小説
五杯目



 夾士郎の好みを聞き出した結果、静馬はマンデリンを淹れることにした。
 マンデリンの特徴は香りとコクだ。
 舌を突くような酸味や苦味が少なく、上品な香りと豊かなコクが頭をすっきりさせてくれる。
 珈琲に「目覚め」を求める人間には持って来いだろう。まあ、カフェインの効果の訪れる時間を思えば、朝の一杯で目を覚ますというのは苦味による効果が強いのだが。あとは習慣による身体の条件反射か。インスタント珈琲でもカフェイン中毒になる可能性があるというのは、実はあまり知られていないことだ。

「男は黙ってブルマンだろ」
「俄かめ」
「おいおい、もっとも優秀といわれる珈琲様に向かって……」
「黙れ、知ったか。マンデリンはブルマンが出る前まで世界一だった。あとブルマンの特徴言ってみろ」
「…………俺はエスプレッソしか飲まねえんだ」
「向き不向きはあるが、エスプレッソは焙煎と挽き方さえ押さえりゃ豆は好みだバカヤロウ。ついでにブルマンだのキリマンだの、それらは全て銘柄であって豆の種類じゃねえ」
「もうっ、マスターはいつからそんなに意地悪になったの? 俺がさめさめざめざめ泣いてもいいの?」

 専門店に足を伸すと言った静馬の足代わりになった(といっても運転するのはスキンヘッドだが)四季は、ばっさりと切り捨てていく静馬に「わあっ」と顔を覆ってわざとらしい泣き真似をする。
 ちなみに、テッセンで出しているエスプレッソは、マンデリンをベースにブレンドしてある。

「つーか、マスターの店にある豆じゃ駄目なのか」
「あ? こちとら全力全開を求められてるんだよ。採算気にしなくていいなら、店じゃ扱えないようなのも使えるだろうが」
「そんなに違えのか」
「あー、お前は飲み物ってか、嗜好品を馬鹿にし過ぎだ。
 茶葉で国は傾いたし、煙草は塩と同じ位の歴史がある」
「へえ!」

 素直に感心する四季に静馬は苦笑いする。

「ってか、匂坂さんだったら誰かが貢いだ最高級珈琲を、志願してきた最高のバリスタが淹れてくれるんじゃないか?」
「ありえるがありえない。あいつはなるべく世間様に関わらないようにしてるからな」
「……あの容姿のせいで誘拐を警戒してるとか?」
「半分正解だ。言ったろ? あいつのほんとうの価値の前じゃ、容姿は無意味。あれが世間様に知られたら、国家単位であいつは抹殺されるか誘拐される」

 いきなり壮大になった話に、静馬は怪訝な顔をするが、四季は説明するつもりがないらしい。静馬も本人の許可なく立ち入り過ぎた自覚があるので、それ以上の追求はしないが、疑問はやはり残った。
 なんとなく無言のままいれば、ほどなく車は専門店に着く。

「おい、財布」
「ヤクザに強請りかよおっと冗談だ振りかぶった手を下ろせよマスター」
「お前はもう少し口数減らせ。で、金」
「俺は現金あんまり持ち歩かないんだが、カード使えるよな?」
「使えるが、まさかブラックカードとか言わないだろうな」
「いや、プラチナ止まり。まあ、これも普段は使わないが。見せびらかすもんじゃなし、ゴールドで十分だからな」

 静馬の脳内に四季の財布を強奪した後、四季とスキンヘッドをぼこぼこにして放り出し、アルファードを盗んで逃走というお粗末な計画が浮かんだが、顔には出さず「ふうん」と肩を竦めた。

「ってか、ヤクザってそういうカード貰えんの? 審査で引っかかりそうじゃねえか」
「ノンノンノン、俺、会社の偉いひとって肩書き持ってるからな。それにな? 法律っていうのは守るものでも守ってくれるものでもなくて、利用するものだぞ。
 ――この世界にどれほど法律で泣いた被害者がいて、法律に救われた加害者がいると思ってんだ」

 車から降りて燦々と日光を浴びながら、四季の唇はく、と歪んで皮肉を語る。
 普段のユーモアに飛んで殴りたくなる姿からは離れている表情に、きっと、こちらが本来の、ヤクザとしての四季の姿なのであろうと静馬は察した。

「ん? なんだ、マスター。そんなに凝視して。そんなに俺は男前か? 惚れてもいいぞ」
「匂坂さんに会ってすぐに言われてもな」
「……おい、あの規格外つか、別次元、別世界の野郎を引っ張ってくるんじゃねえよ。記憶から消去するか、モザイクかけとけ。人間の基準忘れるぞ」

 深刻な声音の四季に、静馬は失笑した。
 げらげら笑う静馬を見る四季のやさぐれた顔は、いつもの如く上品なお人形のように整っていたが、若干精彩を欠いているように見えなくもない。

「匂坂さんと並んで歩いたら、お前でも総スルーされるんだろうな」

 むかっ腹が立つほどの色男がぽつん、と人の輪から外れる様を想像して、静馬はますます笑った。

「…………マスター、俺と仲良く両手足を手拭で結んで玄界灘にダイブしたくなかったら今すぐ笑い止んで大人しく店に入ろうや」

 光の消えた目で無理心中を仄めかされ、静馬はぴたりと黙った。
 顔色が僅かに悪くなった静馬に、四季はやさしく朗らかに笑いかける。

「ヤクザジョークだぞ」

 颯爽と店へ進む四季の背中に、静馬は思わず呟いた。

「冗談になってねーよ……」

 これだからヤクザは。
 静馬はげんなりとため息を吐いて、店の前で手招きをする四季のもとへ向かった。



 馴染みの店主は気合をいれて、と表現した静馬の要求に、とっておきの豆を出してくれて、それを惜しみなく試飲までさせてくれた。

「おい、ここに来てからそんなに経ってないのに、俺はもうインスタントが飲めない自信があるぞ」

 ついでだからと珈琲の違いを叩き込めば、元々味覚が確かであろう四季は困ったように手の中のカップを見つめる。

「ではうちで買っていきますか?」

 ちゃっかり冗談めかして商売する店主に、四季は困り顔を強めて静馬を見る。

「美味い珈琲飲める場所が既にあるのに、自分でってのも馬鹿馬鹿しい気が……マスター、この豆貢げば淹れてくれるか? むしろ、魔法瓶に入れて配達とか」
「前向きに検討し過ぎだろ。当店では珈琲のキープ及び配達は承っておりません」
「ケチめ」
「これ以上居つかれてたまるか」

 十倍の値段を出せば、なんて冗談を言おうものなら、四季は本気で実行するだろうから静馬は口に出さない。
 本気で残念そうな四季と、その様子を鼻で笑う静馬のやりとりに、店主は穏やかに笑った。

 いくつか試飲して決めた豆の値段に、四季は軽く驚いたようだが「こういうもの」と納得したのか、払う気が皆無の静馬に文句を言う気配もなく、支払いを済ませた。

「ほんとうにグラム幾らの世界だな」
「不満か?」
「いや、妥当だろ」

 本心から頷いているらしい四季に、静馬は笑った。
 自分が扱うものの価値を知っているというのは、誰でも好ましいものだ。


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