小説
はぴば!(後)



 ホットショコラの美味しい季節、暖炉のそばで椅子に掛けながら本を読めばきっと最高だろう雪のちらつく表でヴィオレは渾身の転移を繰り返していた。
 特級装備である裾引き外套は身にまとっていないときも空間術式で取り出せるようにしているので、朝起きるなり戦場で培った予感が今すぐに己の屋敷から逃げろと告げるのに従ったヴィオレであっても凍えることはない。
 前日から降っていただろう雪を蹴散らし、屋敷から大分離れた場所へ姿を現すヴィオレであるが、周囲をざっと見渡すなり即座にまた転移する。
 ヴィオレは絶賛逃走中であり、転移というその場から離れる手段としては反則級の術を用いているのだが、何故か転移した先でもヴィオレの勘は警戒音量を下げてくれない。
 どういうことだ、なにがあるんだ、と優秀な頭を回転させる間にも数回の転移を果たし、いよいよ魔力の減少を感じ始める。行使するのにはまだまだ問題はないけれど、ヴィオレの保有している魔力の量から考えて、減少を感じることがそも尋常ならざる状況なのだ。
 ヴィオレはこのままでは埒が明かないと判断し、一先ずは状況を把握しようと認識阻害の術式を展開して雪化粧施された常緑樹へ背を預ける。
 瞬間、頭上からけたたましい破壊音がした。
 立派な太い枝が脆い爪楊枝のようにへし折れ、水分量少ない粉雪とともにヴィオレへ降り注ぐ。
 咄嗟に障壁を展開してその場から離れようとしたヴィオレだが、ヴィオレが足を踏み出そうとした先に彼は現れる。

「ッグレ――」

 例えるならば、ズドンッ!! という擬音が相応しいだろうか。
 まるで、ヴィオレを縫い止めようとしているかのように、突如頭上から正しく降って湧いたグレンは手のひらを突き出して、己が相棒の蟀谷近くへ叩きつける。
 見上げるほどに高い常緑樹の先端さえも震えるような掌底は幹へと完全に埋まり、降り止みかけていた粉雪を再びどさどさと降り注がせた。
 ヴィオレはごくり、と喉を鳴らして己の顔の真横に伸びる腕を見遣る。筋肉の隆起が美しいしなやかな腕だ。
 現実逃避めいた思考がいけなかったのか、数秒前に聞いた擬音が反対側からも響いた。
 障壁がなければ今頃は頭から真っ白になっていただろうヴィオレは、ゆっくりと肘を曲げて顔を近づけてくるグレンに己の警戒音が最大音量でかき鳴らされるのを感じる。今朝からの予感はこれだったらしい。なるほど、この掌底がちょっとずれていたら一足早い精霊を迎える飾り色の一部になっていた。

「……あ、あー……おはよう?」

 まだいち日の挨拶をしていなかった、と無理やり思考を変えてぎこちなく微笑んだヴィオレに、グレンは先程から真顔のまま一切表情を変えない。
 先程、ヴィオレは「どういうことだ、なにがあるんだ」と考えていたが、今はひたすら「どうしたらいいんだ、なにをしてしまったんだ」と考えている。
 出ない答えは、ようやく真顔をやめてうっそり微笑んだグレンによってもたらされた。
 ミシ、ミシッと幹のなかを刳りながら拳でも作っているのか、振動されも不吉な音に震えるヴィオレへ向かってグレンは顔を近づけ、その耳元へ低い声で囁く。

「誕生日間近おめでとう?」

 それか、とヴィオレは盛大に顔を引き攣らせた。

「そなた、左様に根に持つ質であったかっ?」
「絶対忘れないってあの日誓った」
「己に誓約するのであれば、もっと別のものがあるであろう!」
「喜べよ。お前を祝いたい一心だ」

 言葉にならないうめき声を上げるヴィオレを鼻で笑い、グレンは幹から両手を引き抜くと手套に突いた木屑を払ってそのままヴィオレをがっしりと肩に担ぎ上げる。
 あまりにも軽々と鮮やかな手並みで抱えられたヴィオレは唖然として、抵抗のためにグレンの背中をぱしぱしと叩くもその程度でグレンが止まるわけもない。

「なっ、離さぬか!」
「おいおい、あんだけ熱烈に祝われたのに、これで終いだと思ってねえだろ? 今日が時間とれるってのは知ってんだよ。おら、感激しろ。パン屋の息子が『おたんじょうびケーキ』を作ってやったぞ」
「はッ?」
「蝋燭もぶっ刺してやるからちゃんと吹き消せよ。拍手してやっから」
「ま、待て待て待て! 誕生日当日でもあるまいし、左様な贅沢など……なっ?」

 グレンが殆ど棒読み同然の笑い声を上げる。

「誕生日当日は忙しいだろうが、皇子サマ? てめえの相棒はその辺りの事情もきちんと汲んでやる相棒思いだからな、安心して祝われとけよ。ああ、そういや……」

 この段階で入ったグレンの「そういや」にヴィオレはこれ以上音量が上がることなどないと思っていた警戒音が、最早脳みそ突き上げる勢いで騒ぎ始めるのを感じてグレンの言葉も聞こえなければいいとばかりに両耳を塞いで目をぎゅっと閉じた。
 しかし、悲しい哉。
 耳をぎゅっと押さえただけでは通常、音を遮断することなど難しいのだ。聞こえ難くとも聞こえてしまうのが現実である。

「誕生日プレゼントのアドバイス訊きに技本行ったらよ……まだ短時間しか録画できねえそうだが、映像記録魔道具を貸してもらえたんだわ」

 さあっとヴィオレの血の気が下がる。

「おたんじょうび会のいい思い出が残るなあ? ヴィオレフォンセ・ミソジ・ニュイブランシュ=エタンセル殿下」

 ヴィオレの上げた悲痛な叫び声は、降り積もる雪に吸い込まれて殆ど響くことはなく、誕生日には少し早いその日、ヴィオレは相棒グレンによって盛大にお祝いされた。

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あきゅろす。
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