小説
ゲームスタート(前)
・お父さんに遊んでもらいたいこどもと、命がけで遊ぶお父さんの図(not血縁)



 かつん、こつん。
 冷たいアスファルトを革靴で歩く足音が響く。
 薄暗い路地裏はどうしようもなく鬱屈したものを内包している気がして、アンジェロはうっそりとわらう。
 歩く毎に揺れる外巻きに跳ねた金髪は仄かに光っているようにさえ見えて、あどけなさすら伺える微笑と相まりアンジェロは名前同様、まさに天使のようだった。
 天使が光臨するには不相応な路地裏を、しかしアンジェロは慣れた足取りで進む。
 路地裏の奥、一瞬トマソンかと疑いたくなるようなコンクリートの壁から飛び出たドアノブを見つけ、アンジェロは節ばった手を伸ばす。
 鍵がかかっている。
 アンジェロはドアノブから手を離し、そのまま懐に差し入れる。そっと引き抜かれた手に握られていたのは、天使が持つには益々不似合いな奇妙な形状のナイフ。アンジェロの目がひたりと鍵穴を見据えた。



 かつ、こつ。
 冷たい大理石の廊下を革靴で慣らしながら、アンジェロは軽快に歩く。
 機嫌が良さそうなアンジェロにすれ違った人々は深く頭を下げて、アンジェロも珍しくそれに片手を上げて応えてやったり。
 目的地である重厚な扉の前までやってきたアンジェロは、そっとドアをノックする。
 がちゃり、と扉を開いたのは、目的の人物の秘書だ。いつも無表情で、まるで死体みたいな顔色をしている。

「アルドは?」
「お待ちです」
「そうですか」

 短いやりとりをして、アンジェロは室内に入る。
 品のいい調度品と、センスのある家具が部屋の主人の趣味の良さを物語っている。アンジェロが思い浮かべる人物像からは、とても意外なことだったりするのだけれど。

「ハイ、アルド。ご機嫌はいかがですか?」

 アルドと呼ばれた人物は赤い長椅子に寝転がり、どこかの数学者の論文集を読んでいた。
 アンジェロが来ていたのに気付いていたくせに、態々アンジェロが声をかけるまで顔を上げないそのひとに、しかしアンジェロは慣れているので微笑を絶やさない。

「お帰り、俺の天使」

 ゆっくりと長椅子から起き上がったのは、三十代後半ほどの男だ。人懐こそうな笑顔の割りに、目付きが鋭くて油断ならない。
 起きた拍子に目元に垂れてきた前髪を鬱陶しそうに払い、アルドはバリトンでアンジェロの鼓膜を震わせる。

「お仕事は終ったのか、可愛いアンジェロ」

 カバーを挟んで閉じた本を傍らに置き、アルドは組んだ足の上で頬杖をつく。面白そうな顔で問いかける成果にアンジェロも満面の笑みを返す。

「もちろん、しっかりさっぱり、跡形もなく」
「おお怖い。うちの天使は物騒だからな、暫くは犬どもが煩そうだ」
「犬が騒いだって、リードを持つ人間に餌をやれば、喜んで首根っこ押さえつけてくれますよ」
「なんてことだ、世の中腐ってやがる」

 言いながら、アルドはげらげら笑っている。気の利いたジョークを聞いたように笑うアルドの隣に腰掛け、アンジェロはアルドの見かけよりは逞しい肩にそっと凭れる。

「ねえ、僕頑張ったんですよ」
「ああ、そうだな。ご褒美が欲しいのか?」
「いいえ。でも、遊んで」

 アルドはため息をついた。
 傍らの本を取り上げ、惜しそうに数秒見つめると、すぐにそれをデスクの引き出しに丁寧にしまう。

「ウラジーミル」
「はい、すぐに」

 アルドの秘書は具体的な用件を告げる前に察して、一礼する。アンジェロはその様子をわくわくしながら見ていた。
 ウラジーミルがどこかへ連絡をして、屋敷が幾分騒がしくなる。それがほどなく収まると、ウラジーミルは恭しく部屋の扉を開いた。
 アルドはアンジェロを振り返る。

「一人ごとにペナルティだ」
「ええ? なぜ事前通告したにも関わらず行動できない愚図のために僕が?」
「愚図でものろまでも、いないよりマシなときがあるんだよ」
「……分かりました」
「じゃ、五秒後だ。ウラジーミル、カウントを」
「はい、分かりました。
 ――cinque,quattro.」

 アルドはかっちりしたスーツを着ているとは思えない身のこなしで部屋を飛び出した。
 たん、たん、と一定の調子で足音が遠ざかっていく。

「――zero」

 ウラジーミルはカウントを終えるのと同時、アンジェロも部屋を出て行く。
 走りながら懐に手をいれ、取り出したのは先ほど一仕事してくれた黒い銃だ。部屋へやってくる前からアルドに遊んでもらうつもりでいたアンジェロは、使った分の弾の不足を既に埋めている。
 走って、はしって、見えたアルドの後姿に、アンジェロは容赦なく銃口を向けた。
 銃声は十五発。容赦なく飛んでくる銃弾を、しかしアルドは背中に目がついているのか羽が生えているのか、まるで柳が風を受け流すが如き動きでひらりひらりとかわしていった。人間業ではない。
 アンジェロは無邪気なこどものような笑顔でリロードし、さらにアルドを追いかける。

「待って、待ってくださいアルド」
「ほら、こっちだ俺の可愛い天使」

 少し振り返ったアルドの顔も楽しそうで、遊んでもらっているアンジェロの機嫌はうなぎのぼりだ。
 逃げるアルドを本気でぶっ殺しにかかるというアンジェロの大好きな遊びは、時折逃げ遅れた屋敷の人間を巻き添えにすることがある。後で怒られるアンジェロだが、懲りてこの遊びをやめたためしはない。
 アルドが角を曲がったのをワンバウンドで狙ったが、聞こえてきた悲鳴はアルドのものではない。アンジェロは不満そうな顔で、自身も角を曲がる。

「一人負傷。ペナルティだな、アンジェロ」

 曲がった瞬間、アンジェロの長い足は右手を軸に伏せていたアルドの足に払われた。
 体勢が崩れたアンジェロはその勢いのまま廊下を転がって、振り返りざま銃を向けるが、既にアルドの姿はなく、風を切る音とともに顔面に革靴の金具が迫った。
 仰け反り避けた視界の下に、アルドの不適な顔が見えて、不自然な体勢のままめげずに銃口を向ける。もはや、アルドの引き締まった身体に銃創をつくるのが一種の夢と化しているアンジェロだ。

「ボス、Sig.レッジェ! せめてもう少し離れた廊下でやってくださいっ」

 アンジェロの高揚を冷ますように、血を流す腕を押さえる男が廊下の隅から悲鳴を上げた。曲がり角での被害者のようだ。

「だ、そうだ。可愛いアンジェロ」

 銃口から身を逸らしたアルドが囁きながらすれ違い、廊下に温かい日差しを差し込む窓をぶち破りながら外へ飛び出していく。そこに此処が二階であるという躊躇いは見られない。散らばる破片に顔を背けた一瞬で、アルドは猫のように地面へ着地して、そのまま駆け出していっていた。

「……貴方のせいですよ」

 アンジェロは青褪める男に冷たい一瞥をくれて、そのこめかみ数センチ横に鉛弾をぶち込み、窓の外へと身を投じた。


[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!