小説
八話



 遊びは十代まで。
 笑って言っていたのは学園のOBであっただろうか。
 特殊な閉鎖空間だけで許される秘密の遊びは、当然ながら外では通用しない。
 箱庭の常識を現実世界にまで持ち込んだ人間はただただ自滅か、自滅に見せかけて潰されていく。
 どれだけ親密な関係を築こうと、どれだけ将来を誓い合おうと、どれだけ特別扱いされようと、それらは全て卒業するときに思い出と一緒に学園へ置いていくべきだ。
 恋人のようであった誰かとは別れの言葉もなく仲の良かった友人になり、夢見た将来は仕事のなかで昇華され、白さえも黒と言い切れてしまえそうな優越感はむしろ振り回される側として味わうことになる。
 卒業すれば、学園のなかであったことは誰も口に上らせなくなる。
 特別なことなどなかった。
 素晴らしい友人たちとそれなりの青春を駆けた。
 示し合わせたような話がそこかしこで聞こえる同窓会、距離がなくなってしまうほど近くで見た顔と再会してもよそよそしさや戸惑いもなく近況を話すのだ。
 薄っぺらいだろうか。
 空虚だろうか。
 保身と嘲られるだろうか。
 自らとその周囲を守りたいのは誰であっても当然なのに、それを咎め、責め立てる権利が何処の誰にあるというのだろう。
 学園のなかで築いた特別など、外へ出てしまえば幻同然に消えていく。
 掴むだけ無駄だと知っているのに、どうして誰も彼もが手を伸ばすのだろうか。



 自分に向けられる視線と、交わされる潜めた声によるうわさ話に気づかぬ桐枝ではない。
 千寿が泊まっていった朝の出来事が随分と不愉快な方向で関心を買ってしまったようだ、と桐枝は胸が塞がるような重苦しい思いをため息へと変えて吐き出す。
 視線を廊下の隅へと向ければ、桐枝を見て会話していた数人の生徒が蜘蛛の子散らすようにさっといなくなり、桐枝は思わず「根性ねえな」と呟く。
 ちらちらと視線を向けてはひそひそと話をするという、気づいてしまえばいっそ虐めだろうかとすら感じられる周囲の態度は当然ながら向けられて気分の好いものではないため、桐枝の機嫌は下降の一途を辿った。
 なにより、最ももの申し候いたいのは内容である。

「ねえ、桐枝。アタシ知らなかったわ。アタシたちって随分と熱い夜を過ごしていたし、アタシはアンタから熱烈に愛されていたのね……自分が鈍いだなんて思ったことはないけど、全っ然気づかなかったわあー」

 放課後、委員会室を目指して廊下を歩く桐枝の後ろには、はふん、と熱のこもったため息を吐く馬鹿野郎もとい千寿。
 ご自慢の顔面中央へ拳をめり込ませられたらどれだけ気分がスッとするだろうかと思うものの、この堪え性が利かなかったが故の現状と思えば桐枝の拳は指先が動くだけで握られることすらない。
 衝動だけで動き続けられるほど、この学園において風紀委員長の肩書きは軽いものではなかった。
 十代の双肩に見合った重責であるのかと問われれば、桐枝も含めて誰も黙して語らないけれど。
 千寿は桐枝が意図して無反応を選んだことにつまらなさそうな顔をした。
 噂やそれがもたらす今後の弊害を察せぬほどお粗末な頭をしているわけではないだろうに、千寿は快楽主義の嫌いが過ぎる、と桐枝は眉間を寄せながら視線を斜め下へと落とす。
 窓から入り込む夕日が、落とした視線の先にある影のひとつが動かなくなったことを桐枝に教えた。
 一秒分の距離を置き、二つの影がその場から動かなくなる。

「ねえ」

 桐枝の背中へかけられる千寿の声。
 落ち葉を重ねるのにも似た、乾いて寂しい音をしているように聞こえたのは、いよいよ自分の耳が腐ったせいなのかと桐枝は我が身を嘆いた。
 そんな桐枝は千寿が僅かに笑う気配を感じて、立ち止まってしまったことを心底後悔する。
 今からでも遅くない、と歩き出そうとした桐枝であるが、桐枝が足を出すよりも千寿が口を開くほうが何倍も早い。
 千寿は「ねえ、桐枝」と呼びかけて、今度は間も置かぬままに続ける。

「そんなにアタシが嫌い?」

 僅かに振り返った先で、立ち止まったままであろう体勢の千寿がいっそ不思議そうに首を傾げ、答えぬ桐枝を急かすようにもう一度「ねえ」と促した。
 答えることは、きっと難しいことではないのだ。
 けれど、答えられるからといって、答えたいとは限らない。
 桐枝は自身を窺う千寿を真っ向から見つめ返して淡々と逆に問い返した。

「そうだって言ったとして、いまのお前のなかに響くもんがあんのか?」

 千寿が固まった。
 人間の我と己は自他が思う以上に頑なだ。
 外界からの影響で違う人間になったかのように見えたとしても、それらはただ方針を、視点を、やり方を変えただけに過ぎない。
 千寿の問いに桐枝が答えて、千寿の言動に変化があったとしても、千寿という人間の内には些かの変わりもない。
 なればこそ、この問答に意味はなく、桐枝が肯定しても否定しても同じことだ。
 桐枝は千寿から視線を外して、また歩き出す。
 千寿の手が僅かに浮いて自身に向かって伸びたことには気づいていたけれど、結局は中途半端な位置で静止した手に桐枝は立ち止まらなかった。

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あきゅろす。
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