小説
七話



 案の定、千寿へ下りた診断結果は大したことはないというものであった。
 頻りに「え? 介助とか必要じゃないの? え?」と養護教諭へ詰め寄っていた千寿であるが、湿布どころかタオルに包んだ保冷剤をよこされるのみで終わり、非常に釈然としない顔をしながら保健室を後にすることとなる。

「おかしいわ……」
「俺からすればなんであれだけ騒げるほうがおかしいわ」
「はあっ? じゃあなに、アンタはああいうのが日常だって言うのっ? 痛みとともに生きてますっていうのっ? いつからか俺は痛みを感じなくなってしまったんだとか遠い目をしてるって言うのっ?」

 桐枝は無言で千寿の頬を引っ張った。あまり伸びない。
 悲鳴を上げながらべちべち叩いてくる千寿の頬から手を離せば、引っ張っていない側の頬まで押さえてやたらと女々しい格好になっている。

「なにすんのよっ」
「直前の言動も顧みずなにするんだとは……その図々しさはどこで培えるんだよ」

 いっそ感心すらしてしまいそうであるが、千寿に感心など嫌味を含んだ意味でもしたくない桐枝はさっさと教室へ競歩の足取りで向かい出す。
 千寿の診断結果を確認したからにはもう彼と一緒にいる必要もないので、足取りは速度を上げていく一方だ。しかし、揚げ足取りをされるのも面倒臭いので、風紀委員長がどうのこうの言われないように決して走らない。保健室へ向かう途中までは怪我人を急ぎ運んだという大義名分を押し通す所存だ。
 千寿の神経逆撫で攻撃に対する警戒を張り巡らせる桐枝の背後、たったかと軽い足音が近づき、ほどなく千寿が並ぶ。

「……おい、さっきまで痛くて上手く走れませんって風情だったのはどうした」
「あら、もう忘れたの? 保健医も大したことはないって言ってたじゃない。それに、いまは走ってないわよ」

 あくまで競歩、と千寿はにっこり笑う。
 対する桐枝の頬はひく、と引き攣り、間もなく士業ベルが鳴りだす校内で彼の怒声が響いた。



 桐枝とツーカーの仲と自他ともに認める大鳥は、ともすれば桐枝以上に桐枝や、その周囲のことを分かっている部分がある。
 なにかと騒がしい学園の頭ふたりに巻き込まれるのを好ましく思わぬ大鳥は、彼らの起こす騒々しさには風紀委員として以上には関わりたくない。
 けれども桐枝と千寿、ふたりを見ていると妙な感心が湧いてくる。
 よくもまあ、そこまで綱渡りをなんでもない顔でしていられるものだ、と。

「お互い渡り切るつもりがあるのかも怪しいが」
「なんのことですか?」

 呟いた大鳥は委員会室へ入ってきた香月に片眉を上げた。

「ノックならしましたよ」
「……聞こえなかったようだ」
「考え事にでも集中していましたか? 珍しい」

 まるで、大鳥が平素から深く物事を考えていないかのような口振り、表情で揶揄してくる香月に、しかし大鳥は不愉快そうな様子もなく「それで?」と用件を促す。
 せっかちとも言える大鳥に苦笑を一つ、香月は「ちょっとだけ面倒の気配がありまして」と自身が入ってきたドアを……その向こうへと振り返った。僅かに生徒たちの声が漏れ聞こえてくる。
 羽目を外して騒ぎを起こす生徒がいなければいいと思うが、その筆頭は悲しいことに生徒代表ともいえる生徒会長と、そんな彼を諌める通り越してぶち切れて追いかける風紀委員長によって起こされる場合のほうが多い。

「今朝方の話をご存知ですか?」
「うちの委員長の部屋から会長が出てきて、ふたり仲睦まじく登校したとかなんとか」

 千寿は体調が悪いのか足取りが覚束ない様子だったとか、桐枝がそんな千寿を横抱きにしていたとか、桐枝が聞けば血圧を下げる薬を十代から服用しなくてはならないような話がこそこそと生徒の間で交わされているのを大鳥も聞いている。

「うちの会長だったら手を叩いて喜ぶか笑うかしますが……まあ、面倒に変わりはないでしょう? なんやかんやで人気ありますから」

 スクールカースト上位の生徒には、まるで熱狂的なアイドルファンのように対象を信奉する集団がいた。
 彼らは親衛隊としてまとめられ、それぞれの隊長が統括している。
 だが、クラスも違えば学年も違う隊員たちを完全に掌握するというのは難しい話であり、中には親衛隊に設けられた規則を破るものもいる。
 過激派とも呼ばれる一部の隊員には風紀も手を焼かされることがあり、火種になるようなものが燻らぬように日々祈っていた。

「会長はあの『キャラ』で上手いことやっていますし、委員長も似たようなものです。常から見えるふたりの関係はとやかく言われるものではありません。娯楽扱いする向きすらもあるでしょう。でも、今回は少し違うかもしれませんね」
「忠告か?」
「予告です」
「つまり、確定なんだな」
「小火で済むかどうかはふたりの出方次第でしょう」

 面倒臭い、と大鳥は呟く。
 怠惰な雰囲気漂わせる風紀の副委員長に肩を上下させた香月は、ふと壁へとかけられたカレンダーに視線をやって目を細める。

「時間がないんですよ」

 大鳥が香月の視線の先を追い、やはり目を細めた。
 カレンダーは既に秋の終わりを告げている。
 大鳥と香月は高等部三年生だ。

「時間が、ないんです……」

 桐枝と千寿も、三年生だった。

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あきゅろす。
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