小説
三話



「わー、おっきなお家」

 命令が下りて程なく、ぺっ、と唾を吐きたい気持ちになりながら、とうとうナイトは公爵家へとやってきた。
 更地に変えるのにはどれほどかかるだろうかと考えながら、穏やかな風貌の執事に案内される屋敷のなかを歩く。
 執事からの説明によると屋敷の主人である公爵は忙しく、非常に残念がっていたものの暫くはナイトと対面が叶わないという。

「お会いするとき、ナイト様がライアン様とどれほど仲良くなられているかを見るのが楽しみだと仰っておりました」

 微笑を浮かべる執事にナイトは乾いた笑いも出ない。
 仕事道具とはいえ、噂にしか知らぬ赤の他人が大量の殺傷武器を持って我が家にやってきたというのに、自身で会うより先に妻子と引き合わせようとは天上人の考えはナイトの及ぶところではない。
 公爵夫人は病弱な女性だが今日は体調が良いようで、少なくとも一年間は息子の従者となるナイトに会いたいと言って起きているらしい。
 ナイトが仕えることになる公爵令息ライアンは、毎日会えるわけではない母とともにいることで大層上機嫌で、切っ掛けとなったナイトには会わぬ内から好感度が高くなっているなど、執事はおかしそうに話して聞かせる。
 歓迎されているのだ、と伝える雰囲気にナイトは気のない返事しかできない。
 公爵家に歓迎されているなど、誰もが羨む状態にナイトはなんの喜びも見出だせない。むしろ、嫌われてさっさと厄介払いをしてほしいくらいなのだ。
 その気持ちを隠さぬナイトの表情を見る執事からは穏やかさが消えない。
 どう足掻いても一年間は逃げられないようだと覚悟を決めるしかなく、ナイトがやさぐれたとき、微かな泣き声が聞こえた。
 ナイトと執事が顔を向けた方向は同じく、されど執事は慌てた様子なく通信機を操作して一人の男を呼び出すと案内を彼へ任せて一人歩き出す。
 ナイトは自身よりも僅かに屈強な男をちらりと見遣り、男はナイトの様子になんとも言えない様子で一瞬目を揺らした。大方、話に聞く英雄像とナイトが結びつかないのだろう。戦争広告を華々しく飾る英雄がどれだけ美化されているかなど考えずとも分かるだろうに。

「……俺はメリル・キャメロンだ。ライアン様付きの使用人で、今日からはお前の前任者、ということになる」

 メリルはライアンの仮の従者であったという。
 従者というものがどういう存在か、主として相応しい行動とは、を予め多少学んでから初めて「本当」の従者を選出し、ナイトは選ばれたというわけだ。
 ちっともありがたくない。
 ナイトは声に出さず、口に出さず、唇の動きだけで吐き捨て、「お前が洟垂れ小僧に戦争の現実をきっちり教えて親父がお前にあてがおうとしているのは個人では恐らく史上最多の人殺しだよって言い聞かせなかったから俺はいまこんなところにあるんだよつまりお前も俺の敵というわけか死ねばいいのに誰かいますぐ金を振り込んでくれこいつを殺すに値する金を振り込んでくれ半額サービス実施するから」と続ける。
 メリルは執事からナイトをライアンと公爵夫人のもとへ連れてくるよう言付かっているのだが、こんなやつを連れて行って良いのか、本当に大丈夫なのかと心底不安になった。
 真実良い使用人であれば主人の害になるものなど近づけるべきではないが、使用人の雇用権限を持つ公爵と執事の二人が良しとしており、且つ相手は「英雄」となれば一介の使用人がその場の判断で追い返せるわけもない。精々、執事には今の声なき発言を報告して注意を促すしかない。
 ごくり、と唾を飲み込みながらメリルは案内を始め、ナイトはメリルの足が泣き声が聞こえたほうへ向かっていることに溜息吐きたいのを堪えながらついて歩く。
 病弱な公爵夫人が共にいるのであれば室内で会うことになるのかと思いきや、メリルは中庭へと出てそっと手で奥のほうを指す。
 ナイトが視線を向けたほうには四阿があり、そこにはひとの気配が三つ。いや、五つ。
 一つは執事のもの、一つは給仕のため控えたメイドのもの、一つは気配薄く佇む護衛らしき男のもの、もう二つは――

