小説
六話
はらはらと舞い落ちる雪が潔志の黒髪をも白く染め上げる頃、一つの村が見えた。
フェートが説明するところによると、あの村で一晩の宿をとるのだという。
「おお、この村に神子様が……! なんたる栄誉、なんたる光栄!」
村に存在する教会の老いた祭司は涙を流して感激し、その周囲ではバリオルたちが祈りの姿勢で潔志たちを歓迎する。
潔志は自分の頬が引き攣っていやしないかと不安になった。
祭司は村人の勢いからすると、少しでもいいから神子様からの有り難いお言葉をとでも求められそうだったのだ。
潔志は神職であるが、バリオルではない。
いきなり異世界へ召喚という、誘拐同然のお呼ばれをした異教徒である。
他宗教の存在しない、その発想がないこの世界において、異教徒であるという主張は強くできるものではない。していいものでもないだろう。下手をすれば比喩でなく世界中が敵になる。
潔志が「この世界の神様なんて知らないなあ」と言っても見逃されているのは、真実バリオルに他宗教の発想がないのと、潔志が神子であるという前提が強固故に、潔志がこの世界、神の御下からすれば地上世界に疎いと思われているからだ。
神子である潔志が神について何事かを述べてしまえば、バリオルにとってはどれだけの影響があるか考えるまでもない。
今までの教義がひっくり返るかもしれないし、神子である潔志へ困惑の目が向けられるかもしれない。
司祭は神子からの言葉を各バリオルと共有しようとするだろう。
なにせ、神子の、神にもっとも近きものの言葉を秘して独占するなど、バリオルにあるまじき行いだ。まして、フェートという筆頭覡が同席するのであれば尚更のこと。
そうなれば、この旅の今後にも関わる。
潔志は司祭や村人の期待に輝く視線に曖昧な笑みしか返せない。
潔志の様子にツァーレが「俺が潔志殿を煩わせるものを吹き飛ばしてご覧にいれましょうぞ!」と張り切りだしているのを、フェートが鞘に収めたままの小剣でぶん殴って止めている。
案内された宿のなかだからいいが、筆頭覡のこの姿を見れば司祭は腰を抜かすのではないかと神職に寄せられる世間からの期待を知る潔志は苦笑いを隠せない。
だが、同時に期待も胸へふつふつと湧き出す。
ぴく、ぴく、と指先が疼くように跳ねる。
だが、だめだ。
いけないことだ。
潔志はすっくと立ち上がると「少し散歩に出てくるね」と仲良く喧嘩をするフェートとツァーレの制止をドアで遮り、宿を出る。
一人で村を歩き回れば村人たちが寄ってくるなど自明の理。
潔志はなるべく人目を避けてふらふらと歩く。
(源柳斎なら木々の気配と同化してーとかできるのかなあ)
潔志が思い浮かべるのは、元の世界で山の庵にて寝起きしている剣士のこと。
ぴくぴくと跳ねる指先の動きがいや増すのは、潔志の疼きに比例してのことだろう。
やめるべきだ、と考えても潔志の脳裏に源柳斎が浮かぶ。
妙なる剣筋、描く銀線は艷やかで、ひたりと前を見据える黒き眼に正眼で構えた刃が映り込めば、それは龍の瞳孔よりも鋭いものになる。
じゅるり、じゅるりと潔志の口内に唾液が溢れた。
この世界へやってきてどれほど経っただろうか。数えてもそれほどに長くはないのかもしれない。いや、十分に長い? 潔志には長短の判断がつかない。
潔志は飢えていた。
まず、ツァーレを斬った。
次にカーマインを斬った。
足りない。潤わない。満たされない。
――斬撃を!
(斬りたい、斬りたい、斬りたい、斬りたい)
はあ、と吐き出した息は獣よりも荒々しく、性交に溺れたものよりも淫らで欲深い。
誰にも見つからぬよう、村の裏手にある森へ入りながら潔志は我が身を掻き抱く。
この世界では一人になる機会が殆どなくて、潔志は斬りに行く機会がまったくないのだ。
なんでもいいから斬りたかった。
無意識に片手は神剣を携えている。
はらはらと舞い散る雪が風に乗って正面から潔志へ吹きつけようとする刹那、潔志の前に幾筋もの銀閃が走った。
なにかが斬られた。
なにかとともに吹き付ける雪をも斬られ、潔志の黒髪には粉雪一粒ついていない。
「……足りない」
ぎり、と食い縛った歯、唇、顎を伝い、唾液が滴り落ちる。
爛々と目を光らせた潔志は更に森の奥深くへ進む。
斬ることさえできれば、もうなんでもいい。何者でもいい。
斬って、斬って、斬って、一瞬でもいいから、この飢えを満たしたい。
「斬りたい……斬りたいんだ……っ」
幼子が空腹を訴えるような切ない声を上げながら潔志はなにも見えぬ宙空へ神剣を振るいながら、森の奥へ奥へと進む。
潔志が進むごとになにかが森で失われていき、なにかが積み重なっていく。
それは、潔志が斬って捨てた要らないものだ。既に用を失くしたものだ。
なんという傲慢だろう。
自らの飢えを満たすためだけに、潔志は森を食い荒らしている。
けれど、潔志の行いなど誰も知らない。
潔志が振りまく災厄に森が上げる悲鳴は、誰にも聞こえない――
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