小説
十七話



「――の業務提携に関しまして担当致します、雅洒髑髏千寿と申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
「藤樫桐枝です。こちらこそよろしくお願い致します」

 ある年、頬から円みをなくした男がふたり、それぞれが属する会社の名を背負って挨拶を交わした。
 GDグループとTOGASHI、二つの企業が大々的に協力して取り組むのはGDグループが長年独走していた分野に関する研究開発であり、TOGASHIがこの提携に持ち込めるまでにかけた時間は異常ともいえるほど短い。それだけの結果をTOGASHIは叩きだしていたのだ。
 担当者として顔を合わせたのは同い年の男同士であり、母校を同じくするもそこに慣れ合いの気配はない。
 ただ、先行きを安堵させるに十分な親しみだけは確かに存在した。

「……と、今日はここまでいいでしょう」
「ああ、もうこんな時間ですね。藤樫さんはこの後お時間ありますか?」
「ええ」
「よろしければ、親睦を深めがてら食事でも如何でしょうか?」
「喜んで」

 仕事の話から離れたふたりは幾分顔つきを穏やかに変え、並んで店を目指しだす。
 近くに隠れ家のような名店があるのだと紹介した千寿に従って歩く道は人通りが少ない。

「――ねえ」

 見ている人間もいなくなった頃から愛想笑顔をやめたふたり。沈黙を最初に破ったのは千寿であった。
 桐枝は返事をしようとして、ふと足を止めて千寿を凝視する。
 数歩先を歩いて立ち止まった千寿は振り返り、もう一度口を開いた。

「ねえ」

 先ほどと同じ音。
 堅苦しい「よろしいでしょうか」でも、気安さ変わらぬ「なあ」でもなく「ねえ」という声のかけ方。
 それはもう、随分前に桃城学園へ千寿が置いていった懐かしい言葉遣い。

「……なんだ?」

 今度こそ桐枝は返事をする。

「アタシ、捕まっちゃったわ」

 桐枝は曖昧な笑みを浮かべながら、完全に懐かしい口調へ戻った千寿の言葉に耳を傾けた。
 もう、すっかりとこどもではなくなった、いられなくなったのに、たかが口調一つでこうもかつての面影がそのままそのひとに被さるだなんんて、桐枝は今まで知りもしなかった。千寿だって、きっと自覚していないだろう。

「アタシね、ずっとずっと終わらなければいいって、あの時にはもう思っていなかったのよ」
「……あ?」
「アンタは随分頑張ってくれたみたいだけど、アタシの求めていたものとは微妙にすれ違っちゃってるわねー。ご苦労様?」
「……この糞が」

 凶悪な面構えで吐き捨てる桐枝にころころと笑いながら、千寿は更に言葉を続けようと笑みを止ませる。
 これ以上なにを言うつもりだろうかと睨みつければ、千寿は桐枝のそんな表情、眼差しこそが懐かしいのだとばかりに目を細めた。

「少しでよかった。一瞬でもよかった。アタシは……アンタの特別が欲しかったのよ」

 思いもよらぬ言葉である。
 桐枝はぽかんとして、無意識に、脳を介さず、そのまま口から言葉を零す。

「お前、ばかだろう」
「っそうよね――」
「人生傾けられといて、特別なつもりなかったのか」

 痛みを混ぜた声に被せられた言葉に千寿が全ての動きを止める前で、桐枝は盛大なため息を吐いた。

「尽くされて当然の考えがきっちりと根付いていたわけだ。いいか、この糞馬鹿野郎。この先もてめえと延々いることになる俺がはっきりと言ってやる。てめえほど手がかかって、てめえほど面倒臭くて、てめえほど計算上手に俺の回りちょろつくやつが他にいて堪るか」
「なに、よ、それ……」
「お前以外に追いかけてきたやつなんざいねえってことだよ、糞馬鹿。まあ、今度は精々お前から追いかけてくれや」
「なによ……なによそれっ、ちょっと、どういうことよ!」
「言っただろ? 俺は相応のもんを返すだけだ。お前がもういらねえっつうなら、俺ももう鬼ごっこ終了で構わねえよ」

 人生を傾けたとまで言ったくせに、桐枝はあっさりと傾けた先を放り出そうとする。
 千寿が止めたければ、桐枝も止める。その程度の感情でしかないのだとでもいうように。
 それが相手にとってどれだけ認め難いか、許し難いか、腹が立つことか。全部分かった上で桐枝は容易く言い切ってしまえる。
 正しかった風紀委員長はもういないのだ。
 いるのは質が悪くて狡猾な男。

「冗談じゃないわよ! よくもまあここまでアタシを馬鹿にできたものねえ? ええ、ええ、覚悟なさい、桐枝! この雅洒髑髏千寿様が全身全霊で追いかけてあげるわ。すぐよ、すぐあんたなんか捕まえてやるんだから。そのときになって後悔するがいいわ! アタシによって骨抜きにされたアンタを肴に秘蔵酒開けて笑ってやるわよ、ええ、決定!!」
「はっはー、そいつぁ楽しみだ」

 金切り声を上げる千寿に笑いながら並び、桐枝はぽん、と肩を叩く。

「ひとまずは飯にしようぜ?」
「……こんなことなら手作り弁当でも持ってきてやるんだった!」
「胃袋ならむかしに割と握られてるんで、次からよろしく」
「うるせーわよ、バーッカバーッカ!」

 喧しく罵ってくる千寿の声を聞き流しながら、桐枝は自分を追い掛け回してくるだろう千寿を想像して口角を上げた。
 桐枝は相応のものを返す。
 それは、一方的に関係の初期化を強いられたことへの報復にも言えることであった。
 必死になればいいと思う。
 あの手この手を使えばいいと思う。
 なんとしてでも自分を捕まえるのだと、追いかけてくればいい。
 桐枝が千寿を追いかけたときのように。

「千寿、早く俺を捕まえろよ」
「当たり前……いま、名前呼んだ?」
「さあな」

 すっとぼける桐枝は千寿に「ねえねえ!」と迫られながら、振り回される腕をそのまま好きなようにさせ続ける。
 目的の店に入る頃になっても千寿が諦めなかったためふたりは腕を組んでいるかの様体になったが、隠れ家的名店の店主はなにも言わずにふたりを他の客から見つかり難い席へと案内するだけであった。
 薄暗い店内の更に誰からも見えないテーブルの下、緩く繋がれたふたりの手。
 誰にも知られなければないのと同じ。
 なにもなかった過去をそのままに、なにもない現在を続けよう。
 束の間の自由、遊びは終わった。
 けれども、本気の鬼ごっこは始まったばかりである。



2016/4/5

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あきゅろす。
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