「奥様と、ライアン様だ。ライアン様は……どうやら転ばれるかしたようだな。泣き止んでいるようだが、濡れたタオルも必要ならばお持ちしなくては」

 こどもが転んで泣いたくらいでなんと過保護なことかとナイトはいっそ感動する。
 幾ら泣こうが、むしろ泣けば泣くほど「まだ泣いているのか、飽きないやつだ」と呆れられる微かな痛みをあのこどもは知らないのだろう。知らないほうが良いのは当たり前だ。
 メリルが歩き出したので、ナイトも歩を始める。
 振り返った執事は公爵夫人とライアンに何事かを言って下がると、ライアンを見て一礼した。
 挨拶もてきとうでいいだろうか、それとも今後を思って愛想よく振る舞うべきか。
 悩みながらライアンへと視線を向けたナイトは、見事にその全身を硬直させる。
 真っ赤な鼻、潤んだ目、噛み締めたのか、僅かに血の滲む唇はぽってりと色づいていた。

「……アンブレラ殿?」

 公爵夫人とライアンを前にして一切の言動を止めるナイトを訝しそうに、メリルが声をかけるもナイトの視線はただただ一点へと集中して注がれている。
 泣いた拍子に緩くなった鼻水をかんだであろう、ひくひくぴすぴす動き、小さな穴の周りがちょっぴりかぴっとした鼻。
 もう一度メリルから声をかけられたナイトははっと我へ返るが、すぐ別のものに注目して再び硬直することになる。
 潤んだ目は、沈黙のなかで己を凝視する「英雄」に不安と期待を織り交ぜ、尚の事輝いていた。
 沈黙に次ぐ沈黙。
 公爵夫人が執事へ助けを求めようとしたとき、ナイトは晴れやかに笑う。

「初めまして、ライアン様。ナイト・アンブレラと申します。命令を頂いたときから、いえ公爵家に玉のようなお子様がお生まれになったと聞いたときより運命を感じていました。俺が、俺だけが貴方様の生涯唯一無二の従者です。末永く来世を超えて三世まで宜しくお願い致します!」

 メリルは執事を見た。
 執事は微笑を返した。
 ナイトはライアンの返事を待っている。
 ライアンはきょとん、とした後にぴかぴかの笑顔を浮かべ大きく頷いた。

「ナイトなー」
「誰を殺しますか?」

 喜びの表現として自分にできる精一杯の特技を発揮しようとしたナイトは「アウト!」と言いながら側頭部を蹴り飛ばそうとしてきたメリルの足をろくに見もせず避ける。
 幸か不幸か、ライアンは衝撃的な光景とナイトの斜め上にかっ飛んだ発想になにを言われたのか把握し切れなかったようだが、公爵夫人は執事に物言いたげな視線を向けていた。執事は微笑しながら頷いている。公爵夫人は額へ手をやりながら首を左右に振った。

「え、えっと、今日は私の従者になってくれるものが来ると聞いて、ずっとずっと楽しみにしていたのだ」

 もじもじしながらライアンはナイトを窺い、ナイト自身が先んじて肯定した答えをいま一度確認する。

「ナイトは、ほんとうに私の従者になってくれるのか? ナイトは私が産まれるより以前の戦争でも幾度となく国を救ってきた英雄だと聞き、学んでいる。私はまだなにも成したことのないこどもだ。ナイトに相応しい人間になってからでも――」
「我が主」

 ライアンの言葉を遮り、ナイトは断言した。

「我が主、ライアン・クレランス様。貴方様だけが俺の主であり、俺だけが貴方様の従者です。そこに余暇も余人も必要ありません。
 どうぞ、所有してください。束縛してください。振り回してください。誓いをここに、ライアン様だけに俺は仕えましょう」

 ゆっくりと膝を折り、地面へ手のひらと一緒に擦りつけ、ナイトは頭を下げる。
 頭上で聞こえた引き攣った悲鳴と、息を呑む周囲の気配。
 ナイトは丹念にライアンの靴を舐め、最後にリップ音を立てて顔を上げた。
 恍惚の表情で見上げた先、ぷるぷる震えながら「あり、がとうなの、だ……」と言うライアンの潤んだ眼球と鼻を舐めしゃぶりたくなる欲求を堪えるのはどんな戦場でも感じたことのない苦痛をナイトへ与えたが、今日からナイトは毎日その苦痛に見舞われることになる。

「あー、つれー、主が尊すぎてマジ苦しいわー、つれーわー」

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あきゅろす。
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