小説
ブラザーズメモリー(前)〈GV〉
・ニュイブランシュ=エタンセル家兄弟の話
ニュイブランシュ=エタンセル家の三兄弟には政に携わるものと軍事に携わるものがいる。
三兄弟の顔を知らず、それらの情報だけを耳にしたものが彼らと対面すると必ずといっていいほど起きる勘違いが一つ。
「おお、芳名轟くダブルペンタグラム殿にお会いできるとは! 魔術師は後衛に就くことが多く、軍人にしては細身でそうと見えない人間も珍しくはないと聞きましたが……いやはや、要職に就く軍人とひと目で分かる威容ですな!」
他国よりやってきた使者が感嘆も露わにするのを彼、ヴェルムは表情一つ変えずに対応する。
長男ヴェルメイユはその厳しすぎる面と雰囲気から、下手な軍人よりも軍人らしい。
よく見ればヴェルムの手肌が軍人としてはあり得ないものであると分かるのだが、新兵のなかには扱きに扱いてくれた教官を思い出すのか彼を「殿下」ではなく「閣下」と呼んで上官と間違えるものもいる始末。
威圧感凄まじいヴェルムが指先を軽く揺らせば、角を立てない物言いで彼の右腕たる長弟ヴェールが訂正する。
物腰穏やかな次男ヴェールドメールは三兄弟のなかでは一番皇子という身位と容姿が一致していた。
ヴェールがヴェルムよりも意識して簡素な衣服を纏わず、後ろに控える姿勢をとっていなければ、ヴェルムはヴェールの護衛にすら見られていることだろう。
皇族相手に勘違いをしてしまったことで汗をかく相手を落ち着かせ、これ幸いと本題に入っていくヴェルムとヴェールは手馴れている。
珍しくない勘違いは手間だが、だからといって勘違いの元であるとヴィオレに苛立ちを覚えることは一切ない。落ち度は情報を正しく詳細に得ることを怠った相手にあるのだから。
末弟ヴィオレフォンセは知名度でいえばニュイブランシュ=エタンセル家随一だ。
ニュイブランシュ=エタンセル家を知らずとも、ヴィオレフォンセの名を知らずとも、ダブルペンタグラムの通称を知らぬものは少ないだろう。
魔術師として軍部に属するヴィオレは、戦場の逸話というばかばかしさが先んじる眉唾な話の殆どを実際に成した規格外の魔法使いだ。
末弟の功績に対し、二人の兄は公爵家の誉と過剰に持ち上げることもくだらない嫉妬もしない。
容姿も性格も系統の違う三兄弟は、彼らなりの仲の良さを持っている。
それは、やはり大多数から集めた意見とずれたものなのだけれど。
ヴェールが纏めた資料片手にヴェルムの私室を訪うと、寛ぎ姿のヴェルムが手元にあったものから視線を上げた。
「珍しいですね」
ヴェルムの掛けるソファの後ろへ周り、彼の肩へ手を突きながらヴェールが覗き込んだ先には机へ飾れる程度の肖像画があり、そこには黒髪以外に共通点が見出だせない自分たち三兄弟の幼い頃が描かれている。
ヴェルムがこういったものをじっくりと眺めている姿など滅多になく、どういう風の吹き回しかとヴェールは深緑色の目をヴェルムの横顔へ滑らせる。
「私とて懐古に耽ることもある」
「懐古ですか。ふふ、この頃から兄上は難しいお顔をなさっておいでだ」
「ふん、私のような立場であれば、それくらいでよかろう」
「私生活でも笑顔を見たいと弟は思います。この頃はまだしも笑っていらっしゃったのに、年々お顔は厳しくなるばかり」
つつ、と頬をなぞるヴェールの手を、ヴェルムは眉間の皺を深めながら払った。
くすくす笑うヴェールは再び肖像画へと視線を落とし、懐かしそうに目を細める。
ようやく青年の域に入ろうかというヴェルムとヴェール、まだ幼さの抜け切らぬヴィオレ。
ヴィオレはヴェルムの腕に抱かれていた。
「当時のガスコン辺境伯子息でしたか……辺境伯という立場の父を持って育った意識のままこちらへ来た彼がヴィオレに目をつけたとき、誰より不快になったのは兄上だったそうですね」
「そんなことは一々覚えるに値しない」
「いえいえ、思い出は貴重な財産ですよ」
母親似のヴィオレは幼い頃、少女めいた愛らしさであった。
末子とはいえ公爵家に生まれ、才能があったヴィオレは内側にひさぐことのない性格で、国の要所とはいえ中央から離れた地方からやってきた辺境伯の生意気盛りな息子には随分と珍しく映ったらしい。
辺境伯とはその立場上、与えられた権限が大きく、また周囲には匹敵するような貴族の領地もない。父親の気づかぬところで随分と高慢さを増長させていた彼は遊学の名目で中央へやってきて、そのときから術式関連の施設へ出入りしていたヴィオレを見つけると領地にいるのと同じ調子で近づいた。
如何に辺境伯といえど、家格はニュイブランシュ=エタンセル家のほうが上である。
当主は当時の第二皇子、その妻は前の皇兄である大公が息女。ニュイブランシュ=エタンセル家より上にあるのは皇帝と皇太子、その直系以外に存在しないのだ。
故に、皇子の身位にあるヴィオレは不躾に接せられたことなどなく、側仕えが庇うのに不満を露わにして自身へ手を伸ばしてくる相手に対して心底驚いていた。
驚いていただけで、憤りまではしていなかった。
辺境伯の息子にとって不幸であったのは、ヴィオレが施設へ訪うのについてきたのが側仕えだけではなかったことだろう。
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