小説
八話



 国内の技術者や著名な学者のもとへ赴くのも勉学の一環であり、公爵子息の立場で屋敷へ彼らを招くこともあるが施設の見学となればそういうわけにもいかず、その日のライアンは久しぶりの遠出にわくわくと心躍る様子を滲ませていた。ナイトの心が大変潤う。
 赴く先は研究都市として有名であり、目的の学者以外にも時間の許すかぎり見て回りたいというのがライアンの希望だ。
 兵器開発関係であればナイトは顔パス同然なのだが、ライアンには少し早い。ライアンにすごいすごいとはしゃいでもらう機会を活かせず内心悔しくてくやしくて堪らないナイトであるが、数年後の予定として分厚い手帳にばっちり記載することにする。
 研究都市にてライアンがお勉強している間、ナイトは従者したり護衛したり一にも二にも三から十、那由多の果てまで主あるじで付きっ切りになっていたが、学問のための学問にひた走るついでに世へ貢献する学者にとっては些事でしかない。優秀な学者はナイトの偏執的な雰囲気に欠片も動じず熱心な講義を始め、ライアンの質問に丁寧な回答をした。
 なんの問題もなく勉学へ励むライアンの予定は恙無く進行するものと思われたが、いつだって予定を乱すものは予定外に現れるものである。

「英雄様!」

 自分の足で研究都市を見て回りたいというライアンの二本の足が左右交互に動いている様に感動していたナイトは、表情をごっそりと削ぎ落として愛銃へ手をかけた。
 主であるライアンとともにいる自分を英雄様などと呼んで近づいてくる輩は仕事の邪魔であり、ナイトの仕事とはライアンは守りその生活が円滑に進むようにするものなので仕事の邪魔とはライアンを害するということであり、ライアンを害する、仇為すとはつまりナイトの仕事上率先して排除すべきダニである。

「ナイト」
「やだなあ、我が主ったら! 俺が御前で糞袋をぶち撒けるようなやつだと思っているんですかっ?」
「……まだ何も言ってないのだー」

 語るに落ちるポンコツ従者にため息を吐き、ライアンは声のほうを振り返る。
 ライアンが反応してしまった以上は無視もできず、ナイトは戦場を渡り歩いた人間渾身のメンチを切りながら相手を見遣った。
 怖すぎる視線に晒されて一瞬震えたのは、研究都市では意外に見られがちな軍人の姿。
 若々しい軍人は震えを収めると緊張気味に敬礼して、ライアンとナイトへ所属を明かす。
 ライアンが視線で知っているか、と問いかけてくるのに、ナイトは否定する。相手の所属はライアンが前線で泥水啜っているときに珈琲へ砂糖を入れられるような方面だ。そも、見かけから判断するとまだ新兵にすらなっていなかったかもしれない。
 だからか、とナイトはライアンともどもため息というには短く息を吐いた。

「退役されたと聞きましたが、この場でお会いできたこと光栄の極みです!」
「仕事中だ、話す暇もこともない。主、失礼致しました」

 英雄に対する憧れへ輝く目になんの興味を見出すこともなく、ナイトはライアンとともにこの場を去ろうとする。
 だが、若い軍人は必死さを滲ませながら食い下がった。

「アンブレラ閣下! 小官は×××への配属が決まっております。貴方が英雄としての名を広く知らしめた、あの場所です。どうか、閣下の歩まれた道へ続けるよう、御言葉を頂戴したく!」

 ナイトは今度こそ愛銃を抜いてコンマ02の内に若い軍人を挽肉に変えてやりたくなったが、これは私情だ。私情で軍人を殺したなどと、ライアンの名に瑕がつくような真似はできない。最初に声をかけられたときだって足を撃ち抜くだけで済ませるつもりだったのだ。
 無視して立ち去るのが一番だ、と判断したナイトであったが、ライアンがまた一言ナイトの名を呼ぶ。
 主人に付き従っている従者に縋り付くような無作法ものに主はなんと慈悲深いことか、と涙で前が見えなくなりそうになりながら、ナイトは若い軍人へ鉄のように冷めた視線を送った。

「――一人でも多く殺せ」
「……は?」

 英雄の通り名になにを錯覚したのか、ナイトを信奉する輩はやたらと多い。
 彼らの望む英雄として振る舞うことは、ライアンの装飾品として良いことなのだろう。しかし、退役がなかったことにされず、ナイトを連れ歩くライアンの姿を公に見せて回る機会が多くないことから、ナイトは自身が公爵家に装飾品ではなく猟犬として求められていることを察している。いや、装飾品として扱いたい面はもちろんあるだろう。だが、それは可能であれば、の範囲であって、ナイトの有様を知られて現在は見栄えの良い猟犬ならば尚良し程度に思われている。
 ナイトは昔も今も、やることが変わっていない。
 そのナイトの歩んだ道へ続きたいと言うのなら、するべきことはただ一つ。

