小説
一話



 神子が降臨した。
 あの方は愉快そうで、嬉しそうにしていた。
 神子が降臨した。
 あの方の目を喜ばせようとはしゃぎながら出かけたカーマインが帰らない。
 神子が降臨した。
 あの方は苦笑する。
 神子が降臨した。
 帰らぬひととなった面影思い出す肌を焼くような日差しの今日、涼が欲しいとあの方に抱き寄せられる。
 神子が降臨した。
 あの方を弑し奉らんとあの方を目指している。
 神子が降臨した。
 神子が降臨した。
 神子が降臨した。
 遠くを見つめるあの方の横顔は、鏡に映る自分とよく似ていた。



「暑いねえ……」

 詰襟を緩めてぱたぱたと手で扇ぐ潔志に、彼よりも暑さへ参っていた様子のツァーレが素早く大鉄扇を取り出して「俺が涼を送りましょうぞ!」と俄然張り切りだす。
 ツァーレの持つ大鉄扇を振るえば確かに風が来るだろうが、ツァーレからそれなりに距離を取らなければならないだろう。でなければ、首なり腕なりが比喩でなく飛んで行く。
 そういった事情も鑑みずに「いざ」とばかりに構えるツァーレへ、フェートが声を荒げて制止をかけた。

「あなたは潔志さんの身を傷つけるおつもりですか!」
「なんだと、この覡! 潔志殿の嫁たる俺が甲斐甲斐しく尽くそうという姿を見てなんたる邪推!!」
「自称をつけなさいと言ったでしょうっ? あなたは普段、それをどういう効果もたらすものとして扱っているのか考えて行動するべきです!」
「こ、このっ、言わせておけば覡のくせに……!」

 覡のくせに生意気だという酷い暴論振りかざすも、それ以上の言葉が出てこないツァーレにフェートは頭痛を覚える。
 どうしてこんな輩がバリオルの、世界の命運すらも左右する旅路に同行しているのだろうか。
 ちらり、と自然に上目遣いで潔志を見つめたフェートは、当の潔志に「ん?」と振り返られて慌てて首を振る。

「どうしたの、フェートくん。フェートくんも暑い?」
「いえ。覡として修行を積んだ身でありますれば、寒暖に不服は申しません」
「あはは、それを言われると神職として参っちゃうなー」
「覡! 潔志殿に無礼を働くか!」
「はいはい、ツァーレくんはただでさえ体大きいんだからあんまり興奮しないでね」

 言外に鬱陶しいと言われているも同然なのだが、ツァーレはそこまで思い至らぬらしく、ただ制止をかけられたことにのみぷくっと頬を膨らませた。巌のような大男がやればもう、母親が幼子の両目を覆って隠したくなるような光景である。
 ぶつぶつぶちぶちぶつくさぶつくさ「潔志殿がまた覡を贔屓した!」と不満を零すツァーレを一切合切無視したつもりもなく無視した潔志は、なにか潔志の気に障ってしまったかとおろおろするフェートへひらひら手を振りながら否定した。

「大丈夫、フェートくんはなにも悪くないよ。頑張り屋さんでむしろいい子じゃない」
「い、いえ、そんな……」
「俺もねえ、もう少し若い頃はこれくらいなんともなかったんだけど、そろそろ歳だよねえ」

 手を翳しながら空を見上げた潔志は、事前に聞いていた今日通るであろう道のりを頭へ思い浮かべる。
 行ったこともないこの世界の土地柄などさっぱり分からないが、足元で草の茂る平原をもう暫し歩いた先には高い岩壁に囲まれた迷路のような土地があるのだという。
 道は複雑だが、まさか岩壁を登り降りするよりも確実であるし、なによりも安全だ。

「太陽の光も遮られるから、随分と冷えるんだっけ?」
「はい。抜けた先からは東国ニカタの領土で気候ががらりと変わり、気温が一気に冷え込みます。なので、事前に必ず二重回しをおまといください」
「分かった。だって、ツァーレくん。聞いてた?」
「覡ばっかり覡ばっかり覡ばっかり覡ばっかり――」

 明らかに聞いていない様子のツァーレに苦笑した潔志は、表情薄くとも顰め面をしていることがよく分かるフェートの頭を宥めるように撫でてからツァーレのそばへと赴く。
 余程鬱憤溜まっているのか、潔志の接近にも反応しないツァーレの肩へ手を置いた潔志は、背伸びをして僅かに声を張った。

「ツァーレくん!」
「覡ばっひゃあぃっ! 潔志殿なんでございますかなとうとうあの覡よりも俺をっ」
「フェートくんがこれから寒いところ行くから、あったかくしてねって」
「……承知しました」

 ツァーレはフェートを見て激しい舌打ちをする。

「こらこら、親切してくれたひとになんてことするの」
「ですが、潔志殿。俺はこの覡に親切受けるよりも虐められるほうが多いのです!」
「ツァーレくんがフェートくんを虐めていることはあっても、逆はないでしょう」
「それ! それです! 潔志殿にちょっと可愛がられているからといって調子に乗っている覡は、それを俺に見せつけて繊細な小鳥のような俺の心を甚く傷つけるのです!!」
「繊細チンピラかな?」

 首を傾げた潔志の例えにフェートもまた首を傾げる。よくない言葉であることは分かったが、意味が通じきらなかったのだ。
 潔志とこの世界の人間たちの用いる言葉は、不思議なことに言語の疎通が可能になっている。そのため、潔志の用いる同音異義語の多い日本語であろうと確実に伝えたい意味で伝わるのだが、今回のように片方の世界に存在しないものや概念はその限りではないらしい。
 この世界にもチンピラと呼ばれるようなならず者はいるのだろうが、潔志が発した繊細チンピラというのはネットスラングであり、端的にそれを訳す表現がなかった故にフェートは理解できなかったのだろう。
 尚、潔志がネットスラングに通じているのは、彼の奉職している神社が度々曰くつき名所を紹介するサイトに載せられるため、その対応でネットの海を泳いでいるからである。

「うーん……俺はフェートくんを贔屓しているつもりはないんだけどねえ」
「では、どうしてなにかと覡に味方するのですか!」
「……道理だよね?」

 一層喚くツァーレの声は、遠く、風音絶えぬ岩壁にまで響いていった。

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