小説
無形遺産〈GV〉
・帰還後



「――ひぎゃあああああああああああああああッッ!!!!」
「無理、吐く」
「夢だ、これは夢なんだ。俺は寝不足が祟って夢を見ているんだ……」

 技師たちの絶叫に鼓膜を突き破られかけたグレンは、さり気なく自分にだけ消音術式を展開していたヴィオレに気づくなり彼をどついた。



 ヴィオレの裾引き外套であるが、これは大戦においても彼の身を守るのに尽力したとても優れた一品である。
 そりゃもう軍の技術開発本部、通称技本の技師たちや帝国筆頭魔法使いであるヴィオレ本人が涙と汗と血を滲ませテンション振り切れ相当調子に乗った代物だ。
 ヴィオレは元の世界へ帰還を果たし、そんじょそこらの物理攻撃も術式も通さぬ特級装備である裾引き外套を携え、グレンとともに技本を訪れた。
 ヴィオレの訪いを明るい顔で迎えたのは、裾引き外套製作に携わった主任技術者であるクロード・バルテレミー。
 目の下に異世界へ転移した初日のヴィオレに勝るとも劣らぬ隈を作ったクロードは、ぺたぺたと粗末なサンダルを鳴らしながらヴィオレを歓迎し、彼が気まずそうに紹介するグレンを物珍しそうに見遣る。

「殿下が態々ご案内するほどのお客さんとは……」
「お客さんじゃないから気にしないで」
「そうかい、マシェリちゃん。きみは調子どうだい? 幾つかアップデートしたいところがあるけど、それは殿下の認可待ちかな」

 ふふ、と疲れた顔で笑い、クロードは改めてふたりへ向き直ると、頬を掻きながら視線をぐるり、と回す。

「今日は装備の整備と伺っていますが」
「あと、彼の武器を誂えたくてね。ご主人の魔力なら好きに使ってちょうだい」
「魔石大盤振る舞いいやっふうううう!!!」

 片腕を天井へ突き上げてクロードは飛び跳ね始めた。疲れた顔から一転、いっそ酷い落差である。
 グレンは歯止めの効かなくなった研究者というものを相手にしたばかり故、眇めた眼差しでクロードを見て、そのままヴィオレの横顔へと移す。

「問題無いわ」
「あっそ」

 ヴィオレに代わってマシェリがひらひらと手を振るので、グレンはそれ以上なにも言わない。
 ぴょんぴょん飛び跳ねながら施設を案内し始めるクロードであったが、彼は間もなく地獄を見ることになる。

「…………ほえ?」
「くそきめえ」
「グレン、彼は現実を受け入れようと必死なのよ」

 呆けた声を出すクロードの前にあるのはヴィオレの裾引き外套。技師としてクロードもまた裾引き外套製作に携わっていた。
 だから、故に、よって、クロードもこの裾引き外套がどれだけ並外れているか、ばかの代物であるか、語り尽くせるほどに知り尽くしている。
 それなのに、現実の無常さ非情さ残酷さは語り尽くすなど不可能なほどに計り知れない。
 クロードの前にある裾引き外套はおまけをしても半死半生、五分の四は死んでいそうな惨殺された体を晒していた。

「…………ばかにゃっ? うそっ! うそうそうそ!! 俺たちぼくたち私たちの最高傑作がっ? 可愛いかわいいベベがッッ!!」

 身振り手振り大仰に、引っくり返った声を上げながら裾引き外套を手繰り寄せたクロードは矯めつ眇めつじっくりと観察してから沈黙し……施設中に響くような絶叫をした。
 クロードの絶叫を聞きつけた他の技師や研究者たちがどたばたと駆けつけ、クロードとクロードの手のなかにあるものを見て絶句する。
 ぎしぎしとぎこちない動きで自分を見てくる技師たちに、ヴィオレはそっと目を一瞬だけ逸らしたものの、すぐに彼らを順繰り見つめてから愛想よく微笑んだ。
 主人の意思を代弁する少女人形が小鳥のような声で彼らに本題を告げる。