「ひたすら殺せ」
「……戦場において、道理です。しかし、小官はどうすれば貴方のように多くを守れる英雄になれるのかが……」

 答えが不満なのか理解できないのか、困惑滲む声で「しかし」と言う若い軍人は、ほんとうに若すぎる。これでナイトが退役していなかったら殴り飛ばされている場面だ。
 面倒臭いけれど、ライアンが前途有望な若者への教育を所望しているのだから応えないわけにはいかず、むしろライアンの命令ならば喜んで、とナイトは珍しくライアンに関すること以外で長く言を発する。

「俺が多くを守ったという事実は不適切だ。奪われる前に或いは殺される前に殺した。これが適切であろう。
 殺しすぎるなと言われたこともあるが、こちら側の人間を手にかけたならその場限りの反省をしなくもないものの、あちら側の人間など万殺そうと蟻が十匹死んだ程度の意味もあるまい。
 なんだ、その顔は。人でなしとでも言うつもりか? 地方でのんびりしていたようだが銃殺経験くらいはあるだろう。ならばお前も人殺しだ、人殺しがひとでなしでないとでも? なにを言っている。
 おいおい、まさか俺がお前より多く殺しているからお前が人殺しだという事実がなくなるとでも思っているのか。なくならないさ、薄れもしない。俺より増しだと縋りたいのか? ただ一人殺しただけではなんの戦果にもならんぞ。ただ殺しただけ。利益はない、意義もない、ならば多くを殺してこそ有益だ。
 勘違いしてくれるな、誇る気などない。所詮は人殺しだ。益など後付けに過ぎんよ。
 殺す相手が殺すべきとされ殺して良いことになって殺せる状態だから殺している。それだけだ。
 俺は人殺しだが殺人鬼ではない。因縁つけられなければならず者も殺さないし、ぶつかってこられなければこどもも殺さない」

 ライアンが関わればまた別だけれど。
 ライアンが関わっていれば、ライアンが害される可能性がある、それだけでナイトにはもはや殺すに足る理由だ。
 守ろうと思って戦ったことなどない。
 殺せるから殺してきた。相手をより早く殺せたからいま生き残っている。
 英雄と呼ばれる以前、自身が確かに虐殺者と呼ばれて忌避されたのをどうして誰も彼も忘れてしまうのだろうかとナイトは不思議だ。
 若い軍人は粉砕されていく幻想に震えながら「屠った命を背負おうとは思われないのですか」とナイトへ訊ねた。
 あまりにも馬鹿馬鹿しい質問にナイトは失笑する。

「命を背負う? 何故背負う必要があるのだ。散らかしたゴミを拾うのは道義だが、所詮拾ったゴミはゴミ箱に捨てるだけだろう。それともお前は拾ったゴミを身に纏うというのか? 俺には到底理解のできん、いや失敬。興味のない趣味だこと。もっと早く俺の後ろを歩いていたのなら、ゴミなんて幾らでも落ちていたのに惜しかったな」
「命をゴミだと、そう断言するのですかッ?」
「逆に訊くが、命は平等か?」
「……そう、あるべきです。弱きものは守る、そのために、我々軍人は戦っているのでは、ないのですか……!」

 いよいよナイトは腹を抱えて笑い出したくなった。

「命は等しく平等だと謳うのに、なぜ女子供を殺すことに躊躇や遠慮をするのだ、なぜ咲き誇る花を摘み殺して平和を説くものを糾弾しないのだ。矛盾しているではないか。お前は好き嫌いで善悪を判別しているだけなのだろう。俺か? 俺は善悪など考えたこともない。考えたところで鋒も照準もズレることなどありえんぞ?」

 だから殺す。
 だから殺せ。

「…………あなたは英雄なんかじゃない……ただの、狂人だ」

 敬意失せて侮蔑すら滲む眼差しの若い軍人に、ナイト晴れやかに笑い、その場へ跪いてライアンの靴先へ接吻する。
 絶句して見下ろしてくる若い軍人にナイトは高らかな宣言をした。

「そうとも、俺は主への忠義と愛に狂っている!!」

 ナイトは保証された狂気を誇る。
 侮蔑を賛辞と甘受する。
 これこそ忠義と愛なのだと叫んで憚らない。

「重くて肩が凝るのだー……」

 重量級の従者に胸焼けを起こしそうなライアンは、遠い目をしながら手慰みのように跪いているナイトの頭をくしゃくしゃと撫で回した。
 よくできた主人である。

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