小説
十話
片手には神剣、迫るのは大鉄扇、潔志はわらう。
耳におぞましい音を立ててぶつかり合う剣と扇、一拍を刻んだ間を置いて周囲へ風が吹き荒ぶ。
その風はひび割れるような音とともに床を、壁を斬り裂き、眼前に腕を翳したフェートの足元を大きく抉った。
「き、よしさんっ……この、下郎がっ」
神子様になんたる無礼を、とツァーレ睨むフェートの眼差しは鋭いが、ツァーレはまるで反応しないしそれは案じて名を呼ばれた潔志も同じ。
剣と扇越しの至近距離で顔を突き合わせる両者はお互いから目が離せなかった。
否、離せないのはツァーレであり、離さないのが潔志だ。
「い、ぃ、い、ぃぃっ」
力むように呻き、潔志が神剣で以って大鉄扇を押し返す。ツァーレが巌のような全身を使って押さえようとしても、歯を食いしばり、歯茎さえも見せて笑う口から唾液を顎まで伝わせる潔志を阻むには足りない。
ぎゃんっ、とまるで棍棒で殴られた犬の鳴き声にも似た音がして、火花舞い散る中に銀線。
「う、おおおおっ」
連続で、高速で放たれた斬撃を、ツァーレは雄叫びとともに大鉄扇で弾く。弾く勢いはそのまま壁の一部を破壊し、粉塵が僅かに漂った。
「――だぁめ」
言い聞かせるというには粘着質を持つ声音で潔志はツァーレの背後に向かって伝える。
粉塵に気配潜ませ、いつの間にか手にした小剣をツァーレの背中に浴びせんとしていたフェートが「何故」とばかりに口元を動かさぬまま瞼だけを見開く。
答えぬ潔志に代わって呵々大笑するはツァーレ。
粉塵払うように大鉄扇を緩やかにあおるツァーレは、フェートを振り向かぬまま太い声できっぱりと言った。
「汝が斬りかかったところで俺は容易く屠ろうぞ。覡よ、神の御下近くに侍ったつもりの憎らしい覡よ!
さあ、神子様、やれ、神子様! 貴方を屠ろう、貴方を殺そう、この世に神の真なる愛し子などいらぬのだから!!」
ツァーレが頬を紅潮させ、肌がびりびり震えるほどの大音声で叫ぶ。
フェートはぎゅっと顔を顰め、両耳を押さえたくなるのを堪えて剣を構え続けた。
直接ツァーレから叫びを叩きつけられた潔志は……懐から取り出したハンカチで口元を拭っていた。頤筋が緩んでいるわけではないのだが、興奮するとつい唾液の分泌量が増えてしまうのは悪い癖である。本当に。
「うん、あのさあ」
潔志は先ほどまでの興奮など一切合切捨て去ったような白けた顔でツァーレを見つつ、神剣を肩へ担いだ。
「『この世の神様』に愛された覚えとか、ないんだよね。それで殺されそうっていうのは……動機として不純だよ」
最後はぼそりと独り言でしかなく、潔志は神剣を下ろして完全に全て終了したかのような雰囲気をひとり放ち始める。
未だやる気満々のツァーレも、ぽかんとしたフェートもおかまいなしだ。
放っておけば壁の壊れた部屋であることも気にせず茶でもしばきだしかねない潔志に「むう」と唸ったツァーレが軽く首を傾げる。
「神子様は俺が怖いのか? 何故逃げるんだ」
「怖くないし、逃げもしないよー」
「だが、先ほどまでの爛々とした闘志は何処にもない。神子様は負けるのを良しとされるのか」
「別にー」
「そんな様で暗惡帝を屠れようものか!」
「お前、先ほどからよくもっ」
もう我慢ならないとフェートが激昂しかけたとき、潔志が無造作に神剣を薙いだ。
飛ばされる斬気は寸分の狂いもなくツァーレを狙い、不可視の斬刃に目を見開いた彼は大鉄扇二柄を大きく広げて防御する。
潔志の放った斬気は鋭い爪牙となってツァーレの大鉄扇をガリガリと引っ掻き、床をも抉って消えた。
「怖いとか、逃げるとか、負けるとか、屠るとか……俺は斬りたいから斬るだけだよ。
ツァーレくんだっけ? きみは小腹が空いたときに斬ればいいやくらいにしか思えなくなっちゃったから斬らないだけ」
「……神子様はご自分が斬られるとは考えないのか」
大鉄扇を下ろして囁くように言うツァーレは、ぞっとするほどに無表情だった。
心底忌々しいものの駆逐を夢見る思想家にも似た、無表情であった。
潔志は多くのものがひゅっと喉を詰まらせるだろうツァーレの表情にも思うもの持たず、その後ろに向かって手招きをした。
「フェートくん、おいで。そろそろおやつにしようよ」
「潔志さん……」
「そうだ、フェートくんでもいいんじゃないかな。フェートくんが斬りたい理由を今、この場で見つけたとしても、それは決して間違いなどではないのだし。
ねえ、ツァーレくんもそう思わない?」
ツァーレの巌のような体がゆっくりと振り返るのが、フェートには奇妙なほどゆっくりとした動きに感じられた。
ツァーレの巨体の向こう、潔志の気配を感じる。
「斬るんだ。斬ればいいんだよ。当たり前にして、とても簡単で、なによりも単純な、常に存在するが故に多くの、多すぎるほどの人々が忘れる最適解。
フェートくん、きみはきみの意思できみの願いと欲望のためにツァーレくんに剣を向けてみよう。大丈夫、俺も手伝うよ。全部教えるって約束したものね。第二の源太なんてお呼びじゃないし……」
潔志のぼやくような言葉なんて、影になってもぎらぎらと苛立ち混じりに光るツァーレの目に捕らわれてしまえば簡単に聞き逃せてしまう。
フェートはツァーレを前にして、急速に喉が乾いていく。
神子がいるにも関わらず逃げ出すなどできるはずもない。
「……――是非もなし」
フェートは小剣を硬く握りしめた。
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