小説
四話



「――それで、主。一体なにがあったのですか? 主を悲しませた原因をこのナイトに教えてください。経験だけは豊富ですからこうしてやりますよ」

 しゅっしゅっ、と拳突き出す仕草を見せるナイトだが、ライアン含めてそんな軽いノリで原因へ接されることがないと察するのは易い。この世で経験できる地獄をナイトが生きる限り味わわされ続けるだろう。
 ライアンへ問いかけているナイトだが、この場でライアンが言わなければ他の人間に尋問するだけだ。それを理解する聡く賢いライアンはきゅ、とナイトの袖を握りながら首を振る。

「違うのだ。誰か、が原因ではないのだ」

 袖を引くことでナイトを注目させるライアンだが、そんな仕草をしなくともその場にライアンがいればナイトは穴が空くほどに主を凝視する。凝視しながら不埒者を抹殺する。
 しかし、ナイトは「主が俺の気を引きたがっている!」と心拍数跳ね上げている真っ最中であり、ライアンの望むまま凝視に刮目を重ねてライアンを見つめた。
 ライアンはそんなナイトに「私の従者は相変わらずなのだー……」と若干落ち込みたくなる気持ちを隠しつつ、かぱっと口を開ける。
 ぬらりと濡れた粘膜と艶やかなエナメル質に覆われた白い歯を前触れもなく見せられ、ナイトは真顔になる。

「おい、おい、アンブレラ。その震える手で少しでも坊っちゃんに触れてみろ、ぶっ殺すぞ」
「女の噂拡散力を全開にして国にいられないようにして差し上げます。もちろん、死亡時は死後の名誉など残しません」

 ガタガタぶるっぶる震える手を必死に抑えるナイトへかかるメリルとメイドの声。本人も制止に必死だと分かっていても、一言かけなければこのド変態がなにをやらかすかと周囲は気が気ではない。
 ライアンは若干ナイトから視線を逸らしながら口を閉じる。ナイトはあからさまに残念そうな「あっ……」という声を落とした。

「……前歯がぐらぐらしていたのだ。それが怖かっただけなのだ」

 いまは違うものが怖かったとしても、後々を考えてきちんと説明できるライアンは将来立派な為政者になることだろう。年端もいかないこどもに此処までの思慮を働かせるナイトは酷い大人である。
 特技は人殺し的な意味で酷い大人の自覚はあっても、本人ウルトラスペシャルグレート良い従者のつもり満々でもあるナイトはライアンの成長の兆しともいえる状態に「なんと!」と声を上げて先ほど見せてもらった口腔粘膜を思い出し、一瞬だけうっとりした。
 メリルとメイドが「旦那様への直訴って書式どういうのだっけ」とひそひそ話し始める。

「下の歯でしょうか、上の歯でしょうか?」
「下なのだ」
「では、抜けた際には屋根に向かって投げましょう。そうすると立派な歯が生えるんですよ」
「上の歯はどうするのだ?」
「床下に投げます」

 にっこり笑って言う従者にふむ、と頷いたライアンはメリルとメイドへちらっと視線を送る。
「ほんとうか?」と。
 ライアンはナイトを従者と信頼しているが、人格に関して理解もしているので、常識的な第三者の意見を求めることも忘れないのだ。後々に発揮する事実確認を徹底して情報の正誤をはっきりとさせるところは、奇しくもナイトによって培われたといっても過言ではない。
 メリルとメイドはナイトから質の悪い不良のような視線を向けられながらも、ライアンへ肯定を返す。ナイトが知っていたことが意外であるが、民間のおまじないとして知られていることだ。今朝気づいたことなのでこの場でライアンは知ることになったが、公爵夫人がライアンの歯に気づけば教えてくれたことだろう。母と息子の思い出になったかもしれない場面をナイトは奪ったわけである。

「ふむ、屋根か……私で届くかなー」

 むずむずするのか、口を僅かにもごもごさせてライアンは呟いた。
 公爵家はそりゃもう大きい。屋根まで地上からどれほどあることか。少なくともライアンが精一杯投げても壁にこつん、と跳ね返るだけに終わるだろう。それは、メイドや公爵夫人でも同じ結果になる可能性が高い。
 ナイトはずい、と一歩踏み出した。メリルは捕縛術式を刻んだ手錠を取り出した。メイドがライアンを背中に庇う。

「……おい、退けお前ら」
「坊っちゃんにお話だけならこの状態でもできるだろう」
「主への言葉をなにが悲しくてお前らじゃがいもに向かって語りかけねばならんのだ。マッシュポテトにするぞ」
「ナイト、お話聞きたいのだー」

 空気の読めるこどもライアンが健気にも促したことで、ナイトは仕掛け人形かなにかと言いたくなるような勢いで表情をぱっと笑顔に変える。相手によって態度をころころ変える人間は信用ならないと師に教わっているライアンだが、同時にナイトは例外とも教わっていたので生温い目になるだけだ。

「俺であれば主を抱えて主が投げても歯が屋根へ届くところまで飛ぶことが可能です」
「幾らお前でも脚力はそんなにないだろう。幾らお前でも」
「そうですよ、アンブレラ様。幾らアンブレラ様でもありえないでしょう、幾らアンブレラ様でも」
「誰が脚力一筋だと言った。ホバーソーサーだ」

 ああ、とメリルとメイドは納得して頷く。
 一人、首を傾げるのはライアンだ。

「ホバーソーサー?」
「軍がよこした乗り物の一つで、宙を浮く移動円盤です。ピーキーな代物でまともに使える人間が限られているため、配備はされていません。俺は使えるんだから使えと許可を貰っておりますし、整備も怠っていないので主とともに飛ぶことができます」
「坊っちゃんが小柄とはいえ、二人乗りに問題はないのか?」
「戦場で大荷物抱えてかっ飛んだ人間に向かって訊ねるべき質問か?」

 ライアンに対しては丁寧に、メリルに対しては辛辣に答え、ナイトはメイドの後ろにいるライアンを覗きこむように体を傾げながら「如何します?」と訊ねる。

「ふむ、では抜けたときには頼むのだー」
「はい! この! 従者めに!! お任せを!!!」
「……そこまで張り切らなくてもいいのだー……」

 心持ち震えながら制止をかけたライアンであったが、ナイトは「我が主ったら奥ゆかしいんだからもう!!」と悦ぶだけであった。

[*前へ][小説一覧][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!