小説
八話



 フェートは潔志にとって斬りたいと、欲を刺激される存在ではない。
 それは、フェートが覡だからだろうか。
 一つの宗教によって統一され、信仰心の水準が高い世界でその宗教の重要な地位にあり、一にも二にも神を、と教育され生きてきたフェート。
 年端もいかぬ彼に対して、潔志は心躍らない。
 フェートは潔志の斬りたい対象ではなかった。
 もし、もしもフェート自身がフェート自身の熱を持つことがあったのなら、そのときに初めて潔志の食指は動くだろう。
 無意識の空虚が幸福であることを、フェートは知らない。
 無自覚の哀れがなによりの幸いだと、フェートはまだ知らない。
 一人の少年が抱く未来の生殺与奪に鋒突きつける潔志は、まるで善き導き手であるかのような顔でフェートへ斬り方を教える。
 ただ、己の弟子を自称する源太の二の舞いにしないために。
 延いては、自身の餌場を荒らす存在を増やさぬために。
 フェートには然程、剣の才能がない。
 それこそ、幼い頃は天狗のような身のこなしであった源太に比べると身体能力も劣っているかもしれない。そこに何があるかも分からないのに、的確に潔志が斬ろうとしているものを嗅ぎ分けて先んじる嗅覚も、ない。
 教え子に才能がなければ師としては歪みでもしていなければ落胆の気持ちも湧くものなのかもしれないが、潔志に落胆はもちろん、自身を脅かすことがないと喜ぶこともない。
 我流でありながら流派として確立し指導する立場にある剣士たちから指摘される瑕疵のない剣筋を持つ潔志が、それはそれは丁寧に的確に適切にフェートを教え導く。
 得物の違いなど、潔志には関係なかった。
 いや、潔志のなによりも斬りたい相手、源柳斎もまた同じだろう。
 斬るのだ。
 潔志は斬りたいから斬って、斬れる。
 源柳斎は刀へ到るとか頭のおかしいことを抜かして、刀へ到るんだから刀がなければ斬れないとかまずくね? と、とうとう刀がなくとも斬るようになった。
 つまり、得物がなんであれ、斬りさえすれば斬れるのだ。
 加減という名の枷でがんじがらめにされているため潔志は平常心を保っているが、彼は根本的に絶対的に斬撃狂いである。
 斬り続けていればそれが指導中であろうが、トリガーハッピーよろしく斬撃ヒャッハーになってしまいそうだ。フェートが呼吸を乱し、汗をかいて歯を食いしばるなか、潔志もまたがんばっていた。そのがんばりは源柳斎やその幼馴染である蝶丸辺りが知れば冷視をくれるほどに熱い。

「っは……」
「よーし、いい感じに日も暮れてきたし、今日はこれまでね」
「ご、しどう、ありが、ござ……」

 呼吸整わないフェートにツァーレが態とらしく「その程度でなんたる体たらく! 覡とはなんと情けない情けない! 潔志殿! 潔志殿の嫁はもっと骨がありますぞ!!」と嫌味と主張を開始する。
 ツァーレの言葉には悔しさが滲むけれど、自身よりも遥かに実力高いツァーレへと言い返せる言葉をフェートは持たない。

「……嫁、嫁と……自称をつけたらどうですか」
「なんだとこの覡!!!」

 実力に関して返す言葉はなくとも、刺せる釘がないわけではない。即座にくわっと形相変えるツァーレは、潔志によって刻まれた傷跡と相俟って異常に凶悪な面構えだ。

「ツァーレくん、大人げないのもいい加減にしなよ」
「潔志殿がまた覡を贔屓する!」
「十人に聞いたら九人が贔屓じゃないって答えるし、一人は大人とこどもというだけで背後関係、事実確認総無視してきみが悪いって決めつけて糾弾するよ」

 十分の一では利かない確立かもしれないが、と潔志は呟く。
 ぐぎぎぎ、と悔しそうにハンカチを噛み始めるツァーレにしかし、フェートはすっきりした気持ちにはならない。
 それは、きっとあくまで自身がこどもだから庇われているという事実のせいだろう。
 ツァーレのような面倒をかけたことはなく、潔志もまたフェートに「気遣い屋さんだね」と苦笑するが、潔志がツァーレに見せたようなおぞましいまでの熱意を自身へ向けたことがないとフェートは理解している。
 理解できていないのは、その幸運だけだ。
 皮肉というべきか、フェートを対等に扱うのはツァーレばかりであるのかもしれない。
 覡、覡と呼ぶけれど、いまのツァーレにとって覡など憎たらしいものを表す悪口のようなものだ。敬意など一欠片も存在していないし、フェートが覡でなくとも潔志に同じような接し方をされていれば呼び方が別の悪口に変わって、しかし態度は変わらなかったはずだ。
 だからといって、フェートにとってツァーレの態度が嬉しいだとか、一般的に褒められるものであるとかはまったく全然これっぽっちもそんなことはないのだが。

「フェートくんが斬れるようになれば、きっと今よりずっと自由にその小剣を振れるようになる。そのときを楽しみにしながら、まずは斬ることに慣れていこう」
「はい」
「ふん、まるで泳げぬ童子も同然ではないか」
「……おかげで大変ありがたいことに潔志さんに付きっ切りでご指導いただけます」

 自分でも驚くほど辛辣な声が出て驚くフェートを、潔志もまたきょとんとしながら見つめる。
 思えば、出会った頃よりもフェートの表情は豊かになっていやしないだろうか。

(斬撃健康法……いや、療法?)

 四方八方から斬りかかられそうなことを考える潔志を他所に、とうとうブチ切れたツァーレが大鉄扇を構えてフェートへ突進する。
 殆ど無意識に斬気を飛ばしてツァーレの進路を逸らした潔志に、ツァーレは今日何度目かになる涙を流した。
 魔族討伐の旅は始まったばかり。
 魔族の領域までの道はまだまだ遠い。

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