小説
十四話
ツァーレは捨て子であった。
生まれて間もなく森のなか、獣が徘徊する場所へろくに身を守るものも、糧もなく、捨てられていたのだ。
そう、教えてくれたのは「偶然」にも普段は赴かぬ場所で薬草の採取へ向かった敬虔なるバリオル、小さな村の教会の祭司。
ツァーレを見つけた祭司は仰天しながらも、一片の躊躇なくツァーレを抱いて教会へと戻った。
きっと、これも神のお導きであったのだ。
そう語る祭司の柔和な笑みをツァーレはよく覚えている。
敬虔なる祭司はツァーレに神のことをよく聞かせてくれた。
神がどれほど強い存在であるか。
神がどれほど慈悲深き存在であるか。
神がどれほど眩しく尊い存在であるか。
神に仕え愛されることが、どれほどしあわせであるか。
語る祭司こそ幸せそうで、ツァーレが神の愛を信じることに違和感などなかった。
胸にしこりを覚えたのは神へ侍る存在、巫、覡の話を聞いたとき。
神に侍るとはつまり、神の側近くにあるということだ。
ずるい。
ずるい、ずるい、ずるい。
神の側にいられるなんて、そんなのずるい。
「祭司様、どうして俺は覡になれないのだろう」
「覡は神の内から厳しい修行をしなければなれないのだよ」
「祭司様、どうして俺に厳しい修行をつけてくれなかったんだ」
「すまない、ツァーレ。私では覡とするための修行をつけられる地位にないのだよ」
酷い話だ、おかしい話だ。
我ら皆等しくバリオルであるはずなのに、神の側近くへ侍るものを決めるのに「地位」などというものが関わるとは!
「俺だって神を愛しているのに、俺のほうが神を愛しているのに! 嗚呼、こんなことならば祭司様に拾われるべきではなかったんだ、あのとき、あのまま、神の内に神の御下へ還るべきだったのだ!」
そうだ、産みの親もそう願ったからこそ糧も与えず粗末な布一枚に包み、獣道へ自分を置き去りにしたのだ。
ツァーレは嘆き、嘆いて、ひたすらに神への愛を叫ぶ内に覡を恨むようになった。
「偶然」にも「地位」あるものと関わったおかげで神へと近づいた薄汚い存在。
崇高にして純粋なる自身の神への愛を妨げる障害。
覡が憎い、覡が恨めしい、この世で誰よりも神を愛し、神の愛を求めているのは自分なのだ。
だから――
「そこを退けよ」
覡などいなければいい。
他のバリオルなど、いなければいい。
有象無象を間引かなければ神が自身に気づいてくれないかもしれない。
ならば、間引いて、我は此処に在りと叫んで、神の眼差しを注がれたい。
「神を愛しているんだ。神に罰せられたならそのまま永の眠りにあればいいものを、身の程知らずにも起き上がった魔族共、暗惡帝、神が不愉快になる前に俺が片付けよう。そうすれば神が俺を見つけてくださるかもしれない。神の愛が一身に降り注ぐかもしれない」
愛している、愛している、愛している、愛している。
愛しているから皆死ね。
神へと続く道へ立つもの座るもの横切るもの並ぶもの皆全部死ね。殺してやる。
屍の血肉で神への恋文を書こう。神が何処へいたとしても見えるように、地上いっぱいに書き埋め尽くそう。
そのときこそ自分は神の寵児となるのだ。
なんて幸福、なんて喜び、なんて恍惚。
神を愛して愛して愛して愛して愛して愛して神に愛されて愛されて愛されて愛されて愛して愛されて幸せ幸せ幸せ幸せしあわせせせせせ――
「うっぃい、ッヒ、ぃっ!」
おぞましい歓喜の声。
ツァーレの幸福が喜びが恍惚がひび割れる。
肩から冷たい感触。
胸にかけて熱い、熱すぎる一閃。
縦に走った傷跡が再び割れる。
けれど、我が身を襲った斬撃にツァーレが覚えたのは痛みでも衝撃でもなく、呆然と恐怖と焦燥。
ばちゃばちゃと零れていく。
真っ赤な血と桃色と白い何かと一緒に零れていく。
「っい、いや、だ……」
鎖に縛されたツァーレはどうすることもできない。きっと引き千切ることは容易いはずの鎖に、どうしてか一切の抵抗ができない。
ツァーレは見ているしか出来なかった。
ばちゃばちゃと零れていく。
「やだ、やだ、やだ」
自分の中身と一緒に自分の中心、なによりも大切なもの。
「いや、だ……」
ばちゃばちゃと零れていく。
「やだ、やめろ、やめてくれ」
ぬらぬらと床へ広がる血溜まりに銀色が反射する。
涙と鼻水と涎で顔面をべちゃべちゃに汚したツァーレが見上げた先、再び剣を構える「神子」がいる。
憎い、神子。
恨めしい、神子。
覡の比ではない、真なる神の寵愛受けるもの。
ツァーレがなによりも殺したくて、殺してやろうと思った、神子。
神子が二度目の斬撃を放つのが、いやにゆっくりとした動きとして感じられた。
向かう先はツァーレではない。
ツァーレから零れ落ちた血溜まり。
ばちゃばちゃと零れて落ちた――
「俺の愛を斬らないでくれえええええええええええ!!!!!!!!」
斬と一閃。
銀線描きて、血潮が、ツァーレの命が、ツァーレという存在を活かす「神への愛」が――斬られた。
眼球が落ちてしまいそうなほどに見開いて硬直。
一拍後、ツァーレは前触れなく吐瀉物を吹き出した。
斬って散らかされた命の上に、汚物が降り注ぐ。
「あ、あ、あ、あ、あ」
ぐらぐらと体を揺すり、縛する鎖から逃れられぬまま、ツァーレはとうとう体を倒して床へ這い蹲った。
まるで、少しでも取り戻そうとするかのように、汚物に塗れた血肉をびちゃびちゃと舐め啜り、再びツァーレは倍ほどの吐瀉物とともに吐き出す。
それを数度繰り返し、ツァーレは泣いた。
審議の間の壁が震動するほどの大音響で、ぎゃおぎゃおと泣き喚いた。
火のついたように泣く赤子、という表現が、どうしてか今のツァーレにはよく似合っている。
血肉と吐瀉物の上を転がり回って泣いて喚いて叫んで暴れるツァーレを見ているようで見ないまま、神子は長く止めていた呼吸を再開させたかのように大きく胸を上下させた。
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