小説
音のない世界(四)



 ベルジュ伯爵家には後を継ぐ男児がいなかった。
 爵位を継ぐものは男児というのが当時の法であり、更に斜陽を迎えていたベルジュ家では特例も、救済措置も望めない。
 当主であるラウルは絶望的な家の行く末に心を削りながらも、必死で活路を見出さんとしていた。けれど、それも妻であるエリーズが病によって亡くなれば体にも支障をきたすようになる。
 歴史も栄光も全て諦めたとしても、ラウルの心残りは一人娘であるオルタンスのこと。
 重ねた歴史だけはあるベルジュ家だが、遺してやれる財もたかが知れている状況ではオルタンスに良い嫁ぎ先を見つけてやることもできなかった。あったとしても足りない歴史と血統を金で買おうとする輩しかなく、オルタンスが良い扱いをされるか分かったものではない。嫁ぎ先でさえ侮られ、軽んじられ、肩身の狭い思いをする可能性があるのに加え、周囲は金で歴史を売ったとオルタンスを笑い囀るだろう。
 贅沢を言っていられないとは分かっているが、それでも、と思ってしまうのがラウルの父親心であった。
 オルタンス自身は最早希望を持つことすら烏滸がましいとでもいうように諦めを胸へ抱き、幸いにも得ていた治癒術式の才を生かして医院にでも身を寄せようかと考えるほど。
 そんな陰りを帯びたベルジュ家に、思いもよらぬ話が舞い込んだ。
 オルタンスの縁談である。
 相手はニュイブランシュ=エタンセル公爵家三男、ヴィオレフォンセ。
 父は現皇帝の第二皇子、母は先帝兄である大公が息女。直系皇家を除けば帝国屈指の貴族の出である。
 まずその話を受けたラウルは、己の正気を疑った。とうとう病んだ心が正常に現実を見ることすらできなくなったのでは、と。
 傾いていなければ可能性が完全にないわけでは、ない。
 しかし、現状のベルジュ家を見ればあまりにもあり得ない縁談であったのだ。
 いっそ冷や汗、脂汗を流しながらラウルはなにかの間違いではないかと確認したが、返答は紛れもなく現実であるというもの。
 願ったり叶ったりの話ではあるが、簡単に飛びつけるほどラウルは前後不覚ではなかった。
 なにか裏があるのではないか。
 いいや、絶対になにかがあるのだ。
 臥せるようになってからは弱々しかった目に力を込めて真実を求めるラウルを、公爵家は煙に巻かなかった。
 公爵家当主であるイヴは嫡男であるヴェルメイユを伴い、縁談における側面、あるいは正面についての話をしにやってくる。
 密談のような、という言葉は相応しくないのだろう。真実、それは密談であった。

「当家のヴィオレフォンセについて、貴殿はどの程度ご存知だろうか?」

 オルタンスを同席させることを請われ応じたラウルに、イヴは問いかける。

「素晴らしい魔術師として軍部に属され……フェリシテ殿下の騎士であらせられる、と……」

 フェリシテは次期皇后となる皇女だ。その騎士という誉れある立場に、身分から成るだけではない軍人としての出世を見込める才。三男の身であり現在は分家を起こしていないようだが、いずれはイヴか、あるいは祖父である大公の持つ爵位の内の一つを譲られるはずであるから、そのときの家格だけを見るならばベルジュ家の娘が嫁いでも不審ではない。多くの嫉妬は受けるだろうけれど。
 ラウルの言葉に頷いたイヴはヴェルメイユへ視線をやり、もう一つ頷くと口を開いた。

「話の筋はヴィオレフォンセが魔術師として優れ過ぎているという点にある」
「優れ過ぎる、ですか」
「左様。我が息子は『魔法使い』となる」

 ラウルは息を呑んだ。
「魔術師」とは一線を画する……この認識すら甘いだろう。行き着いた「魔法使い」はただの「人間」とは確実に別の生き物である。
 イヴが態々、話の筋とするからには、ヴィオレフォンセが成るという「魔法使い」は、行き着いた魔法使いなのだろう、とラウルは手の震えを抑えきれなかった。
 益々、分からない。
 何故、そんな相手との縁談が没落寸前である自身の娘に持ち込まれたのか。

