小説
七話



 救援隊の到着を待っていると、幾ばくもしないうちに街を出るには遅く、空が夕焼けに染まる頃になっていた。
 いまの街では外であろうと変わらないだろうけれど、救援隊が設備を整え始めた街のなかのほうが一夜を過ごすには多少増しである。もちろん、事前の通信にて救援物資とは別に神子一行が消費した物資を届けてもらっていたので住人たちのための物資を不当に消費することはない。
 とはいえ、専門家が到着した以上、素人は時間を持て余すしかなく、潔志は「んー」と考えるように唸ったあと、膝を叩いて立ち上がった。

「よし、フェートくんに斬り方を教えるよ」
「は」

 唐突な潔志の言葉にフェートはまばたきをするが、すぐに剣の指導だと思い至って慌てながら小剣を用意した。ツァーレがぎりぎりと歯を軋ませる。

「覡ばかり! 覡ばかり! 潔志殿は良妻第一候補の俺と其処な覡、どっちが大切なのか!」
「フェートくん」

 潔志の即答にツァーレは白目を剥いてよろけた。
 嘘でしょと全身で訴えているが、むしろ何故自身がフェートよりも好感度高く潔志のなかで位置づけられていると思ったのか。フェートはツァーレの厚かましさに最早二の句が継げない。
 さめさめざめざめ泣きながら膝を抱えるツァーレに一言もかけることなく、潔志はフェートへ誘うように片手を差し出した。
 顔の作りは幼いけれど、彼が不惑の歳であることを若者の張りのある肌とは違う手が証明している。
「神子」に無条件で若々しく美しい容姿を期待したバリオルはいるけれど、潔志を見て落胆や想像との落差から不信を抱いたものはいない。
 祈りに神が応えて神子が現れた。
 それだけでバリオルにとっては他の何をも差し置く理由に足るのだから。
 奇跡の体現者、神子から差し出される手をフェートは恐れ多いという感情とは別に、僅か躊躇いがちにとる。
 自分の手よりもずっと小さな手を握り返し、潔志は親と子の触れ合いにも似た仕草で振りながら拓けた場所まで歩き出した。

「魔族っていうのは本当に魔法みたいなものが使えるんだね」

 カーマインの操った炎を思い出しながら言う潔志に、フェートは「はい」と頷く。
 筆頭覡としてフェートは様々な資料に目を通すことのできる立場であり、それはもちろん魔族に関するものにも及ぶ。
 それらの資料から鑑みて、カーマインの炎を操るという能力は「強い」部類といえた。
 けれど、一人正面から相対した潔志は負傷らしい負傷もない。これが神子といってしまえばそれまでだが、カーマインに向かったときの潔志を思い出すとフェートは神子という存在に直結しようとは思えない。

「驚いたなあ……」
「神の御下では、やはり魔族のように妖しの術を持つものはいないのですか?」
「んー? 俺は知らないかなあ。でも、いるかもしれないね」

 潔志の生まれ育った世界において斬気を飛ばすのは十分に妖しの術であるのだが、ふざけたことにそれが出来るものは潔志の他にも存在する。

「神の御下に我らバリオルもいつか行くことができるのでしょうか……」

 潔志は苦笑する。
 たとえば行けたとしても、この世界に住まう誰もが喜べる世界ではないことは確実だ。
 なんと言っても「神の御下」などではないのだから。
 この頃は一々訂正するのが面倒になってきている潔志である。
 それにしても「妖しの術」という言い方に潔志が思い出すのは魔女狩りの歴史。
 ただ薬草に詳しいだけの老婆や物知りな女、ちょっと肥えた畑を持つ農夫。教会の欲が絡まずとも、少しでもはみ出すものがあれば「魔女を求める」周囲の人間たちによって処断された人々がいた。
 自分たちの持たないものを持っているだけの相手を異端として扱う傾向を、潔志はバリオルから強く感じている。
 もちろん、現代日本でカーマインと出会うことがあり、炎操る彼を見れば潔志は今日のような反応とは違う態度でいただろう。前提を知っているのと知らないのとでは、心構えもなにもかも違いすぎる。
 現代日本において「魔族」は「化け物」だろう。
 だが、この世界では? と潔志は思う。

(異世界から人間を召喚するなんて芸当をしておいてねえ)

 鉄のような温度を目に宿した潔志に気づかず、フェートが「あの」と恐る恐る声をかけた。

「うん?」
「潔志さんがあの魔族の炎に焼かれることなかったのは……神子だからでしょうか。それとも、炎をも『斬った』からなのですか?」

 魔族の操る妖しの術に対抗する手段があるならば、それが身につけられるものであるならばフェートはなんとしても、と欲している。
 潔志はそんなフェートの強い熱意に……ではなく、己に宿る大切なものに触れて桜舞う春のように穏やかな微笑を浮かべた。

「もちろん、俺は『斬る』けれど、今回は『火』だったから……」

 潔志の表情があまりにもうつくしく、あまりにも澄んで、あまりにも尊いものだから、フェートは目を大きく見開いたまま呼吸を忘れる。
 フェートの様子に気づいているのか、気づいていないのか、潔志はこの世界に来てより初めての肯定を口にした。

「これは、これも、俺が恐れ多くも『神子』と呼ばれた所以なのだろうね」

 潔志が初めて己を「神子」として認めることを言ったのに、フェートには潔志の言葉がその意味を持っているとは思えない。
 本人は無自覚だろう、ヘイゼルの目にどこか焦燥宿すフェートの手を潔志はまた大げさに揺らしだす。

「さ、日が暮れる前に少し斬り合うか」
「潔志さ――」
「潔志殿おおおおおおおお! 嫁を本当に置いていくとは亭主関白に過ぎますぞおおおおおおおお!!!!」

 フェートの声を遮って聞こえる太い声と地鳴りすら起こしそうな足音。
 潔志は肩を上下させ、フェートは苦々しさに口元を歪めた。
 ふたりへと追いついたツァーレは潔志へ酷いひどいと訴えるも軽く流され、潔志と手を繋ぐフェートへ八つ当たりをしようとすればとうとう教育的指導の拳を食らってわっと泣き出す。
 太い声による号泣の涙に直前の会話は流され、耳障りなBGMのなか潔志はフェートへ斬撃の指導を始めた。

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あきゅろす。
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