「――直して?」

 そして、彼らは冒頭の絶叫を上げた。

「あり得ないあり得ないあり得ないいいい、ずたずたじゃないか。なにこれ、え……まさか、物理破壊されたっ? 魔力残滓まったくないし、記録ないし、これ物理破壊されたんですか、殿下!!」

 涙目、死んだ目になった技師たちがそれでも健気に裾引き外套を調べ、判明した事実。
 裾引き外套に致命傷を与えたのは、剣による刺突という物理攻撃。

「ふぁあああああああ、え、これ貫通してますよねっ? エッ、殿下のぽんぽんと背中も貫通ッッ? いや、そんなんじゃ死なないの知ってますけど!! え、殿下ですよっ? 殿下がこの装備あってっ!! いったいどこの馬鹿野郎なら物理攻撃でそんな馬鹿な真似ができるって言うンディスカー!!!!」

 ヴィオレは無言でグレンをそっと手のひらで示した。
 全技師たちが沈黙する。
 誰も、なにも喋らない。
 ひたすらに沈黙する。
 沈黙して、瞳孔開いた目でグレンを凝視している。
 程なく、技師の一人がぶるぶると震える手でグレンを指差した。

「あ、あ……」
「……なんだよ」

 皇族の腹に剣を貫通させた犯人として紹介されて何もないわけはないが、しかし真っ当に大罪人だとグレンが謗られるような真似をヴィオレがするわけもない。
 技師が果たしてなにを言うのかとグレンは軽く眉を寄せながら待った。

「悪魔め!!!!」

 ドストレートな罵倒だった。

「この修復に俺たちがどれだけ苦労すると思ってんだ!!」
「殿下からの魔力援助がなんぼのもんじゃい! 睡眠時間がそれで補えるかくそが!!」
「俺はこの前、まだ小さい娘に『お父さん、いらっしゃい』って言われたんだぞ! これで今度家へ帰る頃に『次はいつ来るの?』とか訊かれたらどうしてくれる!!!」

 技師たちからの非難轟々にグレンは真顔となった。彼らは自国の皇子が傷つけられたことよりも、自分たちの身に振りかかる疲労を嘆いている。

「静かにしないか」

 技師たちを宥めたのは、一番最初に絶叫を上げたクロードだ。彼は既にもとの……もとより疲れた顔になっており、グレンを見るとに゛ごっと笑いかけた。

「殿下がそうして並び立っていらっしゃる以上、俺たちから何か言うようなことは何もない。そうでしょう? ヴィオレフォンセ殿下」
「信頼していいわ」
「なら、殿下とヴァーミリオンくんがどうのこうのを俺たちが気にすることはありません」

 マシェリを通したヴィオレの意にクロードは頷き、裾引き外套へ視線を向けてからもう一度グレンを見つめる。
 今度こそ、クロードは晴れやかな笑みを浮かべていた。

「だが、技師として個人的に絶対許さん。修復終わるまでしつこく恨み続けるからなこの豚糞野郎」

 クロードは拳を握った片腕をぐっと突き上げる。後にヴィオレから自身に馴染みのある仕草でいうところの中指を立てるものに該当すると教わったグレンは、片手で額を押さえた。
 ――修復終わるまで、とクロードは言ったけれど、彼は後にこの言葉を撤回する。
 ヴィオレを介したグレン本人の用件である武器の製作は、彼の常識外れな能力故に散々技師たちを泣き狂わせた。
 調整や、性能向上のために技本を訪れる度にグレンは技師たちから「ぎゃっ」と悲鳴を上げられ、ついには「グレン・サルテ・ヴァーミリオン」という名で呼ばれるようになる。
 グレンと技本の技師たちとの関係は、技師たちの心を知らず長く、とても長く、仲立ちしたものの没後も続いた。

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