「年々、ヴィオレフォンセの固有魔力は増している。血肉に魔力は宿ることは知っておられるだろう? 軍部での訓練中、ヴィオレフォンセが僅かに血を流したのだが……流れた血の先に木の実でもあったのか、飛んできた小鳥が喋んだらしい――死んだ」

 ざあっと音を立ててラウルは青褪める。
 有り得ない話ではないのだ。魔術師の血肉によりショック死を起こすことは、決して有り得なくはないし、意図的に起こそうと思えば稀な例でもない。
 だが、喋んだだけで小鳥が死んだ?
 ならば、もっと大きな生き物は、どの程度で死ぬ?
 ネズミは? 鴉は? 猫は? 犬は?
 ――人間は?

「ベルジュ嬢、我々は貴女にヴィオレフォンセの子を産んでいただきたいのだ」

 父が話すのに任せ黙していたヴェルメイユが、絶句するラウルではなく同じく黙して話へ耳を傾けていたオルタンスに水を向ける。
 その血肉が他の生き物に害成す人間の精を受け、その子どもを胎で育ててくれないか、と。

「っお待ちください! そん、そんな、可能なのですかっ? 我が娘は、オルタンスは……!」
「魔力を一時的に抜いた上で事に及んだ場合、抗魔力によっては些か差異があるものの相手に目立った不調はなかった。だが、それでは『魔法使いの子ども』は産まれないのですよ、トリステス伯」

 人体実験。
 嫌でも過る単語。
 だからか、とラウルは理解した。
 実験であろうと、子を成すならば、婚姻を結ぶのであれば、相手が誰でもいいというわけにはいかないだけの身分が、ヴィオレフォンセにはある。
 しかし、相応に足る相手では、こんな話はどうにかして避けようとするだろう。
 限りなく円満に近く承諾する可能性があるのは、没落寸前という危機にあるベルジュ家というわけなのだ。
 更に言えば、オルタンスは治癒術式の才がある。我が身の不調に対して魔力がほぼ自動的に働きかけて快方へ導く体質を持つもののほうが、安全性が高いというわけだ。

「了承していただけるのでしたら、我が公爵家は貴女を大切に遇します。ヴィオレフォンセは軍人ですが、殉じることあろうと貴女に苦労はさせないことをお約束致します」

 イヴはベルジュ家に対しては何も言わなかったけれど、それは貴族特有の明言を避けるためのものではないのだとラウルには分かった。
 伯爵家をちらつかせれば、オルタンスに選ぶ余地はなくなる。
 誠意を信じられるだけの真摯さと、息が苦しくなりそうなほどの本気をイヴもヴェルメイユも湛えていた。
 ラウルは怒鳴りたくなった。叫びたくなった。
 そこにどんな誠意があろうと、真摯があろうと、皇家と繋がり深き公爵家からの縁談を断れるわけがない。
 きっと、イヴもヴェルメイユも咎めなどしないのだろう。ただ、この話を聞かなかったことに、と金銭すら置いていくのだろう。
 だが、それで? それで、どうなる?
 この縁談は、密談は、一生影に怯えるに値するだけのものだ。
 断ってもヴィオレフォンセに縁談の噂が立てば、公爵家はベルジュ家にさり気ない牽制をかけるだろう。当然の権利だ。
 更に言えば、断ってもオルタンスには他に向かうべき道などない。
 没落貴族の娘が、どれだけの苦労をすることか。

「今日中に返事を、などと――」
「お待ちいただけないでしょうか」

 懊悩するラウルに気遣わしげな声でひとまず引き上げる気配を見せるイヴとヴェルメイユを、オルタンスが引き止めた。
 ぎょっと娘の横顔を見遣ったラウルは、今すぐオルタンスの口を塞いでしまいたくなったけれど、彼女は頑なに父を見ないままひたりとイヴを見つめ、ヴェルメイユを見つめ「返事」をしてしまう。

「身に余るお話、喜んでお受け致します。どうか、父ともども、よろしくお願い致します」
「――皇家と公爵家の名において」

 砕けそうなほどに強く歯を食い縛ったけれど、ラウルは流れる涙を堪え切れない。
 その涙は嫁ぐ一人娘を祝す幸いと寂寥からくるものではなく、娘にこんな決断をさせてしまった悲哀と己の不甲斐なさによる悔恨の涙であった。

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