げては受け止めて、投げては受け止めてを繰り返す女児が歌っているものらしく、潔志は空を一瞬見上げて宿へ戻らなくてはいけないことなどをようやく頭へ思い浮かべると、道を尋ねようと女児へ近づいた。

「おーのはーなーのしゅぼたーんのーこぉーれるしーずくーは……」
「あの」

 ぼとり、と毬が雪の中へ沈む。
 黒い髪に青い唇、白い肌をした女児は信じられないという表情で潔志を見上げ――一目散に逃げ出した。

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あきゅろす。
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