小説
四話
酷い既視感だ。
なにか、どこか、ひとが変わったようなカーマインの姿に思わずツァーレへ視線を送り、フェートは後ずさりしそうになる。
生きたくない。
繰り返して叫び、とうとう蹲って泣き出したカーマインは、先程までとはまるで別人であるようにフェートの目には映る。
いや、別人というのは正しくないのかもしれない。
ただ、今まで形成されてきた、つい今さっきまで確立されていた個人というものを、自我というものを、無惨なまでに破壊されたような、そんな姿をしている。
ツァーレも、そうであった。
行き過ぎた、主我的な神への愛は道徳から外れていたけれど、しかしバリオルであった。罰すべきではあるが、バリオルには違いなかった。
けれども、もはや神へ異常愛を抱くツァーレは存在しない。
衆目の前でツァーレは叫んだ。
神を、不敬にも、あり得べからざるにも、偶像などと呼び叫んだのだ。
その劇的な、という言葉が美化にもほどがある激変は、潔志によってもたらされたものである。
フェートはカーマインに視線を戻した。
「生きたくない、もう生きたくない」
繰り返される言葉に合わせ、勢いを増していくカーマインの炎。魔族の証。
魔族の操る妖術の恐ろしさに潔志は一瞬足りとも怯えず、まして引くこともなかった。
それは、きっと潔志が経咲比古神より遣わされし魔族、暗惡帝討伐を成す神子だから、と多くのバリオルは考えるだろう。
ほんとうに?
フェートは胸に湧いた疑問を消すことができない。
されど、潔志が突然「わっ」と驚いた声を上げれば慌てないでいられるはずもなく、そのそばへ向かおうとして目を見開く。
カーマインを取り巻く炎はカーマイン自身をも飲み込もうという勢いで燃え盛っていた。
「カーマインくん、危ないよ!」
潔志が心配そうに、焦ったようにカーマインを呼ばう。
何故、心配しているのか。何故、焦っているのか。
カーマインをここまで追い詰めたのは、他ならぬ潔志ではないのか。
疑問がフェートの胸へ烟る霧となるより早く、蹲っていたカーマインが立ち上る煙にも似た動きで立ち上がった。
「斬って、斬られて死ねないなら……ああ、そうか! この炎がずっと俺と一緒にいたのは、俺を弔うためだったんだ……俺は、もうずっと、ずっとずっと前から、死ぬべきだったんだ……!」
泣きそうな声で晴れ晴れと、カーマインが黒煙舞い上がる空を仰いで目を細める。
「こんな街一つに住むバリオルが火葬のための薪だなんて……あーあ、しみったれてるなー」
酷い言葉は最後の最後で失われた自我を思わせた。
直後、炎はカーマインを飲み込む。
轟々と燃える炎のなか、悲鳴も上げずにカーマインの人影がぐらぐらと揺れ……倒れた。
「カーマインくん!!」
「待たれよ、潔志殿! 触れようものならあの炎、たちどころに潔志殿をも舐め尽くしましょうぞ!」
「でもっ」
「っ潔志さん、助けなくてはならない住人たちが、生きている住人たちがいます」
潔志が一瞬黙り、ひとつ頷く。
驚くべきことに、あれほどの焦燥から一転、潔志はいつもの笑顔を浮かべていた。
「そうだね。カーマインくんは自業自得なのかな。まあ、自殺だけど、他の人はカーマインくんに襲われただけだものね」
うんうん、と頷き、潔志は真面目な顔で街を走りだす。
ツァーレが面白くなさそうな顔をしながらも続くのに、どうしても近くに並んで走ることができず、フェートは遅れて追いかけた。
カーマインを討たなくては、止めてからでなければ、住人の救出などできようはずもない。
分かっているけれど、最初から今まで住人など頭の片隅にも存在していたか怪しいような潔志の様子が気にかかる。
どうでもいい、というわけではないはずだ。
ただ、潔志は状況の理解に対して感情が結びついていない。そんな印象をフェートは抱く。
(でも、あの魔族には……ツァーレには……)
紛れもなく潔志個人の感情をむき出しに相対していたように思えるのに、拭えない違和感はなんなのだろうか。
――斬ればいい。
頭を過るのは「回答」
潔志の唱える「当然」
「斬る」とはなんなのだろうか。
肉体を斬るだけではないと斬られたツァーレを見て僅かに知り、肉体的には斬られていないカーマインを見てようやく触れた気がする。
「斬る」とはなにか。それを「当然」として、潔志は何故「実行」できるのか。
「神子」だから?
潔志自身には自覚がないらしいけれど、やはり「神子」であることには変わりない。そういうことなのだろうか。
けれど、だとすれば、その在り方はあまりにも――
フェートは自身がなにを思い、繋げようとしたのかと青ざめ口を片手の平で覆う。冷たい指先は震えていた。
無意識にフェートは剥き出しのままであった小剣をしまう。
小さな震えを抑えるために柄を強く握りこんだ手が、何か恐ろしいことを仕出かしてしまうのではないか。
そんな予感がしたので。
しかし、フェートは無意識に忘れているか、意図的に考えないようにしている。
もう、道は選ばれているのだ。
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